本文へスキップ

森組芝居はお芝居制作しています。

.

.

森治美の夫から・・・戯言

昨年からの森さん

 最悪の事態の発覚は昨年4月頃、近所の病院でレントゲンを撮ったところ怪しいという診断が下り、東京医療センターで精密検査するとステージ4の肺がんと診断されました。それ以前に怪しい所見があったので私が検査を勧め、婦人科にてがん検査を行いましたが、問題なしと診断されていたため、その後の観察を怠りました。ガンが発覚してからは抗がん剤を投与しない方が長生きする事も考慮に入れ、二人で検討しました。二人は積極的に治療することを選びました。抗がん剤を投与する際、初回は急激な副作用が出ると危険なので入院が必要になります。さらに定期的に検査、抗がん剤点滴など病院に時間を割いていました。その間も森さんは精力的に仕事をこなしていました。皆さんに病気のことを言わなかったのは、説明が面倒、腫れ物に触るように色々と気遣われることが好きでは無かったので皆さんには黙っていました。もちろん治るかもという希望も・・・。しかし効果無く日々が過ぎてゆきました。ある抗がん剤を使った時は髪の毛が全て抜けてしまい、かなり精神的に参っていたようでした。にもかかわらず、効果無く次の抗がん剤へ。11月のお芝居では作演出を何とかこなしました。2月の公演のため12月、裏方さんとの打合せのあと年末には肺に溜まった水を抜くため入院しましたが、その際、抵抗力が弱っていたため細菌感染してしまい、年末年始は病院で過ごすことになりました。そして1月16日なんとか退院、稽古初日に参加しました。そのあと2、3日するとかなりの痛みが出てきたので私が説得して病院へ、急遽入院。危惧していたとおり、注射によるモルヒネ投与となりました。精密検査を行うと腰の骨(腸骨)と背骨にも転移しており、とても観劇が出来る状態では無い事から二人とも覚悟しておりました。私は稽古場と自宅と病院をグルグルと回りながら日々をこなしていました。明らかに悪化しているにも関わらず外出許可を頂き、なんとしてでもお客様にご挨拶をと頑張っていましたが、食事が喉を通らなくなり、苺を毎日持って行っていました。そうしているうちに酸素吸入、痰の吸引が始まり次第に弱っていきました。2日の昼頃には呼吸が浅く喋るのもやっとの状態でした。5日の夜に行くと酸素マスクを嫌がるとのことで縛っても良いと言う許可を書いて、直接森さんに「マスクしないと死んじゃうから我慢して」嫌々承知していました。そして自宅に帰りその日の作業を終え病院に戻ると、さらに状態は悪化していました。その状態にも関わらず、先生がいらっしゃらなかったので怒って呼んでもらいましたがそれでも悪化する一方。到着した先生からも今日明日から今週くらいかもと説明されました。人工心肺を付けることは森さんから固く止められていたこともあり、その方向での延命措置は出来ませんでした。大部屋なので帰るようにと促されましたが勘が働いたのか病室を出ても帰らずその辺りに待機していました。2~3時間が過ぎ、看護婦さんに呼ばれ森さんの側へ、護婦さんはお医者さんを呼びに・・・。すぐさま脈を取ると脈は既に無く、即座に私が心臓マッサージ。すると「やめて!」と3回、心の声が届きました・・・。確かに蘇生措置はするなと言われていたと思い、瞳孔反射を確認すると反応はありませんでした。諦めるほかありません。脈や呼吸が止まる前に瞳孔反射が無くなって居たのでしょう。この状態からの蘇生はまずあり得ません。死に目に会えたのかという質問に答えられないのはこのためです。意識がなくなる前にはある程度の意思疎通は出来ましたし、心の声も聞きました。顔をひっぱたいたり手を握りました。話しかけたりも・・・。死亡原因を特定するために解剖検査を行う事を聞かれましたがこれは森さんは禁止していたので許可しませんでした。 そして公演を終え、2017年2月14日火葬。現在は当家にて安置しています。宗教も無いため、戒名もありません。お線香、お線香立て、蠟燭など全てありません。大変申し訳ありませんがお焼香などもご遠慮頂いております。申し訳ありません。


今後について

 残った私と森さんのお母様、二人とも一般人です。芸能関係、その他森さんの交友関係の皆さまからの様々なお気遣い、森さんの人柄が伝わり、とても辛くなります。申し訳ありませんが偲ぶ会、その他ご遠慮させていただきます。お願い致します。


こんな事を書く理由

 何もしていなかったり整理をしていたり。その全てが辛いのですが、PCに向かって何かをしている時だけが少し安定出来るからです。このような内容を書いているだけでも辛いのですが、虚無感はまだ少し楽かと思います。いずれにしても精神的に不安定な状態。戯れ言、弱音を吐いているとお考えください。これから下記の文章を不快と思われた場合、読み進めないでください。お願い致します。 最近はSNS等への転載などもあるかと思いますがそちらも無用にお願いします。


森さんと私

 ある方に「夫婦なのになんで森さんって言うのか理解出来ない」と言われました。結婚してから約18年間、初めて言われました。普通の夫婦間ではおかしな事かも知れません。 でも森さんは「森さん」なのです。奥様でも米広さんでもなく「森さん」です。「森」でもありません。森さん本人も病院で「米広さん」と呼ばれると隣に居る私に目をやります。 同じく病院で「森先生」と呼ばれれば振り向いてしまうほどです。会社や組織内では通常「森」と呼び捨てにするのが通例ですが、それも飛び越えて「森さん」です。 「森さん」と言うこの文字列が森治美という個人を指し示しているからです。森さんと呼ぶことで尊敬、信頼、親しみ、愛情を示しているのです。森さんと私、2人をよく見たらすぐに判る事です。 森さんをよくご存じの皆さまはだれも「森!」と言う人は居ないでしょう。先生と呼ぶことがあるかも知れませんが殆どはきっと「森さん」と呼ぶことでしょう。 夫婦間でも「森さん」と呼ぶことが不自然と思う人はほぼいないと思っていたのですが・・・。
 家の中ではどう呼ぶかご想像にお任せしますが、私にとって皆さまの前では「森さん」と呼ぶ関係なのです。 森さんは私を「うちの子」と言っていたり私には「よね!」と呼び捨てでしたがそれは森さん流ということはご存じの通り、私の事を愛情込めてそう呼べるのは森さんだけです。 この二人の呼び方はお互いの関係を示していたのです。


これまでの森さんと私

 出会ったのは1995年、森さんは愛犬のキヌタが亡くなり、さらに離婚という一大イベントを迎えていた時です。私は完全な横恋慕。滅多に恋愛感情を持たない私が珍しく失恋状態。 相当なダメージを受けていたところでした。二人とも考えるところがあってバイクの免許を取りに行っていました。教習所で森さんが「タクシー呼んで!」と何やら騒々しい状態に、 そんなとき私は何か変化を求めていたので思い切って「乗っていきませんか?駅までですか?」と誘ってみた。まあ年齢とかどんな人とか考えてませんでしたが、ただ単純にチャレンジしてみたのです。 そして駅までと言うより森さんの近所まで。そして軽い食事。で何故かお友達に。私もそんなことでお友達になれるとは思っていなかったので拍子抜け。でもなんだか打ち解けやすい感覚があり、 以降は空手の稽古見学に誘ったりベース内のパーティやバーベキューにお誘い。そのうちドライブや食事にお誘いするようになって居ました。
 その当時から森さんは魅力的なので色々な男性からのアプローチ、様々な交友関係があったと思っていました。はっきりした物言い、力強いオーラ、そこは芸能関係、 きっと予想もしないことがあったのではないかと思っていました。でもそんなこと別に今にとって障害になることもないし、自分から説明しないことを根掘り葉掘りと聞くことはしませんでした。 離婚の原因は何かあるのでは?興味をそそられる部分でしたが自分から進んで言わないところを考えて聞くのを辞めました。森さんはそんなことでも嬉しかったようです。過去にとらわれないその考え方が。
 森さんは私の事を古風と言いました。私にはその自覚が無かったのですが、言われてみれば、と合点がいきました。ベース内では男性は子供や女性のためにドアを開けます。女性だって子供のためにドアを開けます。 ドアに同時に到着すれば引く側が空けて待ちます。そんな環境から女性の為にドアを開けるのは当然。立ち上がる時に狭かったり立ち上がりにくければ手を貸す。何も不思議なことも変なことをしている自覚もありませんでした。 他にも古風なところがあったようです。手を繋ぐにも二人には確実なルールというか考え方がありました。手のつなぎ方にもイヤらしい、人が見てて恥ずかしいような手のつなぎ方は滅多にしません。 あくまでも男性が肘の部分で腕を折り、女性はそこへ掴まる、と言うか手を添える。つんのめったりこけそうになればすぐに捕まえることが出来る。そういう手のつなぎ方でした。そういうことが出来る男性、余り居ないと言っていました。 席を立つ時に手を引っ張ってあげたり。手を掴んで補助していると隣の女性が「いいなぁ」という目で見ていたのを憶えています。 森さんとの交際が順風満帆だったのではありません。 森さん自身とても不安定な時期だったのです。最終的にはその不安定な時に私のようなストレートな手法でアプローチしてきた男に頼って安定を求めてしまった。 とも言えます。ですから私も拒絶されたり怒られたり。色々ありました。私との関係を終了しようと言われたこともあります。しかし、私のようなストレートな存在が無くなると更に不安定になる事も理解しており、 ずるずると自己嫌悪に陥りながら私を受け入れていました。そうして日々が過ぎてゆきました。私の一緒に暮らしたいという考えを戯言と言いながらも二人で食事やその他、楽しい時間を過ごしていました。 お互い何故か安心出来る存在として。仕事の分野が異なり20歳の歳の差というのが助けになっていました。森さんからは20歳も若いのだから仕方ないか・・・、まあそんな物だろう。仕事の苦労もわからないで・・・IT系だから仕方ないか・・・と。 そんなとき、森さんが熱湯で火傷。私の所に電話が。私はすぐに冷たい風呂に入ることを指示しました。熱湯に当たった部分だけで無く足全体を冷やすようにと。30分から1時間冷やした後、タクシーで病院へ行くように指示。 私の経験から患部だけで無く全体を冷やす方法は効果てきめん。傷跡も残ることも水ぶくれで大変な事にもならず完治。そんなことも森さんに信頼感を抱いてもらうに十分だったと思います。 森さんは丁度TVドラマの脚本を手がけていたため大変な事になっていました。私もその頃は不動産系の会社で毎日過酷な仕事をしていました。最近だと労働基準法でそんな勤務時間絶対に許されない時間。月に1日か2日の休み。 1日は8時くらいから24~26時くらいまで。派遣で仕事をしていたので多い時は月収は相当ありました。まあ、脚本のお仕事で稼げる人からすればたいしたこと無い額かも知れませんが、給料でそのくらいもらえるのは奇蹟に近い額でした。 そんな過酷な仕事をしていたので森さんもIT系にはIT系の苦労があるのだろうと理解してくれていたと思います。そのため、お付き合いに費やせるのは早朝、深夜、休みの日。森さんとしては執筆に時間を費やせる丁度良い間隔だったのではないかと。 何度も言うように森さんの周りには魅力的な男性が沢山居たように思います。モテモテです。色々な魅力があったのだと思います。私もそれにやられたのですから仕方ありません。50歳を目前の森さんに少女のような純真さ、魅力を感じていたのです。 森さんの好みは男らしい人。男らしさには色々あると思いますが、その色々な男らしさが好きだったように思えます。男から見ても男らしい、ファッションから素敵な男、これは!と思ってしまう男、仕事に打ち込む男。 私には何となく好みがわかりました。すると自分は何故?自分ではその森さんが私を受け入れた部分を私自身理解出来ていません。もちろんそんな細かい事、森さんが言うはずもありません。 お金も無いし人望もない。オタクで独り立ちしてた仕事でもない。経歴も肩書きもない。森さんのように賞ももらってないし、偉い人との交流も無い。ある意味森さんへの愛情だけ。それだけで森さんが私を選んだとするとどんな愛なのか? 自問自答していました。いずれにしてもそんなストレートな感情に従った行動が森さんの安心感、安定に繋がったのだと思います。私自身過酷な仕事でも森さんと一緒に居るだけで心が安まったのは確かでした。 しかし私には大きな壁がありました。恋愛に臆病な根本は死別。この状況を切り抜けられる精神力というか根性が無いと自分自身わかっていたからです。恋愛をして愛して結婚。そして何時か訪れる死別。 この死別に立ち会わないためには恋をしないようにする事。そう思っていたのです。それなのに惹かれ合ってしまった。森さんに言いました。「私より先に死なないで下さい、老後の面倒はしっかり見ますが私より先に死なないで下さい。 1秒でも良いから」そう思っていました。何処かの漫画にもあった台詞ですが私の考えそのもでした。森さんに告白する際もその壁をどうするか保留のまま思い切っての感でスタートしました。 その時は森さんはどう思っていたのか、おそらく20歳年下が何言ってるんだか・・・そう思っていたようです。もちろんそうなるでしょう。ただ、これらの問題はお互い自分自身との葛藤だったと思えます。 相手がこうだから、相手がこんなだから、と言うことでは無かったためお互いの理解が進につれてその障害は小さくなっていたのだと思います。二人にそれぞれ転機が訪れました。森さんの借りていた部屋の建物が取り壊しとのこと、 否応なしに引っ越すことに。森さんの希望で小田急線沿線に。不動産の会社でお仕事していたのでそのツテを使って賃貸物件を探して梅ヶ丘に決定。引っ越しの手配から引っ越し当日の駐車スペースの手配まで。家の中のレイアウト決定まで。 私の転機は母とのこと。大田区の家を売り払い別々に暮らそうと提案される。売り払ったお金で一軒家を購入。丁度良いので籍を入れて引っ越し。1999年9月8日に入籍して引っ越しはその翌日。森さんの荷物と私の荷物の同時引っ越し。 もちろん荷物割りは私が予め図面からレイアウトを作製し、入念に森さんと計画した物。そんな引っ越しだったので友人2人にお手伝いを依頼。無事引っ越し完了。17年半前のことだ。入籍と引っ越し。 入籍だけして何年か経ちのんびり過ごせるのでよくお茶しに行っていたホテルで2人だけの結婚式を行うことに。花嫁衣装を選ぶ際にデフォルトの衣裳が気に入らない。森さんも余り気乗りしないようだったので思い切って違う衣裳を頼んでみた。 高い、安く上げようと考えていたのに予算オーバー。思わず衣裳さんに「もっと負けて」と値切り交渉を持ちかける。すると周りの空気が一変。どうやら普通は値切ったりしないようだ。私と森さんはその雰囲気をあとで大笑い。 「そうかぁ~値切らないのかぁ~」結婚式の笑い話が一つ増えた。そうしている内に結婚本番の日。私は式のクライマックス、思い切りキスして離さない計画。しかしバレた。私の顔には「ヤルぞ!」と書いてあったらしい。 好意で参加してくれたホテルスタッフも笑っている。牧師さんまで笑っている。森さんはもう最初からイヤがっている。でもキスをしないと終わらないので森さんから唇を奪われざっさと終了されてしまう。計画失敗、残念。 まあ楽しい思い出になった。忘れられない結婚式に。とても嬉しそうな森さんでした。
<略>

 そして17年。長いような短いような。もっと一緒に過ごして森さんの老後を介護で過ごすのが夢だった。ボケてわからなくなってもかまわない。大声出したり私の事を認識出来なくなっても私の側に居てくれるだけでよいと思っていたのに・・・。


皆さまへのお詫び

 私は少し医療系、ケミカル系など少しは詳しいつもりでした、だからこそ初期化も知れないガンの症状を察知していたと思います。そして検査を勧めた。なのにこんな結果に。 何故再検査を勧めなかったのか。こんなに大切な森さんをこんな事にしてしまう事になるなんて。何故もっと大切に出来なかったのか。いつも後悔しないように生きよう、判断しようと思って居ました。 しかしここに来て最大の後悔をしています。何故再検査を。本当に抗がん剤を使った治療が最適だったか?最期まで抗がん剤を使った治療が正しかったのか?最期まで手を握り続けられなかったのか? 最大で最高の後悔です。いろいろな整理をしていると、サインが書かれ、森さんに贈られた本の数。森さんに宛てられたお芝居の感想。森さんを偲ぶ手紙の数。森さんを偲ぶつぶやき。 役者さんからのお悔やみ。その全てが私の胸に突き刺さるのです。そんな森さんを死なせる結果になったのは私の責任なのです。森さんもその事に関して文句も言いませんでした。 でも、文句も言いませんでしたが何も言いませんでした。つまり何か言いたいことを飲んでいたと言う事がわかります。森さんの私との仲でいうところの「仕方ないでしょ?」 恨みはしないけど・・・文句は無いけど・・・そういう含みです。申し訳無いと後悔です。 私の仕事、母、金銭など、様々な精神的苦痛を与え、そのストレスからリウマチ、癌に至ったのでは・・・。 森さんはとても親切、優しくてお人好しで厳しく、頑固で激情的です。でもその反面とてもデリケートな人です。 皆さま、申し訳ありません。後悔しています。
 もちろん幸せだったと思います。でも、発見出来なかったこととそれは別の話です。申し訳ありません。私が不安定な理由はこの後悔です。


森さんと私

 私からはきちんと最初に言いました。私は森さんの世界に出しゃばることはしたくないので今までの森さんでいてください。 あえて結婚したことを言う必要もありません。年賀状を含む郵便物全て私の名前は記載しなくてよいと。そして様々な関係にも干渉しないこと、 誰と逢ってこようとも何をしようとも。私は念のため言いました。芸能界、魅力的な森さん。そして魅力的な男性。これらが集まれば多少のことは起きて当たり前。 お付き合いもいろいろあるでしょうし、お付き合いの形も色々あるだろうと。そう、思っていたからです。悔しくないのか?悔しくありません。だって結婚して一緒に暮らしているのだから、 それで十分です。もしもの時は?「その時には離婚してその人の処に行ってください。」私はそう思っていたし、そのように伝えていました。森さんは自由人です。制約があると窮屈で息苦しくなります。 そう感じていたからそのような話も予めきちんと話しておきました。


森さんと私

 森さんと私は特別な繋がりがあります。言葉を交わさなくても通じ合える、信じられない位の深い信頼がありました。 不思議なものを感じあうことも出来ました。別々のおみくじ売り場で引いたのに、同じ数字を引き当てたり、森さんの昔の家の側を通りがかった時、 何時も真っ直ぐ通り過ぎている路を曲がってわざわざ家の前を通りがかり、「曲がってって言ったでしょ?」と聞くと森さんは「言った、よくわかったね」と・・・。 入院中も怖かったことが・・・朝いきなり「起きろ!」、びっくりして起きると誰も居ない。病院に行って聞くと「朝、言ったよ」と。「怖いから止めて・・・森さん・・・」。 6日夜、初日に向けて床屋へ行こうか、面倒だし別にいいやと思うとなにやら胸のあたりがざわざわと、表現は難しいのですがどうやら森さん「嫌がっている」様な感じが。 普通で考えると「何時も森さんが言ってたことだからでしょう?」と言われると思いますが、違います明らかに「嫌がっている感が襲ってくるのです」これは「起きろ!」「曲がって」と同じ感覚なのです。 仕方なく綺麗にして夕食を取っていると何故か「好き」、意味がわからない。床屋から帰って好きと言われた事が無いのに? このペースで公演中も声が聞こえてきました。色々な指示が飛んできました。 火葬も14日で安置していたのですから公演が気になってその辺にいるのは想像出来ることです。小屋にはよく居ると言われていますが今回は森さんが来ていました。 森さん関連のお客様でも森さん居ましたよ、上手のところに居ましたと・・・。 困ったものです。それに森さんの友人の夢の中へも入院中、お邪魔していたようですし・・・。  火葬したので成仏できたかと思ったらまだ周辺に居るようです。寂しいでしょうし、私の事が心配だと思います。とあるラーメン屋さん、お芝居のチラシをガッツリと毎回貼って下さって居るお店。 お礼を言いに立ち寄るといきなりお悔やみを受けました。この店長さすがと思いました。訃報を既に見ていたとのこと。そんな話をしている最中に、ものすごいざわつき感。 振り向くと路上に駐めた車に写真撮影をする人影。森さんはそんなことまで教えてくれました。まだ・・・私の周りで気を遣ってくれています・・・。ありがとう。森さん。


 私も森さんの影響を受けてか元々そういう素質があったのか?思い返せば祖父が亡くなる前になにやら泣いた記憶が無くもない。実は以前の芝居の時に知り合いが帰る際、何やら凄いざわつき感が。 なんだかわからず「森さんに逢っていってください」と言ってもそのまま帰ってしまった。その2ヶ月後に・・・。 そして森さんと過ごす中、そのざわつきが再び。眠れなくなりました。何日かは余り眠れない日々が続きました。覚悟しなくてはならないと言い聞かせながら。泣きました。でもそのあと森さんが頑張ったのか かなりの期間が過ぎました。油断したせいか安心感が隙を与えたのか、連れて行かれてしまいました。

お芝居好きの森さん

 抗がん剤が次々と効果無いので、慣れ親しんだ名古屋への引っ越しや行きたかった海岸線ぐるっと四国の旅へ行かないかと提案しました。 でも、今のままがよいと言っていました。お芝居が第一だったのでしょう、11月には久し振りの作・演出のお芝居も出来、とても喜んでいました。 お芝居をキャンセル出来ない、してはならない。さすが森さんです。お芝居一筋、責任感のある森さんです。そう、思いました。 作・演出が出来て本当に嬉しそうでした。
 実は森さんに「今回のお芝居、森さんが死んだらキャンセルする」と明言していました。違約金になろうとも一人では到底無理だと考えたからです。 もちろん励ましの意味もあります。素人の私に取っては針の筵、想像も出来ないくらい大変でしたが森さんの為にと頑張ることが出来ました。 台詞の変更、ラストの変更などを伝えると「私が出られないし任せたから」と変更の原稿も見てくれませんでした。 森さん最期のお芝居、そう思っているのに、と悔しい思いを殺しながら毎日過ごしていました。私は脚本家ではありません。しかし森さんと共に本を仕上げていたのです。森さんに聞かれたことを私が答え、それを森さんが脚本に盛り込む。 二人だけの本当の楽屋ウケがふんだんに盛り込まれ、森さんと私、二人のメッセージが至る所に盛り込まれているのです。 森さんにはさんざんたたき込まれました。「脚本は細部まで考えられているのだから少しでも変更すると大変な事になる」森さんはこれまでお芝居やテレビ、ラジオ、ミュージカルなど 多岐にわたった活躍です。文学座にも在籍していたこともあり、照明でお芝居の勘所をイヤと言うほどたたき込まれた生粋のお芝居バカです。 そんな人が書いた脚本は、着替えの時間、伏線、見せ場、出入り、こう演じるだろう、照明はこんな感じで、全てを細かく設計している。そんなことは20年以上つきあっていればバカでもわかります。   お芝居素人でもたたき込まれています。そんな森さんの台本を弄られることがどんなに苦痛だったか・・・。森さん最期の作品になるかも知れないと伝えていたのに・・・。 脚本家初心者の様な気分かも知れませんが、とても辛い現場でした。
 そんなことから役者さん、皆さまには失礼かと思いながらお芝居を観ることが出来ませんでした。ある方からは「森さんのお芝居じゃ無いよね」の声。 役者さんの中には私と同じ考えの方もいらっしゃいました。
 その他、人員不足に陥りましたが、森さんが病室から不思議な力でどうにか操作したのか、 縁に恵まれ、様々な方に急遽お手伝い頂けました。そうした皆さんや、役者さん、裏方さんの協力を得られ、公演が成功のうちに終了出来たのは唯一の救いです。小屋入りしてからもトラブルがあり、100%とは行きませんでしたがなんとか公演を終わることが出来たのが何よりです。役者さん、裏方さん、その他皆さまに感謝です。誰にも森さんが亡くなったことがバレずに進んだのは私の演技ですから、私も役者でしょうか。 森さんも困った人だ・・・私は役者じゃないのに・・・と、私は苦笑しながら日々を過ごしていました。でも、私が出来た唯一の恩返しだったと思います。 私の見立てでは昨年中持てばよい方だと考えていました。何故なら私は森さんの死相を拾って眠れないこともあったからです。しかし、注射ですら大騒ぎして痛がる森さんは頑張りました。 肺の中の水を抜くチューブ、点滴に耐えて無事私がキャンセル出来ない状況を作り上げ、私を残して逝きました。酷い話です。小屋入り日の午前3時。安置して小屋入り。 丁度良い時間帯です。さすが森さん、時間指定までして頑張りました。いい加減にしなさいと突っ込みながら安置して六本木へ。

お詫び

 公演全ての関係者様、ご来場頂いた皆さま、そしてご連絡頂いた方、その他皆さまに謝らなくてはなりません。 嘘をつきました。お許しください。森さんの公演の為です。森さんもそう望んだはずです。いくら役者さんといえども影響がないとは言えません。 いえ、絶対影響したでしょう。森さんを慕って集まってくださった方が殆どだからです。さらに観劇に見えたお客様が泣いたり、大量キャンセルと言うことになれば総崩れです。 精神的な要因で崩れることもあるのでトップシークレットで進める必要がありました。私にこんなに嘘をつかせるなんて酷い話です。でも頑張ったのでしょう。小屋入り、初日、千秋楽。 一番楽な小屋入りの日を選んで・・・辛かったのでしょう・・・。私なら嘘をつき通して公演を切り抜けられるだろう、公演をやり遂げるだろうと信頼していたのでしょう。 でも、その信頼は考えられない程の重圧でした。森さんらしい「やってね」、強引で迷惑、正論な話です。毎晩安置室の森さんに文句を言いながら皆さんの前に立っていました。
 森さんはお客様がお帰りの際に挨拶しようと考えていました。 終演の時間を見計らって俳優座に行く予定でした。介護認定も行い、車いすや介護タクシーも手配して準備万端でした。体調が悪くなった時も食事が喉を通らない時も私は「俳優座行けなくなるぞ!」と言っていましたが・・・・・・ 稽古にも出られず、芝居が見られなかっただけで無く、お客様にご挨拶とお逢いできなかったことは本当に心残りだったでしょう。


お葬式について

 唯一の森さんの遺言で、お葬式、お通夜などは「しなくていい!」と言明されていましたのでその類は執り行いませんでした。 安置から火葬場直行。納棺の際に六本木の俳優座に飾られていた森さん宛のお祝い花をそのまま全て持参し、 それを棺に入れました。そのような場に「お祝い」と書かれた花が並んでいましたが森さんは呆れて「やり過ぎ」と突っ込みながらも笑って喜んでいただろうと思います。 森さんはよく怒りながら喜ぶこともありましたから、難しい人でした。自主公演のチラシも全種類入れました。好きだった着物も入れました。送られてきたお芝居の感想も一緒に入れました。 遺骨は海に撒いてくれとも言われましたがそれだけは死守しました。後々お墓に入れる予定ですが、皆さまには申し訳ありません、森さんの言明です。お通夜、お葬式に参列出来ないのは私の判断ではありません。 私が逆らえる訳がありません。お墓も私の母との色々があり、何時納骨できるかは判りません。「森さん」に「だから撒いちゃえ」と、突っ込まれそうです。そのようなこともあり、去る2月14日火葬をすませ、 現在は当家にて安置しています。戒名も納骨も費用がかかりますので、しばらくは我が家にてゆっくり休んでもらおうと思います。元々宗教はありませんでしたのでそのまま家に置いておくかも知れません。 そういう事情でお線香お線香立ても蠟燭も用意していません。

森さんと私

 私の仕事上の問題でも辞めちゃえと励ましてくれました。 そればかりか就職できない状態でも何一つ文句も言いませんでした。 なんて素敵な女性でしょうか、私はそれに報いようと、いえ、報うとかそんなことも抜きにして、そんな優しい森さんに少しでも役に立ちたい、 喜ぶことを第一にと一心で食事や掃除、仕事・・・執筆活動、様々な事を手伝いました。 執筆中にお茶や茶菓子を用意したり、お茶をすする隙が出来た時を見計らって食事の提案をしたり。 お風呂でマッサージやその他様々な事をしていました。 手伝うと言うよりも報いると言うよりも二人で。私の全ての目標は全て森さんの為にと。森さんの為にというと少しニュアンスが異なりますが、森さんと共に。 二人で一つになる感覚です。全ての意志決定は二人同意見で、方向も考え方も。異なる結果が出ても喧嘩にはなりません。 何時も二人でした。食事、食事の支度、送迎、お芝居の打合せなど片時も離れず一緒でした。 入院中も電話やメール、1日1回~3回の面会で手を繋ぎながら寝たり、マッサージをしたり、仕事をしたり、食事も。私の行動、目標、目的、思考、理由など全てが森さんの為にあるものでした。 他の夫婦はわかりませんが夫婦である事、一緒に居ること、愛し合うと言う事、その意味を誰よりも大切に考えていたからこそ出来る事でした。 ガンはステージ4で手術は出来ませんでしたが、もし切り取る部分があったら生きるために何でも切てしまおうと話ていました。 たとえ腕一本、足が無くなっても生きている事を最重視して治療しようと二人で心を決めていました。
 私の生きがい、目標はもりさんと一緒に居ること。 森さんが喜ぶことがしたい。森さんがびっくりすることがしたい。森さんにふさわしい男になりたい。森さんに好意を寄せる男性がみんな諦める存在になりたい。 私の生きる意味は森さんだけでした。 森さんは私の不器用な失恋状態を見ています。女々しい酷い男、恋愛に不器用でその感情を抑えきれない男。森さんからすると幼い恋愛しか出来ない経験不足の男。 そんな男が森さんを失ったらどうなるか?きっと森さんそれが一番の心残りだったのは誰でも判る事です。そして森さんのお母様を私と一緒に残すこと・・・。 私がお母様をないがしろにしないことは判っているのでそれが唯一の救いでしょう。お母様も私の世話になることを感謝して下さって居ます。 私もお母様に森さんが付いているように見えます。 あちこちに存在しているのでしょう、心配して。こうしてPCに打ち込んでいる間も私の後ろでのぞき込んでいるのでしょう。 もう、どうにも出来ない森さんと私。二人とも歯がゆい思いで過ごしています。

森さんと私

 私の全ては「森さん」、森さんへの愛で構成されています。 その森さん亡き今はもぬけの殻、雲、空気・・・目標も希望も生きがいもない状態です。 寝ても起きても森さん漬け。森さんの為に仕事をして森さんのために送迎して、森さんの為の全てが私の悦び、 どんなことを頼まれても苦痛や苦労とは考えず何でも出来ました。とにかく私の全てでした・・・。
 森さんとは夫婦、パートナー、上司、部下、恋人、相談役、親子、双子、召使い、運転手、執事、枕、暖房器具、資料、掃除機、大工、アドバイザー、調理器具、便利な家電、おさんどん・・・ どんな言葉を幾つ並べても足りない関係です。信頼関係、怒る事、好きな事、認め合うこと、その殆どが一緒で違う部分は容認、尊重することが出来ました。お互いを思いやり、言葉を掛け合い、言葉を交わさなくても通じ合える、信じられない位の深い信頼がありました。
 そんな私です。家で食事を作ろうとしても思い出が詰まっていて何も出来ません。森さんのためにと揃えたキッチン。私が壊して慌てて購入して自分で直したシンクの水道。森さんがガス会社にダマされかけてキャンセルして私が調べて購入したガスコンロ。 揚げ物をするのに丁度良い鉄鍋製の鍋。何でも焼けるのでガスコンロのグリルを使わなくてよくなった鉄製のフライパン。冷蔵庫が壊れて慌てて購入した冷蔵庫。故障して直せなかったので仕方なく購入した電子レンジ。森さんは1回も使わずに。 森さんの為にと揃えたフレスレットやイヤリングの為の大量の材料。二人で何件も探してようやく見つけた今の我が家。2Fの一角は森さんのオフィス。全ては森さんの為に。森さんと二人の歴史です。  森さんは牛、豚、鶏などが食べられませんでした。ラーメンなどは豚肉系のものは全く食べられず、和風出汁でごまかされる支那そばや肉の入って居ない担々麺やトムヤムクンラーメンを食べていました。もちろん野菜やキノコ類、魚介系は食べられました。しかし、それでも好き嫌いは難しく、ウナギやドジョウなど細長い系はダメ。シャコはイメージ的にダメ。生魚は一切食べられないのに牡蠣、赤貝、ウニ、いくら、トビッコ、鮑は大丈夫。マグロはダメ。などかなり偏っていました。 そんなことから外で何か食べようと思ってその辺りを回ると「これなら森さん食べられるかな?」と必ず思わないことはありません。逆にそう考えない場合、何を食べるか基準が無くなって居ることが判り私は結局何も食べられないことが判りました。 テレビを見ながらこれを森さんに教えよう、次の公演に・・・、考えること全てが森さんに関すること。森さんと共にあろうとすることばかりです。それを考えないようにすると・・・何も無くなって居ることに気付きました。洋画やテレビも勉強しながら見ていました。評判になって居るであろう映画を見る必要もありません。旨い物を作ろうとする必要もありません。便利な物を森さんに使わせようとする必要もありません。安い駐車場を見つける必要も近道も不要です。何もかもが不要になって居ることに気付きます。これが喪失感という物でしょうか?何も考えない、考える必要が無い、そんな考えと、考えない様にしようとする事。どうにもなりません。後悔、森さん外無い事、心のよりどころが無いということ、目標が無くて目的も無い、 失恋する前、一人で何の目的も無くただ漫然と生きている時と同じかも知れません。それなのに。失うと言う事は耐えがたいです。
 森さん。お願いです。お芝居の精算が全て終了したら、そちらに連れて行ってください。心臓発作でも心筋梗塞でも脳溢血でも大動脈破裂でもどんな辛い病気でもかまいません。連れて行ってください。お願いです。 普通の人はこういうとき、時間が解決すると言うでしょう。きっと私もそう思います。でもそれでもあえて森さんの側に行きたいのです。そういう愛です。側に居ないと寂しがる、怖がる森さんの側に居たいのです。 私の生きる意味は森さんの為だけでした。貴女が居ない今、生きる意味はありません。生きていては役に立てることはありません。治美さん、貴女の傍に行きたいです。 森さんが安心して成仏するには貴女の傍に私が行くことです。お母様が亡くなってもきっと一緒に成仏してしまうかも知れません。私は貴女と一緒に成仏したいのです。 森さんと話しました。森さんが死んだら私も死ぬと。すると森さんは黙って私と泣きました。それは私に長生きして欲しいというメッセージではありません。 私と一緒に居て欲しいという答えです。それだけ私との愛は深いのです。森さんと私だけの愛です。側に居て欲しいというメッセージなのです。 だから不用意に森さんはそんなこと思ってない、とは言わないで下さい。森さんとのことは私が誰よりも理解しています。 森さんは色々な方々とお付き合いがあったと思います。でも最期は私と一緒でした。うぬぼれかも知れませんが私が一番森さんを理解出来たと思います。 森さんの信頼、安らぎになって居たと自負しています。それは誰にも負けません。だからこそ言います。森さんは私が側に居て欲しいと思っています。 森さんほど人望はありませんし、私が居なくなって困る人も居ません。そんな私は森さんにだけ人望があったのです。森さんだけが本当に必要として無くてはならない存在だったのです。ですから、私の事は余り気になさらずに。

森さんと私

 火葬の日、うっかりしていました。森さんの遺髪をとっておこうと思ったのですが忘れていました。森さんの鏡台の中から数本見つけました。でも思い出しました。髪が長い時に切ろうと決断した時に自毛のウィッグを作ったと。抗がん剤の影響で 抜けた時に使おうかと言っていたのを思い出しました。何処にあるのか探しました。ようやく見つけて安心しました。それは昔の森さんの髪型そのままの一部でした。これで遺髪の確保が出来た、そう思いました。でも何故か すっきりしません。おそらく森さんは遺骨の側にも遺髪の側でもなく、私はお母様の側に居るからではないかと思います。ある事だけで安心出来ればそれでよいかと思いますが、やはり辛いばかり。あっても辛い。捨てるともっと辛くなりそうです。

残された物

 森さんの和服。沢山あります。あげるとか売るとか方法はいくらでもあります。しかし、和服は芸術品だと思っています。美術品は時代と共に高価になっていく傾向があるのに和服だけはどうして? 買取の業者が出来てからその傾向は顕著になりました。芸術品を二束三文で買い取り、好きな価格で売る。民主主義経済では当然のことです。しかしながら森さんが愛用して好きだった着る芸術品を? 売ることもあげることも心の負担になります。更に森さんは体格ががっちりしています。大抵の女性にはサイズが合わないのです。この芸術品をどうするか、頭を悩ませています。  同様にアクセサリーも困ったことに。ブレスレットは35個ほど、イヤリングは70個ほど。リメイクした物、イチから作った物など様々です。森さんの為にと心を込めて材料集めから行ったアクセサリー。 売るのかあげるのか?その材料はどうするか?新しく作って売ればよいのでは?そう思うでしょう。私は芸術系はからっきしです。森さんが喜ぶだろうという基準を元に作るだけで精一杯です。 大体こんな感じと森さんに聞く。OKが出たら作る。そのような作り方でしたからそれらの材料は不要です。行きつけの床屋さんがアクセサリー作りを引退するというので その材料を全部譲り受けました。今までの材料の倍近い量です。大量の材料が宙に浮きました。どうするか?材料とその成果物・・・。

写真

 実は小学校の頃から写真が趣味でした。あまり旨くなかったと記憶しています。その頃はオートフォーカスやデジカメなんてありません。フィルムを購入して現像、焼きと撮影した後もお金がかかりました。 従って撮影してから自分ので目で見るまでにはかなり時間がかかり、どやって撮影したかも忘れていました。そんなことも手伝ってか暫く写真は趣味からはずれていました。 どんな切っ掛けか忘れましたが再び写真を趣味に加えました。が、やはり現像代がかなりの足かせ。仕方なく連続して撮影というわけには行きませんでした。 そんな中、森さんと知り合いました。元灯り屋さん、何処にどうやって灯りを当てればよいのか的確です。凄いと思いました。それから森さんとの二人三脚が始まりました。 森さんがどんな写真が好きなのか?どんな感じで撮影すれば喜ぶのか。森さんが喜ぶ写真を心がけて撮影していると、森さんが残暑見舞いや暑中見舞いの写真として使ってくれるようになりました。 仕事の合間に神楽坂で撮影。仕事で研修に行った時撮った写真。森さんがホテル缶詰で仕事をしている合間にお台場を歩き回って撮影。森さんと散歩やお台場散策した際に撮影したりと。 そうして貯めた写真を少しずつ使ってくれていました。その相手も居ない今。撮影する意味も失いました。このカメラ必要か?写真データ捨てようか? どうすればよいのかサッパリ判りません。

築地

 森さんのお友達に築地で働いていると言う方がいらっしゃいました。かなり昔から知っていたのですが、築地まで行く野が面倒、という森さんらしい理由で何年も行っていませんでした。 或る時、機会あって行く事になりました。さすが場内は場外と異なり、小売はしていないのかとも思ったら大間違い。けっこう少なくも売っていたのです。 でも、藪から棒に「これ1個下さい」なんてことを言えば相手にしてくれません。大体キロ単位で売って居るのです。1個などいう単位で売ってくれません。 そこで、私たちは最低限のルールを決めました。勧められた物は買う。値切りすぎない。横柄な態度は絶対しない。行きつけになると半端物、つまりこれを残す訳にいかない 半端な商品が出てきます。時には仕入れすぎてしまった物もあります。もう少しで売り切ることが出来るのだけど・・・と言うことも。その為、割安で提供してくれるのです。 それを買わない手はありません。しかもお店側が困っているのです。だからそういうときは買おうと。
 あとはまあ、大体考えれば判る事です。築地のそんな処で買うなんて贅沢?いえいえ森さんの1ヶ月ほどの食料を買い込むのですそれなりの量になります。 そこは行きつけのお店。多少なりとも安くしてくれます。もちろん品質は最高です。スーパーの特売にはかないませんが質、量、価格に関してもかなり安いと言えます。 買い出しに行く度に家庭内でお寿司を食べました。ウニ、イクラ、トビッコ、鮑、赤貝、ミル貝やカニ、更に日本産のわさびを使ってです。海苔は大森のあたりの 問屋さんから購入した海苔。お酢は旨いお酢を使用。高いだろう?いえ、それだけ揃えてもお寿司屋さんで食べるよりも遥に安いです。 場外でも買い物をしました。鰹節屋さんです。ダシ粉と呼ばれる色々な物を混ぜてある粉。それと鰹節。これを自宅に帰ってから炙ります。 その後、細かく粉砕すれば長期保存が出来るし出汁を取るにも簡単になります。そんな築地、もう行かないでしょう。

死の対価?

 お金は好きです。お金に困っていると切実です。お金はあるにこしたことは無い。でも今、お香典が少しずつ貯まってゆきます。慶弔金と称して組合などからもらえます。 保険の手続きを行えば死亡保険でいくらか入ります。森さんが最期まで頑張って仕事をしたその対価が振り込まれる。そのお金を私が使う?使えるのか?使ってよいのか? 最愛の人が死んだ。そのおかげでお金が入る。本人が居ないのに対価が支払われている。気持ち悪い。塞ぎ込むこの気持ち。じゃあお金が沢山あれば良いのか? 宝くじでも当たって2億とか3億とか、6億あれば良いのか?億単位があれば借金を返済して追悼公演が出来る。追悼公演で気が晴れるのか? お金があれば楽に暮らせるなら最愛の人を亡くした私の穴はふさがるのか?そんな濡れ手に粟のお金が入ったらと思うこと。 今の状況がよくなれば森さんを想うことは無くなるのか?私の母が亡くなれば遺産が入る。そうすれば何の心配も無くなるのか? そんな都合よくお金が手には入ることは無い、と現実に戻る。するとまた、死による対価が私の前に立ちはだかる。 私は何をしているのか?何をすれば良いのか?

自殺できない理由

 森さんの後を追いかけたい。しかし根本的な問題にぶつかる。自殺はダメである。キリスト教でも自殺すると地獄に行くと言われている。その他の宗教でも色々と天国や極楽浄土には行けないと言われてる。 もちろんそれだけではない。楽に死ねる方法が少ないからだ。電車に飛び込むと何万人影響が及ぶ。残された家族には賠償金を請求されかねない。がけから飛び降りて?痛そうだし。ガス自殺は火災が起きた時に迷惑。 首つり自殺は失敗した時に大変だし、見つけた人が困る。睡眠薬で・・・楽そうだなと考えるがこれも薬を吐いてしまうことがあるので難しそうだ。そんなことを考えていると暴飲暴食や絶食、とにかく偏った食事が 簡単そうだ。それも自殺になるのか?難しい。森さんは早く来て欲しいだろうから余り時間は掛けたくない。今虫歯だからこれをこじらせればすぐに脳がやられるはず。でもこれも確実じゃぁない。どうするか? 楽な方法、考えよう。

なぜそうするか?

 森さんの作品を整理している。ワープロにしか無いデータ。台本しか無い台本。これまでの森さんのスクラップ。 後追いかけるというのに何故整理しているのか?判らない。整理したいからとしか言えない。 著作物として日本脚本家連盟に委託しなければ確実な保護は無いからだ。勝手に使われた場合、 対価を受け取ることが出来ない可能性が出てしまうからだ。でも森さんの後を追うつもりの私が? 森さんのお母様が居るからと言うこともある。きちんと整理して私が森さんに追いついた時に お母様が困らないように。そう考える部分もあるが本質的なところは私にも判らない。 もしかすると森さんが糸を引いているかもしれない。「かたづけろ~」「整理しておけ~」と。 とても面倒。大抵のお芝居チラシに年は書かれていない。○月○日~○日。 年が書かれていないことが多くて捜査は難航。興行主に問い合わせると、そんな古い情報はありません。捨てました。 何となく気が滅入る。せっかく頑張って作った作品の情報、その他の資産が捨てられる。 切ない気分に。整理していればなにか得られるのか?全く判らない。

少し嬉しい

 森さんの最初の作品「じ・て・ん・しゃ」の写真が見つかる。幸いなことにそのセットの写真も見つかった。そのまま掲載!と言うわけにいかない。きちんと許可を 得て掲載する必要がある。青年座に電話した。快くOKが取れた。外に掲げられた看板と一緒に写る森さん。シナリオセンターから贈られた花と一緒に写る、嬉しそうな森さん。 そしてその舞台上のセット。是非皆さまに見て欲しい。見たいだろうかは別ですが・・・。 そのうちサイトにアップします。

森さんはドライブ好き

 森さんはドライブが好きだ。でも、その昔は自分で運転していた。しかもかなりの運転だったらしいがそれ以上は聞かなかった。何時もの通り私は余りほじくり返さない。地雷を踏んでしまう危険性よりもさらっと流すことの方が 大切だと考えたからだ。さて本題へ。そんな森さんは助手席でも決して眠らない。つきあい始めた頃は少し休むと言う事もあった。が、新たな楽しみを憶えたからだ。 それは高速道路を使わない。紀伊半島や能登半島、伊豆半島、房総半島も制覇していた。高速道路を使わず、出来るだけ海岸線を走る。気になるところがあればそこで休憩。 道路が混んでいれば適当なローカル道路を駆使して走る。行き止まりでもかまわない。時にはここは知れるの?と言う場所や農道や砂利道等を走ることもある。高速道路では変わらぬ風景の道路が続く。壁の切れ目から景色が変わるのを眺めるだけ。 それに対して海岸線を走り続けると町並みが変わる。海が見える、山が見える。人が見える、街が見える。空気も愉しめる。面白い看板やお店も見える。こんな楽しい事は無い。 森さんはそれにはまった。とても楽しそうに景色を堪能している。能登半島旅行では有名なアイスクリーム屋さんで全てのメニューを制覇。予定時間を かなりオーバーするが気にしない。そんな旅行が大好きだった。全ての計画を綿密に練り、分刻みのスケジュールをこなす。でも取りやめたり追加したり。 臨機応変でもある。こんなに楽しい旅行はない。そして足を伸ばして新潟へ。そして高速道路で帰ろうと思ったが何となく一般道。ついに自宅まで新潟から自宅まで 一般道路を使って帰宅。途中、甲府あたりでお寺のイベントに遭遇。寄り道もした。 次は四国でうどん巡り。そんな計画をしていましたが、かなわず。仕方なく四国旅行のガイドブックを全て廃棄。 仕方ない・・・。

森さんはアニメ好き?

 森さん、最初は抵抗があった。オタクの私はアニメ世代。8時だよ全員集合などで育った世代。森さんはアニメねぇと言っていた。私は少し先端物が好きでその頃は珍しいフルCGアニメーションのレーザーディスクを見せた。 そこからが始まりだった。そのCGに生を見いだした森さんは私の策略に引っかかりその後発表されたトイストーリーやバグズライフなど、ピクサーのCG映画を見るようになった。そしてピクサーのファンになった。 そうしている内に宮崎駿のアニメーションを見せた。ナウシカ、もののけ姫、千と千尋の神隠し。森さんはもう、昔の森さんでは無くなって居た。ピクサーのショートフィルムを教材に使うようになった。 学生に是非見てもらいたいほどその内容が濃いからだ。ショートフィルムは賞を獲得したりノミネートされる品質なのだ。森さんはピクサーから離れられなくなっていた。 アニメやCGなんてと思っていたのだろうが、違って居た。だから、森さん、次のトイストーリー見たかっただろうに・・・。再来年の夏だったかな?今年はゴーストインザシェルの実写版もあったのに・・・。

森さんはTVドラマ好き

 BSのDlifeでクローザーを見ていた。次のシリーズが重大犯罪課。とてもよく出来ている。カメラワーク、コマ割り、脚本。転換も最高だ。 毎週二人で愉しみにしていた。このシリーズはFOXが先に放映しているのだが残念ながら有料なので見ていない。 次のシリーズ、絶対見たかったのだが、見られない。この番組は何となく昔の日本人が作って居るような感じがする。 とても優秀な日本人が作って居るかんがしてならない。できあがりがスタンダード。 全てが綺麗に出来上がっている。1話ごとの伏線、シリーズ全体に伏線。素晴らしいです。

あちこちで惚気ていた森さん

 ある方からお手紙を頂きました。森さんは生徒さんたちに「私には何でもしてくれる恋人がいるのよ」「あんた達もそういう男を見つけなさい」2番目は惚気?と言う感じですが、森さんらしいお言葉。 私の居ないところで何言ってんですか?仕事の最中に。まあ、幸せだったのでしょう。他にも同じような話をちびちび聞いていましたが、生徒さんからそんな事を手紙で頂くくらいです。 年中あちこちでこんな惚気を言っていたのでしょう。

思い出の店

 今日はお仕事で浅草へ。また、にこやかにお客様を迎えたりお贈りするお仕事。本当に辛い。笑顔なんて何処から出すのか判らない。 その最中、外人さんがのぞき込んできた。軽い挨拶の後、見たいのかと聞く。すると見たい!というのだがもう後半が始まっている時間。 そのまま定価をもらうわけに行かない状態。仕方なく割引するよと言うとクレジットカードが使えるか聞かれる。 無理。現金だけだというと何とか財布から出てきたのは割引価格より低い金額。仕方なくそれでOKする。席へ案内をお願いすると その人も気を利かせてなんと最前列。帰りは大喜び。満面の笑みで帰って行く。辛い。でも、また森さんが私を使って遊んでいるのかとも思う。 また遊んでる?森さん。もう・・・。食事でもしようかと考えながら森さんが大好きなみたらし団子を買おうとお店へ、2本買おうかと思っていたら 丁度1本。森さん、私にはあげない、と言う意味ですか?仕方なくその1本を購入して次のお店へ。甘味処でところてんやあんみつなどが旨い。 森さんが大好きで何回か行ったお店。持ち帰りも出来るので森さんに供えるべく購入。もちろん私は店頭で食べた。その後食事をしようと うろうろ。何も決まらない。森さん抜きで甘味処もだが、森さん基準で店を探すだけで無く、その店を避けてしまう。 つまりどのお店も入りたくない基準になってしまう。どうにもならない。仕方なくカウンターのラーメン屋に。たいしたこと無い。 味気ない。その後何となくぶらぶらと3時間くらい。凄く寒いが気にならない。手足、頭、手足が冷えていく。歩いているのに 一向に暖かくならない。それなのに歩き続ける。和服屋さん、和装小物屋さん。見るのは好きなはずなのに胸に突き刺さる。 何をしているのか判らない。どうして歩くのか、どうして胸が痛いのか?何故?森さんが居ないことは? 何も判らない。

森さんの本

 森さんは本を読む。当たり前だろうが本を読んで勉強する。私のようにITのマニュアルや操作方法などを読むのとは全く異なる。私は大抵3ページほど読み進めると すぐに読むのを止めてしまう。そんな私からするとこんなに沢山、800冊は優にあるであろう本の山を見るとそのすごさが判る。資料本、戯曲集、小説、その他沢山の本がある。 作家さんから頂いた本、こんなのはいかが?と贈られた本。自分で購入した本。森さんはその殆どに自分のサインやハンコを押す。森治美の他に高木晴代、いつの頃の本田か判らない程古い本。 バーコードなんて付いていない本が多く、ネット上でタイトルを検索しても出てこない。だから価値も判らない。某古本買取チェーン店に二束三文で買い取られ、競取りの職人に 儲けられるのもイヤだった。そこで古書買取をしてくれる神田のお店に頼もうとした。寸前で思い出した。学校に寄付しよう。ニホンダイガク芸術学部に寄付すれば、 少なからず森治美の名前が残るのではないか。森さんの授業を受けた皆さんも見る事があるだろう、これからの学生さんの役に立てられればと。 全ての本が図書館に受け入れられるわけではないだろう。残った本は古書買取に。と思った。

 森さんを乗せてきた車は青色のスバルインプレッサWRX、俗に言う涙目インプレッサ。もう20万キロにも及ぶ。その前はGC8というインプレッサWRX限定モデル。 その頃は5万キロくらいだろうか、合わせて25万キロも走った。砧に住んで居る頃に夜な夜な走った距離。伊豆や下田、房総半島や紀伊半島、能登半島の強行旅行。 私の田舎へお墓参りの際に山口県往復。奈良県、兵庫県までの森さん実家のお墓参り。名古屋でのオペラの際の往復。味噌煮込みうどんを食べに行くだけの小旅行。 シナリオセンター、日本脚本家連盟や放送作家協会、アイム、日大、昭和女子などの往復。あらゆる森さんのお仕事の片道から往復の距離、全てが25万キロ。 森さんと私の歴史がその長さである。初期の頃は森さんのアッシーです、と行っていましたが、まあ今まで全てそうかも知れませんが、ドライブデートとも言えます。 25万キロのドライブデートです。それだけ走るとトラブルも多かったのです。そろそろ車が軽く1台買える以上にかかっています。交換した部品は数知れず。 ラジエーター、スターターモーター、ウオーターポンプ、ABS、オルタネータ、ブレーキディスク、ローター、クラッチ、タイヤ、ショック、バネ・・・。 そんな故障の時もお金が無いのに文句一つ言わず・・・。私が怪我をして左手を手術した時。送迎が出来なくなりました。でも森さんにお願いをしました。私の代わりに シフトレバーをお願いしました。私の車はオートマでは無く、マニュアル車。クラッチを踏んでシフトレバーを操作。そしてクラッチを戻します。 この工程で森さんにお願いしました。クラッチを踏む、森さんに「アップ」「ダウン」と指示してシフトレバーを操作してもらいます。 これで1ヶ月くらい運転してました。森さんの操作は的確でした。凄い。

森さん以外の人を愛せるか?

 時が解決するかも知れません。時間が経てば傷が癒えるか?でもそれと恋愛は別の話。傷が癒えて一人で暮らしていることを考えます。ひとりぼっちだと思います。そんな自分を考えた時、 今のところそんな寂しい自分はお断りです。しかし考えて見てください。森さんをよくご存じの方、森さんより素晴らしい人を私に紹介出来ますか?私を愛してくれるかも知れない人を 私に紹介出来ないはずです。それ以前に森さんほどの人が自分の周りに居ますか?優しすぎるほど優しい。良妻賢母の傾向があって仕事が出来る。人望も厚く信頼されており。 悪く言う人が見当たらない。ふと見ると少女のような顔をする。車の運転が出来るのに助手席に甘んじて寝たりせずに私の運転を見守ってくれる。 朝には昼間に着る服を用意して、風呂に入る前には寝間着を用意してくれている。純真で照れ屋で凄く強い芯があるのにデリケートで怖がり。強情で泣き虫でお芝居が大好き。 私にはもったいないどころか恐れ多い存在。そんな人に愛されていたのです。森さん以外の人を愛せるとは到底思えません。それどころか森さんだけでもう、必要ありません。 すぐに森さんと比較してしまうことでしょう。森さんとは愛し合うことで上手くいっていた関係です。愛しているからこそお互いがお互いを思いやる。 何も苦にせず、文句も無い。最期までお互いを思いやりながら森さんは亡くなった。私を信頼しながら亡くなったのです。森さんは私が森さんの側に行くことを心待ちにしています。 そんなときに他の女性を愛しているヒマはありません。頑張って森さんの元に早く行かなくては・・・。

森さんとの思い出の品

 先ずはマッサージ機。森さんが初めて梅ヶ丘に住み始めた頃。肩こりが酷い森さんの為にプレゼントした物。 毎日森さんはそれに座ってマッサージ。もちろん私が足下に座って足裏を揉んだりもした。だから20年以上前と言う事になる。 そんな思い出があるマッサージチェアー。さらに寝そべってマッサージが出来る物もある。これは結婚してから購入した物。 こんな大きな物、どうする?ベッド、もちろんダブルベッド。こんな広いベッド、洗い物は面倒だし、引っ越しした先で使えるか? 元々はウオーターベッド、スポンジが駄目になったのでマットレスをIKEAで購入して入れ換えた。 ダブルベッドのマットレスを3Fまで一人で持ち上げるのはとんでもなく大変だったのを憶えている。 まだまだ、沢山あるが・・・どうしよう。

森さんとの愛

 私は恋愛に臆病でした。愛した人が居なくなることに耐えられないと思っていたから、愛すると言う事が理解出来なかったから。森さんと一緒にいたいと思うことをどのように処理したら良いのかわからなかった。 そんな状態で森さんのところに何度も足を運ぶ。もちろん森さんはそんな状況で私を受け入れると森さん自身も「どういうつもりか?」とある種の不安定に陥る。 どうしたらよいか、どう扱うべきか迷いながら私を受け入れた。何故受け入れたのか?森さんの優しさ、森さんの心の隙間、私の森さんへの気持ち。しかし年齢、趣味、仕事が障害とは思っていなかったようだ。 あくまでもお互いの気持ちが中心だった。そこが今までの森さんとの関係が続いた理由だと思う。私の女性に対する考えや古風な考え方。森さんへの気持ちや敬う気持ち。それらが森さんの迷いを少しずつ 変化させたのだと思う。森さんはある時期、私に「愛して」と言っていた。その森さんに答えられなかった。本当に愛せるか自信が無かったのと死別が怖いから。でも森さんが私に本当に愛して欲しいのだと 思うとようやく踏ん切りが付いた。「愛してます。一緒に暮らしてください」と森さんの誕生日に婚姻届をプレゼント。森さん自身も戸惑って居たのか大喜びとまではいかなかったが、私の前で大喜びをしない 森さんを理解していたので十分だった。暫くすると森さんは「愛して」とは言わなくなった。何故なら私が「愛してる」と言うようになったからだ。森さんは不安定だった。だからこそ私の真意を測りきれない部分も あった。何故私の所に来るのか。どうして私を?そこへ私がはっきりと意志を示した。気持ちを表した。でも森さんが私の気持ちを疑う余地が無いように「愛してる」は常に言い続けた。もう、何回言ったか判らない 毎日、何かことある毎に。もちろんそんな恥ずかしいこと、他の人に聞かれたくない。それに私たち2人だけのことを他の人に聞かれたくなかった。神聖な2人のことを。だから誰の前でも「愛」について言ったことは無い。 森さんが私がしたことに「そんなことまでさせて悪いね」と思っていると思われる時に「愛してる」と言う。仕事が終わって車に乗り込んだ時に「お疲れさん、愛してるよ、食事は如何する?何作ろうか?」。 お風呂で足裏マッサージをしながら、就寝時のマッサージしている時、ありとあらゆる機会に言う。ありがとうの後に、気持ちを表す言葉の度に言う。森さんは余り感謝の言葉を口にしない。でも, それを上回る事をしてくれている。全ての行為が私への愛を示している。文句を言わない、弱音を吐かない、怒らない、料理、洗濯、掃除。そして仕事。どちらが男だか判らないくら強かった。 天邪鬼の森さんは愛してるとは言わない。「愛してない」と公言していた。理由は「愛されたいだけ」そう言う。それだけで十分愛していると言っているような物だ。 愛されたいから一緒に居る。一緒に暮らすことが出来る。そういう愛の形と言える。まあ、そんな理屈はどうでもいいが、愛し合っていたことは誰の目にも明らかだ。森さんとしては そんな「私の事愛してる?は愚問だから愛してるなんて言わないぞ」という意思表示だ。素敵な人だ。僕はそんな森さんの「愛してない」に「じゃあ僕は愛し続けるね」と・・・。

森さんの愛

 森さんは優しい。とことん優しい。私だけに優しいだけでは無く他の人も優しい。でも私への優しさは半端ない。森さんは昨年の4月から積み立てを始めた。そう、ガンが疑われたその時から積み立てを始めた。 少しでもお金を残そうとしたからだ。もちろん積み立てをするのも苦しいほど困っていたにもかかわらず積み立てた。私の名前と森さんの名前で。高額な積み立ては出来なかったのでほんの少しだけ。 それでも残そうとした優しさ。こんなにお金で苦労を掛けたのにそれでも私にお金を残そうとした。積み立てを始めたのは知っていたので、借りる金利を考えたら積み立てなんかしなくても良いのに、と私は言った。 なのに私に残そうとした。こんないい嫁さん、パートナー、妻、女、いません。金輪際そんな優しすぎて気遣いが過ぎる女性は絶対にいないと思う。私が愛した森さん、愛しています。

森さんへの愛

 もう森さんはいない。でも思うことはそのままの体で置いておきたかった。その方が何か語りかけてくれているようだったから。お芝居の公演中は毎日森さんに逢いに行った。 安らかに寝ている姿を見ることが出来、触ることも出来た。今は触ることも出来ない。そのままであれば抱きしめることも出来そうだ。森さんの何処を触っても手になじむ。 森さんの体は触っていないところは無い。マッサージは多岐にわたり、体中触っているからだ。その体の曲線は私の手の記憶にある。何処を触っても安心出来た。 森さんの頭を撫でながら「頑張ったね」「バカ」「ありがとう」と色々な声を掛けた。帰る前には「お疲れさま、愛してる」と。 火葬の出棺時は沢山言いたいことがあった。どんな声を掛けても足りないくらいだが、気持ちを思い切り込めて「愛してる」それだけを伝えた。伝わるのだろうか、と思いながら・・・。 火葬場は臨海斎場。森さんはお台場にお気に入りのホテルがあった。それくらい海や綺麗な景色が好きだった。だから海が直接見えなくても潮風を感じられる臨海斎場。 用事で世田谷区役所に行った時やたらと目に付いた。おそらく森さんがここにしてくれと言っているように目に付いた。だから決めた。

森さんへの愛

 涙もろい森さん、照れ隠しもあってあまり喜ばない。森さんは入院しているので私だけお墓参り。増上寺なので御利益もあるのでは?ということでお守りを購入して森さんの元へ。 この時は森さんの目からは涙が。森さんは私のこんな些細な事が大好き。森さんが色々な事を頑張ってしてくれるが、私は森さんを全力で愛している。それがとても嬉しいらしい。 転職活動中も何処かへバイトにでも行った方がよかったかも知れない。でもそれは森さんの送迎も森さんの仕事の手伝いも日常の補助が出来なくなる事を考えると微妙だった。 お金を取るか補助をとるか。ある意味補助でよかったと思う。夢のつづき、マクベス上演、ある日、ある時、記憶のパズル。ずっと最大限に補助することが出来た。 森さんも私がいなければ出来なかったと言ってくれていた。でも、ごめんなさい。甲斐性が無くて困らせました。いくら幸せでも困らせて心労を掛けました。ご免なさい。

森さんの愛用品

 森さんは以前手書き派だった。かなり長いこと手書きだった。その手書きをそのままFAXしたり、原稿を丸ごとコピーしてからバイク便などで送ったりしていた。 しかし、メールで送って下さい、と頼まれるようになってからそうも行かなくなってきた。時間的に余裕があれば私がPCに打ち込んで森さんが再確認してからメールで送付。 私がデータ化するのにも限界があった。仕方なくワープロに移行。ワープロのデータをフロッピーディスクにコピーして私が送る。 でもそれにも限界が見えてきた。漢字変換がおバカ。漢字が出ない。色々と不具合が見えてきた。仕方なくPCでワープロソフトを使う。 森さんに今更PCの使い方を教えるのも教わるのも煩わしい。というかPCの専門家になる必要もない。 そこでPCの電源を入れるとワープロソフトが起動するようにした。保存方法と電源の操作などを教えて後はワープロの使い方を説明。 あとは私がそのデータをメールする。初期の頃はプリンターが別のフロアにあるので私が印刷していた。少し馴れると自分で印刷して 3階まで取りに行っていた。森さんのFAXが壊れた時にFAXプリンターに交換すると自分気軽に印刷出来るようになった。 コピーも綺麗でとても喜んでいた。PCはDELLの古いラップトップ。windowsXp。ウィルス対策もしていない。インターネットに接続出来ないように セキュリティを強化してある。自宅内もルーターで固めてあるし、メインPCから色々と監視してあるので不要と考えた。 おかげで一度もウィルスに感染した事はない。何年使っただろうか、思い出が一杯詰まっている。ワープロ機のデータも整理しないとならない。 データ吸い上げがとても面倒だ、フロッピーディスク・・・。

家族

 森さんのお母様が体調不良を訴えている。どうにもならない。元々神経性の体調不良が多い家計なのか病院に行っても完全な病気とも言いがたい状況。 森さんもその状態があった。出会った頃、少し心を病んでいるというか「う~ん」と思うことがあった。鬱というか旨く表現出来ない。感覚的な物なのでこの間隔を人に伝えられない。 お母様にその漢字は受けないが当然自分の子供が亡くなったのだ。おかしくなって当然だ。私だってそうなのだから。ましてや94歳。この年齢で掃除洗濯掃除が出来る。 完全に出来るとは言わないが出来る範囲でしてくれている。でもその限界がそこに来ているのだろう。森さん出なくても心配だ。私はというとまだ様々な処理に飛び回っている。 相続に関する分配割合、負の遺産とどう向き合うか?森さんの著作物を守りたいが負の遺産はそれを遥に上回る。 そんな森さんのわずかな財産すら守れないとすれば、なんと情けない夫だろうか?まあ、森さんは過去の著作物に余り未練は無かったのでそんなに固執する必要は無いはず。 こういうことも話したことがあった。遺言とまでは行かないがもりさんはそういうどうしようも無い事に躓くと「しょうがないよね」というか「黙る」。しょうが無いよねのときは 明確に私に任せたと言う事。任せてもOKということだ。私が放棄しようが私が管理しようがかまわないと言う事。なるようになるか・・・?

森さんの残した物

 今日はお仕事で役者さんのプロダクション向けオーディションに参加。見ていると森さんの言うことが良くわかった。「文学座とか青年座とか、みんな見ただけでわかるよ」本当だ、まず見た目、立ち姿、そして発声方法、お芝居。 何となく判る。プロフィールの紙を見ないで見てみる。殆ど当たる。文学座、青年座、円、俳協などみんなクセというかなんというか言葉に出来ないけどみんな個性の上というか下にその基本がたたき込まれている。善し悪しではないが みんな染み込んでいる。私は森さんの影響かどうしても文学座ひいきになる。文学座のお芝居が好きだ。でももちろん文学座出身の方々皆さんがよいと言うわけではない表情の使い方、身振り手振り、体の使い方、歩き方、呼吸の使い方 、間の取り方、そして自己アピールの方法。自己アピールの方法は重要だ。縄跳びや曲芸もある程度は必要かも知れないが、やはり中心はどんなお芝居が出来るかだと思う。これも森さんの影響か?
 ある役者さんが声優を目指したがその後声優は声優である前に役者であるべきだ、と。涙が出た森さんともさんざん話していたことだ。昔は役者さんが副業として声の出演を始めた声優。しっかりと役者を務めていた方々が声優をしていたのだから それは凄い事だと思う。もちろん声優養成所もそのあたりは認識しているので役者としての勉強もしている。しかし、やはり役者からの勉強とは費やす時間が異なる。だからそういう話には弱い。
 私は素人です。でも、森さんに教育を受けていたのだと痛感します。

消えていく思い出の場所

 森さんとの出会いは自動車学校。今は無き二子玉川園の東急自動車学校。大規模再開発により公園になっている。周辺全部根こそぎ開発されてしまったので思い出もへったくれもない。 その他になくなっているのはホテル日航東京、建物はそのままにヒルトン東京お台場に。何故か以前メリディアンだったホテルが日航ホテルに。ホテル業界の再編も思い出をぶちこわす。 だからといってその場所に行きたくない。行くと思い出が蘇り哀しくなるからだ。こうして書いていても切ない。ラストナイツという映画があるがそんな感じである。主君を無くした騎士が行き場を失う。 全くその通りだと思う。私も今、行き場を失っている。ただ、仇討ちという目的があればまだ暮らせるだろうが私にはその目的すらない。森さんの思い出を思い返し感傷に浸る意味さえない。 浸ろうが落ち込もうが何をしても森さんはいない。相変わらず食事をしようと街をぶらぶらしてみても何処にも入れない。飲み屋のアルコールと様々な料理の混ざった臭くて変な匂いのする店には入りたくない。 自然とラーメン屋、立ち食い蕎麦、牛丼などになる。家で食事を作るのもおっくうでレンジでチンで出来る物やフライパンで暖めるだけの焼きめしだけ。冷蔵庫にある在庫は減る一方。 森さんの為に購入した干物などは冷凍庫でそのまま。そのうち捨てることになるだろう。もう築地に行って買い出しも無意味。たとえ旨いと判っていてもわざわざ買いに行く気も無い。 築地もそのうち無くなるもの、いつも買いに行っていたお店も店をたたむ事だろう。ずっと通って居た店も移転を前に閉店したのだから、あと何件閉店するのだろうか。 もう、5ヶ月以上行っていないのだから現状も判らないし興味もない。仕方の無いことだ。 どんどん思い出が消えていく。なのにこの切ない気持ち。森さんがいないというこの現実。暴れたい。街を歩く女性に目をやる。魅力的な女性はいないか?出会い喫茶、出会い掲示板。お見合いパーティ。 何を考えてもどうにもならない行き止まり。戦争やテロで人が死ぬと言うことを実感出来なかったが今は違う。こんなに切なくて行き場のない感情が私を破壊している。自殺という話題をニュースで見ていると 仕方ないと思っていたが自分自身にその考えがピッタリだ。地獄に行こうが天国に行けないとしてもそんなことは本人にとってどうでもよいことだ。その苦しみから逃れるため、先だった妻、寂しそうに待っている 妻を追うことが罰せられるのであればそんな神は不要だ。こんなに愛し合う2人を引き離す神など糞食らえだ。愛の力が強いほど寿命が長いというなら私たちは不死になるだろう。

癌治療

 森さんの癌治療はスタートが遅かった。近所のかかりつけ医から大病院へ紹介された。しかし精密検査まで1ヶ月を要した。病気が確定していないと入院検査が出来ないらしい。 知り合いの医者にもっと早い検査が出来ないか頼んでみたが結果はほぼ同じ。治療を早く始めればそれだけ延命出来るのではないかと思う当事者にしてみれば当然のことだ。しかし医者はこともなげに言う、「1ヶ月先です」 そして検査の結果。悪性腫瘍である事が判明。そしてこの手の癌に効くとされている抗がん剤は当てはまらない型と言う事も解った。ショックは大きい。先生に単刀直入に聞いた。「この手の癌が得意な病院はありませんか?」 「この病院で大丈夫ですか」と。森さんとも相談した。「抗がん剤を使わないという手もある」と。しかし我々にしてみれば一刻も早く抗がん剤投与を希望しているのでそのまま治療してもらう事に決めた。選択の余地は無い。最初の抗がん剤で髪が抜けるかと思ったらそんなこともなく、副作用も殆ど無い状態。 初回の投与では激しい副作用を警戒する意味で入院が必要となる。森さんも私も離ればなれになるのは辛いが頑張った。そして退院。日常生活を送る。そして検査と抗がん剤投与が続く。しかし芳しくない。小さくなったようにも見えるが…と歯切れが悪い。 仕方なく次の抗がん剤。今度の抗がん剤は髪の毛が抜けた。凹む森さん。頭を触る度に猛烈に抜ける。長年お世話になっている、大好きな美容院で何時もこんな髪にしたの、どう?と楽しそうだった。その髪が抜けていく。 帽子を買おうとすぐにamazonで購入。お台場でも購入。森さんらしいファッションに早変わり。そして効果無しの判定。次の抗がん剤。今度は最近テレビでも特集を組むほど効果絶大と言われていた抗がん剤。髪が少しずつ伸びていく。 私とは違ってはげているわけでは無いのでお風呂で毎日頭皮マッサージ。凄く気持ちよさそう。毎日「伸びてきたねぇ」「このままの髪型もいいねぇ」と励ます。まんざらでもなさそうだがやはり髪型が変えられないのは辛そうだった。 そして肺に水が溜まってきたので抜くことに。この判断が正しかったかどうかはわからない。その期間抗がん剤を使用していなかったからだ。外科的に肺に穴を空けて傷口を作るのだから抗がん剤は使用できないらしい。 そんな最中に雑菌に感染。入院が伸びる。長い入院期間、森さんの体を暖かいタオルで拭き、アルコールで拭いて、パウダーを使ってサラサラにしてあげる。 食事もサラダを作ったり、お吸い物を作ったり、ラーメン作ったり。果物や様々な物を作って持って行った。 そして何とか退院。1日だけ稽古場に出た。家に帰ると着かれたせいかソファーでそのまま就寝。起きたり寝たりも辛い。お手洗いや階段の上り下りなどが辛いので私もキャンプ用ベッドを使って隣で寝た。 私もキャンプ用ではちょっと辛いので空気で膨らますベッドを購入。しかしそのベッドが届く前に森さんは痛みを訴えた。「痛い」痛み止めの薬を飲んでいても無理なようだ。モルヒネで何とかする時期が来たと思った。 そして入院。毎日色々な物を持って行った。おつな寿司のいなりを買っていったが1個しか食べられなかった。近所のいろいろな種類の薩摩揚げもあまり食べられなかった。薩摩揚げ用に作った特性生姜醤油をサラダに使うからと それだけを持って行ったり。一応聞いて見た。「何を食べても最期になるかも知れないから何でも言って」が、既に食欲が無くなってきていた。
 この最期の入院で先生にお願いした。「次の抗がん剤をお願いします」森さんもその話には何も言わなかった。死を覚悟していたのだろう。しかし弱音は全く吐かない。私と知り合った頃ならもっと感情を表していただろうが 何も言わない。私に任せたのだろう。泣いたり私を避けることも無く頑張った。そしてその効果も無く逝った。
 後悔、疑問に思うことがある。抗がん剤というものの存在だ。抗がん剤を使わなくても長期間生存出来た人も多い。抗がん剤は毒だ、抗がん剤は外国では使わない。使うことは推奨されないという意味が良くわかった。 抗がん剤は効く可能性がある。が、効かない場合は毒である。従って高価のない抗がん剤を使い続ければ早死にする可能性が高いと言うことだ。 3種類も空振りした森さんは体にダメージが蓄積されていたのだろう。最期の抗がん剤は癌治療のためで無く寿命を縮めた可能性が高い。そう思えてならない。 これも私が後悔する理由だ。森さんは私に任せた。弱音も吐かず。ちょっぴり弱音を吐いたのは森さんの手帳。私と一緒になってから書かなくなった自分の事を書き始めていた。 それは不安の表れだ。それでも泣きもせず、頑張った。私と一緒だったのは本当によかったのだと思う。でも…私はそれに答えられなかった。死なせてしまったのだ。 抗がん剤は使うか使わないか。そこからが分岐点だ。

片付け

 森さんの遺品、特に和服、イヤリング、ブレスレット、鞄など捨てられない物は沢山ある。でも、引っ越しに向けて不要品は捨てなくてはならない。 そこで自分の物を捨てようと思った。すると以外と沢山ある。台湾に行ったときの工程表やその他、能登半島一周の際のデータ一式、紀伊半島一周のデータ。 それらは10年後、20年後に何処かへ旅行しようと言うときに引っ張り出して話せる思い出にと保管していた物。今となっては不要だ。捨てていいのか? 捨てるしか無い。他にも色々ある。小道具として使えそうな物、森さんの書類などをデータ化する為の機器、私の物でさえ殆どが森さんの為にある物だ。 気にしていなかったがそんなに森さんの為に物が増えていたのかと思う。もちろん携帯もそうだ。今は全部で5台。森さんの携帯、私の携帯。 そして森組芝居の携帯、チケット販売用の携帯。そしてインターネットに接続出来るiPhoneとipad。いずれも森さんの役に立てるようにと購入して居た。 よく考えるとその全てが不要だ。携帯1台で十分だ。不要品の山。こんなにも森さんのいない影響が私の持ち物まで影響していたと痛感。 別に私自身、何かを犠牲にしていた自覚はないし、犠牲を伴っていたら20年も一緒にいられない。第三者から見たら犠牲かも知れない。 どうやったらそんなに妻にしてあげらあれるのか?そう思ったら私たちをずっと見ていればわかることだ。だが、もう今は誰も見る事が出来ない。

森さんの魅力

 私は最近の言葉で言うところのコミュ障である。人と話すのは苦手だ。コミュニケーションが苦手と言う事と話す内容について行けない事だ。 逢って日常の話をする。あの人はどうだとか最近のニュースがこうだとか話すのが苦手である。日常のニュースについて自分が何かすることが出来る物ではないし、 関係しない。何か影響がある事だとしてもそれを変更する事や回避することは出来ないからだ。芸能ニュースだって誰が誰と結婚や離婚、不倫したって関係無い。 何故みんなそんなことに影響されるのかさっぱり判らない。だからそんなことを話題にして話すのは苦手だ。そんなことを全く意に介さず森さんは話しをしてくれた。 森さんは目を合わさないで話す私にもしっかり見て話してくれた。目を合わすことを強要もしない。責めもしなかった。いつしか私は森さんの目を見て話すことを 憶えた。 何か自信というか暖かい物を感じた。そうやって森さんと話していると森さんに少女を感じた。表情とか顔の角度で言う事ではない。そう見えるのだ。 そのあたりから森さんの魅力が判ったのかもしれない。もうすぐ50歳という森さんの魅力、もしかすると森さんも…。私の何処に魅力を感じたのだろうか? ざっくばらんに聞いたことがあった。「古風だから」たったそれだけ。森さんらしい回答だ。聞くだけ野暮と言うこともあるだろうが、こんな答えだ。 最終的に人を好きになるのはいろいろな要因がある。森さんは私のようながっちり体型は好きじゃ無い。どちらかと言うとほっそりタイプらしい。 しかもハゲ。服装だってファッションだってダメダメ。何がよかったのか…。私のようなコミュ障でもある程度人前に出せるようにしてくれた森さん。 そんなところも魅力的だ。
 なのに私は再びコミュ障だ…。

うらやましい

 ムッシュかまやつ氏が亡くなった。不謹慎かも知れないがうらやましい。奥さんを亡くして1週間後に。2人ともガンだという。たとえ1週間でも妻を看取ることが出来たのであれば幸せだと思う。 そして落胆して力尽きた。そう考えることが出来る。とても羨ましい。私は森さんが亡くなってからすぐに死ぬわけにはいかなかった。だからまだ生かされているのだと思う。まだ皆さんのギャラをお支払いできていない。 それと森さんのお母様のこと。私と同じくらい凹んでいる。当然だ。長女が亡くなったのだ。しかも一緒に暮らしていたのだ。お母様も一緒に2人の中に入ってきた、お邪魔?と思っている。 ゆえに感謝しているようだ。私としては森さんの家族なんだし、そんなこと当然でしょ?と森さんに言うと泣いて喜んでくれた。私に取ってはそんなこと別に感謝なんて…と言う程度だ。 感謝されるほどの事はしていない。森さんの私に対する事全て考えたらそんなことたいしたことじゃないし、別に恩返しだから一緒に住んで良いよ何って事も考えていない。 まあ、森さんと私は【バカ】が付くほどのお人好し。そこが2人の間の愛情に繋がっているのだから仕方ない。さて、本題に戻すと、お母様を看取らないと連れて行ってくれないのではないかと 思っている。なのでお母様が一人でも暮らせる環境を作ればきっと連れて行ってくれるのではないかと思う。頑張って色々処理しないと……森さん、待ってて下さい。 すぐに行けるように頑張ります。

この世界

 食事の際にいないこと、振り向いてもいないこと、寝ても覚めても誰も居ない。これを総称して森さんのいないこの世界にいたくない。森さんのいない世界に私は存在したくない。と言うのが 正直な話である。森さんのいない世界で何か楽しい事があったとしても森さんはいない。失恋したのであればまだその相手は同じ世界にいる。何かの機会でまた出会う事だってあるかも知れない。 でも、そんなことはあり得ない。この世界にいないのだから。だからこの世界には未練は無い。大金持ちになれたとしても、女性にモテモテでバラ色になったとしても全ては空しい。 それだけ素敵な女性だったのだ。森さんは。そんな素敵な女性と20年以上過ごしてきたのだ、いなくなった喪失感はきっと誰にも判らない。今までに相手を失った人にも判らないだろう。 そう、誰にも判らない。今はガンの相手との映画も夫婦の話の映画も見れない。それどころか何を見ても見たくない。食事をしている最中、仲良くしているカップル、夫婦、全てが哀しみの対象だ。 もう、森さんのいないこの世界にいたくない。1秒もいたくない。

ストレス

 森さんがいれば話すことが出来る。同じ性格というか同じ方向を見ている二人はその様々な事を共有し、助け合うことが出来る。従ってこんな事があった、このようにした。 など話をする事によりお互いの価値観を確認する事が出来る。そうすることでお互いにストレスを解消できたのだと思う。しかし今は一人。そういう息抜きも安心感も無い。一緒にいるだけでもストレスを 解消することが出来るのにそれが出来ない。手を繋ぐだけでもいい、抱きしめることが出来れば。そう思うとなおさらストレスが溜まる。狂ったように暴れたくなる。身の回りにある物全てを破壊したくなる。 その衝動を抑えるためにストレスが溜まる。友人は殆ど居ないが友人に慰められたとしてもそれは鬱陶しい。だから私の友人は電話やメールをしてこない。私と森さんの愛を理解しているからだ。 時間が解決する、そう言われてもムカつく。森さんはガンバレと言っているよ、そんなことを森さんは絶対言わないと判っているから悔しい。今、私は森さんのいない虚無とストレス。後悔と哀しみに埋もれている。 睡眠時間も判らない。気付くと昼の時間なのか夜なのか分からない事が多い。灯りとTVを付けっぱなしで落ちている。寝ているわけではない。どうしたらよいのか?どうすべきなのか?その答えは絶対に出せない。

森さんの日記

 森さんとは遺言とまでは行かなくても色々と小さな確認はしたことがある。森さんが先に死んだら日記とか色々な物、見るよ。 宣言通り見てみる。心の中が書いてある。さすが物書き、読みやすい。小説は2ページくらいで読むのを止めてしまうが、止まらない。 知りたい人の内側が見えるのだからそれは止まらない。色んな苦労をしてきた森さん。私なんか足下にも及ばない。 葛藤、後悔、悦び…様々な心の叫びが私の胸に突き刺さる。ますます森さんへの愛が深まってしまう。 生きているうちに読んでいたらもっと愛せたかも。もっと奉仕できたかも。もっといたわっていたかも。 もっと一人の時間を作ってあげられたかも。森さん、究極的に優しい。そして心からお芝居が好きだという事が 極限まで伝わってくる。書きたい、続けたいと何度も言っている。今すぐ力一杯抱きしめたいくらいに。 それだけにここ数年森さんのお芝居に携われてよかったと思う。きっと感謝していたのだろうと。 そんなこと殆ど言わない森さん。本当に私たちは愛し合っていたのだと実感する。 もっと本音でぶつかり合っていてもよかったのに奥ゆかしく二人だけで愛し合っていた。 森さんの魅力をますます感じて深夜に飛び起きてこんな事。書いてしまう。 書かずにいられない。本当に力一杯、愛してます。森さん、大好き。

独り言

 こんな状況でも仕事をしている。福島、水戸へ出張。電車に乗ると森さんの事しか考えられないので車にした。殆ど自腹。その方がまだ楽だと考えた。 しかし、それでも辛い。隣に森さんがいない。いるのかも知れないがそれは私には感じられない。残念だが私の霊感はそんな物だ。 馬鹿な走り方をしてみる。このまま…と思ってみたが何とも無い。事も無く走ることが出来る。急カーブでこのまま、長い直線からそのまま行けたらと思う。 路面凍結も無く故障もせず走り抜けた。福島から水戸へ4時間くらいずっと山間の路を走る。通常出さない速さで走る。森さんがいたら怒り出して降りてしまうだろう。 そんなことをしてもどうにもならない。判っているがどうにもならない。 森さんは病院でこんな事を言った。「来たときに一緒に先生と看護婦さんが2人一緒に来たよ」私は3人憑いているのだろうか、それとも私が連れてきてしまったのか?判らない。 確かに脳挫傷でも何とか復帰出来たし、障害が残った耳も大分治った。左手首の手術も成功して普通に使うことが出来ている。 それでも森さんを救えないのなら意味は無い。森さんの後を追うのに邪魔なだけだ。 こんなに苦しいのに出来ない。どうしたらよいのだろう。

お駄賃?

 近所の人にもまだ、訃報を話していない人がいる。そう思ってたまたま外に出ていたその人に声を掛けた。訃報を既に送っていたようで理解していた。 面倒な話になると辛いのですぐに退散。するとすぐそこに××円が落ちていた。森さん、駄賃か?

よからぬ事

 毎日辛くなるばかりだ。今日は毎年健康診断を行っていたクリニックに行って森さんの胸のレントゲン画像を取り寄せた。 以前から気になって居たので毎年のデータを比較してみることにした。 どれだけレントゲンが無意味なのか見てみようと思った。まだ、見れていないが…。車を駐車場に置いて歩く。沢山の車、と亜rっくが行き交う道路。信号待ちの間に考える。一歩前に行くだけじゃあ足りない。 真ん前までダッシュしなくてはならない。トラックが良いかバスが良いか。軽だと無理かも知れない。そう考えたが何故か恐怖心が無い。ここであと一押しがあれば行ける。 何とも簡単なのだと自覚した。それだけむこうがわに行きやすくなって居るようだ。助かる。お芝居のギャラ支払いなどが終わったら勝負だ。 全ての欲が亡くなっていくのが判る。よくと言えば五欲、財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲だが、睡眠は寝たいとかでは無く最近は落ちているだけ、特に睡眠したいとは思わない。名誉?別に感心無し。 財欲?もそんな物別に必要ない。食欲は腹が減ったら何か入れるだけ。色欲ねぇ…まあやれるならヤルかも。 こんな事を言っていると正常だと思われるかも知れないが全くの逆。野球やサッカーなど興味ない人はTVさえ見ない。新聞の記事も読まないだろう。 同じように五欲についても同じ感覚。別に…という感じだ。それどころか買い物、夕焼けの色、お店を探すとき、夫婦を見るとき、 様々な風景、景色、状況、見える物が私をむしばんでいくのが解る。後悔、もっと何かで来たのでは無いか、もっとして上げたかったこと、      写真も撮らなくなった。残暑見舞いも暑中見舞いも不要、見せる相手もいない。撮る必要性も趣味も消えた。 何か面白いことがあっても話す相手がいない。だから面白いことがその場で瞬時に面白くなくなる。 TVやその他で見る映画なども同じ事だ。何故見るのか?見て面白いか?そんなことより見たくなくなっている。 とにかく生きていく行動そのものが全て重圧になって居る。生きる気力なんて無いが更に無くしていく感覚。 好きな人にフラれたのであればまだマシだ。森さんと出会って恋に落ちて救われた。しかし今回は違う。 もう出会うチャンスはないに等しい。出会ったとしてもきっと私は気付かないだろう。森さんとの愛が深いからだ。 森さんと愛し合っているのに芯だからと言ってその愛が亡くなるわけでは無いのだ。とびきり美人で私への愛が確固たる物で 大金持ち、誰からも好かれていて恨む人は居ない。少女のような純真さを持って居る素敵な女性。いるなら連れて来いだ。 時間が解決するだと?無だ日増しに森さんへの愛が深まるばかりだ。 森さんが私に言わなかったこと、言いづらかったこと、葛藤、闇。その全てが、その行動の全てが 私への愛があってこそそういう結果に至った。そう思えるし、そうだったのだ。 森さんも私の事を ほんとうに ほんとうに ほんとうに 凄く! 愛してくれていたのだ。それだけに私の闇は大きくて深い。

レントゲン

 毎年10月頃に健康診断を受けている。その胸部レントゲンを3年分取り寄せた。綺麗だ。リンパのあたりに影があるがそれは判別出来ない。もしかするとここにずっと潜んでいたかも知れない。 だとしても何をトリガーにいきなり成長してしまったのか?10月~4月の6ヶ月間にステージ4まで成長してしまった。だとしたら翌年の2月まで持ったのは奇蹟とも言える。 抗がん剤が効かないときは気力の勝負になるという馬鹿馬鹿しい話になる。だとしたらステージ4までの成長度合いとそれから最期までのペースを考えると抗がん剤が効いたのか 気力が勝ったのか…。森さん、よく頑張ったね。ありがとう。愛してます。

ヤル気

 ここで奮起してプロデューサーになろうとか演劇の勉強をして演出や脚本を手がけ、森さんの遺志を継ぐというのもよいだろう。 奮起してそこまでやったか、と言うのもよいだろう。でも今の私に取っては単なる自己満足。そんなに苦労して自己満足するつもりはない。 森さん亡き今、私にはそんな欲は皆無だ。そんな成功しても森さんは還ってこない。私の森さんという超巨大な穴は無くならない。 今回の記憶のパズル再演も単なる自己満足だ。森さんが生きていてこそ再演には意味がある。森さんが書けないコンディションで 生きていればそんな根性で何かを成すこともするだろう。でも、森さんのいない現状では何をしようとも何も変わらない。 努力しても森さんは満足出来ない。生きていてこその満足だ。だから私は無気力だ。無欲だ。

私たちの考え

 二人でよく言っていた。テレビなどでそういう事をする人たちについて「多いね」「弱い人は仕方ないよね」馬鹿にしているわけでは無い。 人それぞれに事情があり、行き止まりがあって抜け出せない。そういうことがあると思うからだ。もちろん誰かが何らかの手を差し伸べれば救えたかも知れない。 でも本人にすれば相談なんて意味の無い事もある。そういうことをする事が「悪」のように扱われているがそのような事情、状況に立たされ無ければ第三者には判らない。 だからこそ、そういう感想というか感情になる。今がその時だ。私も行き止まりの状況。自らの基準、ポリシー、感情により森さんの元に行きたい。その結果の結論に至る。 残念ながら誰も救うことはできない。世界中に伴侶を失った人は数知れない。全員がそんなことをするわけでは無いがその数は少なくないだろう。 当然だ。その人達も伴侶元に行きたいと言うだけで無く後悔からする人も居るだろうし、追いかけたいという事でもあるだろう。私も追いかける。…だが、どうやって…。

泣きっ面に蜂

 車をスバルに持って行った。駐車場にオイルが垂れていたからだ。20万キロも走っているとあちこちが故障する。森さんと一緒の思い出がぎゅーっと詰まっている車。 高速道路を出来るだけ使わずに強行旅行した車。名古屋や大阪へ一緒に出張した車。思いつきで名古屋までドライブした車だ。もちろん都内での仕事の送迎に使って居たことは言うまでも無い。 さて、何処が悪いのかというとタイヤ交換、ブレーキパッド交換、ショックとスプリング交換、クラッチ交換、何故こんなに重なったのかと言うほど重なった。 ざっくり言って60万ほどかかると思う。そんなに払えない。森さんもいないし売り払うか?20万キロも走っていると価値は殆ど無い。いっそ中古で安く購入した方が安いくらいだ。 同じ車種とはいえ違う車になると思い出も消えるような気がする。森さんの指定席の助手席。その席が消えるのかと思うと情けなくなる。 どうするか…決められない。森さんが生きていたら心臓発作で死んでただろう。

お墓も高い

 森さんは海に撒いてくれと言った。それはお墓というそういう俗世的なものになりたくないという思いの他に金銭的な事も考えてくれていた。 私の家はある意味見栄っ張り。戒名も11文字の凄い物。しかも芝公園にある格式高いそのお寺にまともに頼むと270万だそうだ。それにお墓に入れる為の石屋さんに頼む費用。 合計で300万もかかるのか?もう死にたくなるような金額。なんと馬鹿げた話だろうか。なるほど、森さんが海に撒いてくれと言うのが良くわかった。 死んでしまったからには自分にお金を掛けないでくれという心遣いだ。もっともらしい。森さんらしい優しさだ。しばらくは我が家でゆっくり休んでもらうとしよう。

孤独

 森さんと話したことがある。願患者の為にケアする会がある。我々2人には何の意味も無いことが確認出来ていた。2人で願である事を悔やみ、嘆き、そして2人で頑張ろうとしていた。だから他の援助は不要だと思っていた。 その通りだった。2人で最期まで頑張ることが出来た。1人になった。訃報という形で色々な方々との縁を切った。もともと私との交流ではなかったので皆さんもそのまま放置してくれるだろう。 何故そのような事をするか?むりやり無責任な遺族会になるからだと思うからだ。十分森さんの優しさ、暖かさを知っているからだ。もうこれ以上森さんの良さをしる必要は無いし、そんなことをして 私の哀しみを増やす必要もない。皆さんの前で泣きたくないし、そんな状況を人に見られたくない。人知れず消えていくのが私の理想だ。互助会?何とかの会?不要だ。どうせみんな「そんなこと森さんは思ってない」 「自分の分も生きて欲しいと思ってるよ」無責任な予想と筋違いの励ましだ。それは森さんと私の愛、森さんが極限までの寂しがり屋ということを忘れている。そして私の幸せよりも2人の幸せを優先すると言う事を。 だからそんな励ましを受けたくない。長生きもしたくないし、何もしたくない。どうしてこんな状況で消えてしまうことを奨励してくれ無いのだろうか?そういうシステムあった方が良いのに。藤子不二雄の 何かの漫画に医学が進んで不老不死になった時代。消えてしまうシステムが出来ている世界が描かれていた。子供の漫画でそういうことが書かれていた。今、それに近いことが必要になってきていると思う。

統計

 正確な統計が無いらしい。が簡単な統計では4人に1人が伴侶の死亡でそういうことを望んでいるという。さらにその原因が自分であると考えて居る人も多いらしい。 私もその一人だ。いろいろと相談窓口があるらしい。それは行き止まりの袋小路が第三者で救える場合には有効だろう。しかし無くなっている場合は袋小路だ。どうにも誰にも救えない。 異性の誰かが救えるかも知れない、友人が救えるかも知れないが、殆どが私と同じ感情になる事は簡単に予測できる。もちろん森さんか私、どちらかが先に亡くなってダメージが大きいのは 私だ。森さんならモテモテ。誰かが優しい手を差し伸べてくれるだろう。その手の中に優しく包まれることが出来る森さんなら大丈夫だろう。しかし私には無理だ。 こうなることは森さんも予測していたし、その後の私の行動パターンも読めている。それだけ私の行動パターンは簡単だ。恋愛、愛情にストレートで応用が利かない。融通も利かない。 ここでよほどの出会いが無い限りは無理だろう。森さん、待っててね。

 今日は母の体調が優れないので一緒に病院へ。そして少しの買い物。外ではワンスケが待っている。尻尾を下に垂らしている。こういうときはあまり近くに寄らない方が良い。 怖がっていることが多いので余り目を合わせないでそっと横に座る。すると匂いを嗅ぎに来る。でもすぐに離れる。匂いでどういう人かを判断してあとは知らん顔。その目は私と同じ。 ご主人様が帰ってこないかとスーパーの入り口を見たりウロウロしたり、とても不安なのだ。私も全く同じ状態。良くわかる。私にとって森さんはご主人様。夫婦じゃ無い? そんなことを言うのは私たちを理解出来ていないと言うこと。2人揃っているところをもっと見る事が出来ればそんなこと思いもしませんよ。

入院

 森さんが癌かも知れないという4月から10ヶ月。たった10ヶ月のうち77日も入院していた。2ヶ月半も。胸が詰まる。哀しいとか泣けてくるとか感情はもう判らない。 切ないとか悔しいとかもう自分では判らない感情が遅う。7ヶ月半、森さんは仕事をしていた。家事をしていた。金策して、私のケア、お母様のケア。もう、ダメ。手が震える。胸が詰まる。

森さんに対する想い

 森さんの事が好きだ。大好きだ。愛している。心底、私の全てを賭けて愛している。森さんの食べ残しを食べられるし摘便だって出来た。おむつの取り替えも清掃も出来た。 体を隅々まで清掃出来たし、舐めろと言われれば出来る。だから、今まで色々な事が出来た。お芝居がやりたいという森さんのリクエストで様々な事にチャレンジした。 あらゆる手配、補助をしてきた。いやもっとすべきだった。ヤリ足りなかったと猛省している。まだ出来たはずだ、と…。 病院でもリクエストを受けてサラダを作った。レタスを食べやすいサイズに手でちぎり、プチトマトのヘタをとって塩水で洗う。そしてドレッシングを作る。レモンとオリーブオイル、塩で 作った。近所にある色々な薩摩揚げを油抜きして生姜出汁醤油を作る。その出汁醤油をサラダ用に欲しいと言えば作った。大好きなラーメン屋さんの持ち帰りを病室で作った。 苺やパイナップルなど果物も。一生懸命頑張ったのに。森さんは力尽きた。私の想いは行き場がない。この森さんに対する愛情の行き場がない。もう、愛せないと言うことが受け止められない。 もっと抱きしめたかった。もっと森さんの負担を減らしたかった。金銭面で迷惑をかけたくなかったのに、もっとお芝居をさせてあげたかったのに。もっと森さんを愛したい。 森さんに対する事で必要性があれば何でも出来る。だから最期まで私と一緒にいて欲しかった森さんの為に一緒になりたい。 全力でなりたい。私も森さんのいないこの世界は何の意味も無い。未練とか未来とかも不要。母の問題、金銭問題、仕事の問題、義母のこと。全てマイナス要因。 明るい未来の可能性は一切ない。丁度良い。

喪失感

 既に奥様を亡くした方々もいらっしゃるだろう。仕事にかまけすぎて何もしてやれなかった。そういう後悔もあるでしょう。 私の場合は何時もずっと一緒にいました。仕事の時も送迎もしました。仕事の半紙は2人で色々話し合いました。意見が欲しいときはきちんと話し合い、参考にしていました。そして私単独で森さんの為の食事を考えたり、食事できる場所を探したり。 お芝居で必要な物を探したり、用意したり。森さんはメールのやりとりが出来ないというか私がいればそんな面倒な作業をする必要がないと考えて私が引き受けていました。こんな映画が好きだろうから見に行こうとかTVでやるときに録画しておいたり……。 森さんがお芝居の正体を受けると私と一緒に行って私も観たり、観ない場合でもその感想を聞いたり。私の全てが森さんと共にありました。森さんの目標が私の目標で有り、森さんが私の目標でした。尊敬もしていました。普通の夫婦の関係と 全く違うであろうと言う事はこのあたりからです。ですから私たちの関係は夫婦だけでは無いのです。そんな森さんがいないのです。喪失感という生やさしい物ではありません。ご主人様を亡くした家来。妻を亡くした旦那。誰よりも尊敬する人を亡くし、 上司を失い、相談役を失い、双子の一人を失い、部下を失い、恋人を失い、パートナーを失った……その全てを足したくらいの喪失感です。2人の関係が様々な関係だっただけにその喪失感も半端な物ではありません。何かあったとき聞く人も居ない、 意見を聞く事も出来ない。判断を仰ぐ事も出来ない。何も出来ない私一人が残されました。私と森さんで2人以上の事が出来ました。しかし私一人では1人未満の事しか出来ません。残念です。

森組芝居

主宰:森 治美

住所:東京都内

プロフィール