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森組芝居はお芝居制作しています。

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森治美の夫から・・・戯言

処分に困る物

 処分に困る物が異常なほど沢山ある。それもこれも森さんがいるからこそ集めた物。森さんの為に必要だろうと買い集めた物、森さんと暮らす上で必要だと思った物、森さんが使っていた物が古くなったのでアットららしく購入した物。 簡単に言えば殆どの物が不要だ。森さんの持ち物である戯曲「じ・て・ん・しゃ」の本。出版社が無くなって居るので本屋さんでは購入出来ない。在庫を何故か大量に持って居るのでこの処分をどうするか。
 大量の本は大学に寄付予定。壁に掛けてる写真、絵。これらは価値がわからない。結婚してから購入した物が多いので森さんの物とも言いがたい。
 大量の衣服。森さんの和服を作り直して洋服にした物、お気に入りの和服を仕立て直した物など思い入れの多い物が多い。
 大量の和服。これは芸術品といえる物だと思う。ゆえにタンス屋に売るのは忍びない。どうしようもない。あげることも売ることも出来ないのでなんともならない。
 大量のブレスレットとイヤリング、その材料。何処かで購入したものであればまだ売りやすいしあげることも出来るかも知れない。しかし私の想い、森さんの想いが詰まったアクセサリー。どうすることも出来ない。
 大量の台本、脚本。大切にこれらがとってある。自分の名前が無いのに何故かとってある。どうするのか?これまでの仕事のスクラップも大量にある。
 食器。森さんは焼き物も好きだった。沢山ある。価値はそれほど無いだろうが私たちはこだわらない。100均の器でも使える我々には宝の持ち腐れだ。
 調理器具。森さんがエビのすり身揚げやその他が好きだったので購入したチョッパー、ミルサー、ミキサー。カレー用のホーロー鍋が古くなったので購入した重たいホーロー鍋、ホーローの天ぷら鍋、でかい寸胴、鉄製のフライパン、  包丁など多岐にわたる。カレンダーだって二人で選んだ物だ。3階のカレンダーなんて森さんは一度も見ること無く逝ってしまった。マッサージ機だって椅子に座るタイプ、寝そべるタイプ、足だけ圧迫する物。ジョーバだってある。
ヤフオクで売るにしても売れる物と売れないものがある。売りたくない物…売れない物…。どうにもならない。

もう、行きたくない

 森さんが食べられるだろうと色々な店を探した。ラーメン、中華、和食。頑張った。ラーメンは中目黒のかづ屋、和風出汁が利いていて肉系の出汁とバランスが取れていると森さんは満足。病室で作ったのはここの持ち帰りである。
 私が担々麺を食べたいと言う理由でアスターを蹴って付いてきてくれた中華屋さん。ホテル内にあるスーツァンレストラン陳。ここの担々麺は上に乗る挽肉を大豆に味付けした物に変えることが出来る。 そうすると肉系だと諦めていた担々麺を食べることができた。他では食べられないゴマの香りと辛さがとても好きだった。赤坂のカレー、モティ。元々は私の友人に教えてもらったお店。ハラルとの絡みがあって肉なしのカレーは絶対入って居ないので 森さんがとても安心して食べることが出来、とてもスパイシーで辛さもよい。森さんのお気に入りカレー屋さんだった。ナンも最高でとてもよかった。お芝居の打ち上げは六本木のモティで行われた。
 高円寺で見つけたお店が2店舗。打ち上げにも使ったBUNGOサシミグリル。みんな満足してくれたとても旨いお店。20店舗ほど下見して探したがここほどのお店はなかった。もう1店がくら屋。お蕎麦のお店で量も申し分ない。 そば屋なのに深川飯も旨い。その近くにある総菜屋さん。そこでは無添加の自家製漬け物が売られている。公演中もここの漬け物をお弁当に付けたりしていました。
 早稲田にある、ディーヌン。もともと森さんはタイ料理は食べない。しかし私と一緒の時にトムヤムクンスープを飲んだ。とても気に入ったようで私がたまに作ったりもしていた。そこでトムヤムクンラーメンは?と聞いたところ 食べてみようと行ったところ、そこからはまった。長く行きつけのお店としていた。
 三色三寸箸。森さんはあまりバイキングは好きでは無い。歩くのも自分で取りに行くのも億劫だという。だが、ここの大根の煮物や和食系の食べ放題が少し気に入っていた。ちょくちょく肉フェアなどがあったので不満げな事もあった。
 和食さと&サイゼリヤ。まあ森さんがそんなところへ?と言われそうだがサイゼリヤは安くてそこそこ。さとは和食なので何とか食べれるレベル。たまに行っていた。
 ごくたまにだがなんと森さんはモスバーガーも食べていた。もいろん肉系は食べられないので海老系やライスバーガー。肉を使って居ない物だけを食べていた。常用食では無く、 仕事が2つ重なっていてそのわずかな時間を使って何か食べるときに使って居た。
 たまーにロイヤルホスト。肉を使って居ないメニューが少しだけあるのでたまに行っていた。
あとはお墓が増上寺なのでその時のお昼はホテルオークラでサラダバーを目当てに食事。
 この他に254にあるぐらのというおそば屋さん。最高。キノコ屋さん、舞茸屋さん、海苔屋さん・・・。  森さんとの食事デートは大体これらのお店をグルグルと回していた。たったこれだけのお店だが、もう行けない。行くと各お店で聞かれる。聞かれたくない。行くと思い出がよみがえる。辛い。

おかしくなりそう

 森さんが全ての中心である。TVで飲食店の紹介をしている。これには肉は入って居るのか?入って居ないメニューは?とすぐに考える。さらにそんなに美味しい物は要らないと思う。私はもともとグルメではない。森さんよりも食べられる味の範囲が広い。というか森さんが狭いので私は森さんが食べられるなら何でも食べられたというだけ。そこいらのやっすい弁当でもなんとかなる。 すると二重に脳内ルーチンが衝突する。森さんはいない、別にそんなの食べない。面倒だから行かない。じゃあ何故そんなTVを観ているのか?テレビさえ観られなくなる理由だ。バラエティだってくだらない話題を大袈裟に、そして大声で怒鳴っている。 公害だと思う。じゃあTVを消せば?消すと静かすぎて耐えられない。どうにもならない、どうすればよいのか?

本当に?

 森さんの元に行きたい。普通、そういう考えの人は「何時も攻められている」「生きているだけで迷惑を掛けている」と思い込んだり罪悪感に支配されていると解説している。 しかし私の場合は森さんについて後悔してはいるが、だからといってそうしたいわけではない。申し訳無いから責任をとろうと思って居るわけでもない。迷惑を掛けているからでもない。 ただ森さんの元に行きたい。森さんのいないこの世の中にいたくない。主な理由はそういう理由だ。森さん以外の女性に心を奪われたくないし、森さんを忘れたくない。今の森さんへのものすごく強い想いを胸に 森さんの元へ行きたい。そう強く思っているからだ。普通のケースとは明らかに違う。森さんの戒名の目処もついた。あとはお墓。そして自分がいなくなったあとの処理を色々しておけばよい。 万が一にでも私の母の処へ権利が移動しないようにしたい。安心出来るところに権利を譲ってずらかろうと思う。

また一歩

 最近明らかな睡眠障害、というかおかしな事になっている。凄く眠いのにパソコンの前に座る。いろいろ何かしているとそのまま落ちている。目覚めると5時とか6時。いつ寝たのか判らないので何時間寝たか判らない。 落ちたので朝か夜かも判らない。起きたらもう寝ない。昼間突然凄く眠くなる。気合いを入れてないと寝てしまいそう。いつまでのその寝ない気力が持つか判らない。ベッドで寝るときも隣にいないと言う事が辛い。だからうまく眠れない。 今日は確定申告最終日。また森さんの仕事が1つ終わる。後は準確定申告。森さんの1月1日~2月6日までの確定申告。これで少しまた税金が返ってくる。死人のお金を拾い上げる作業。滅入る。

あと始末

 友人に頼んだ。もしもの時にPCやらなんやら片付けて欲しいと。著作物とか色々なお話はまだ相続が決まってからとか。さすが中学高校からの友人は 話が早い。「そんなこと無い」とか「ガンバレとか」無責任なことは言わない。「森さんとはそうだもんなぁ」「そりゃあ無理だよな」肯定的。 体調が少しずつでも悪くなっていることも理解してくれる。「羨ましいよなぁ」と森さんとの関係についても言ってくれる。伊達に30年以上つきあってない。 付き合いと言っても最近は年に1回麻雀するくらいだ。それとお芝居の度に仕事を休んでお手伝いしてくれていた。それでも森さんとの関係を凄く理解してくれていた。 2回も一緒に仕事しても「なんで森さんって言うの?」とかいう人間関係の理解出来ない人とは違う。私でもこれだけ仲がいい人を見つけたらなんていう呼び方でも 理解出来るだろう。そんなこんなで一応何かあったときには色々としてくれる事になったので、これからダウンしたときの連絡方法など決めておこうと思っている。

無意味

 どうしてもアクセサリー用の石屋さんのサイトを見てしまう。「綺麗な石だなぁ」「この石とこれでブレスレットを」でも当然、「森さんならなぁ」「森さんいないし」と 自爆する。そして私の周りには森さんのブレスレットとイヤリングが大量に所狭しと並んでいる。材料も超大量。で、見るのを止める。でもまたそのサイトを見てしまう。 何をしているのか判らない。昨日、仕事で行ったホールでも同じ。じっとしていられない。じっとしているより周りをグルグル見て回ってほうが落ち着く、様な気がする。 落ち着かないのは森さんとお芝居の時だって同じようにグルグル回っていたからだ。何か見落としが無いか、不具合は無いか、その辺りに居る人と逢えばなにか問題やリクエストがあれば 話しかけてくれるからだ。そんなことを考えずにもグルグル回る。だけど今回はそんなことは不要だ。何をぶらぶらしているのか不審がる人も居るだろう。じっとしていられないのは 生来の性格だがそれにも増してじっとしてられない。グルグル回りながら飼い主を探してるのだ。どうにもならない。20年以上森さんと過ごしたクセ、考え方を変えることは不可能だ。自爆して何処までこの自爆に耐えられるか判らない。耐えられない。

今日のゴミ

 今日は生ゴミを主体に捨てた。もったいない話だが大量の食料。まずは賞味期限が切れているとはいえドライフーズ系の食品。大地震が来るかも知れないと言う事で 非常持ち出しの中に入れておいた。もう、森さんがいないのだから用意する必要は無い。残された二人だけなら何とかなるだろうし、別に生き残る必要も無い。だから捨てた。
 他に賞味期限でもないのに捨てた。森さんの為に買った缶詰にジャム。森さんの朝、夕の日課でヨーグルトにあわせる為の物なので不要だ。特に私が食べると言うことも無い。森さんと一緒なら食べたろうが一人じゃ食べる気はは起きない。 他にクラムチャウダーの缶詰。少し鶏の味がするがオイスターソースと干し貝柱を入れると気にならない。だから森さんの非常食だった。作るのが面倒なとき、軽く食べたい時に私が簡単に作って居たので大好物であった。 重たくしたいときはこれにチーズを入れればボリューミーなスープの出来上がり。…もう作る事は無いので廃棄。
 森さんのコレクションは広い。のし袋の種類が半端ない。しかも綺麗。そんな物誰にあげることも出来ないので廃棄。もったいないがもらう人も使う人も居ないだろう。いちいちメルカリだとかにだすのも面倒。まあ、そんな物だ。

また1つ無くなる

 月に1日しか休めない過酷な仕事。毎日15時間から17時間働いていた頃。過酷すぎて休みの日はホテルで1日だけゆっくり休むことにしていた。もちろん最安値の方法で止まれるように調整していた。2泊になる。森さんだけ先にホテル入りして 私が夜から合流。ゆっくり休んで翌日朝から出勤。または1泊だけ。そういう生活が長く続いたことがあったのでそのホテルでは顔なじみだった。しかしそのホテルも再編とかホテル業界の有象無象によって別のホテル系列になってしまった。 そのホテルのデザイナーも亡くなっており、もうめちゃくちゃ。新しく参加したその系列のデザインは冷たくて暗い。以前は火は付いていないが大きな暖炉が有り、そこにソファーが置いてあってゆっくり出来た。そこがお得意のカフェ&ビュッフェになってしまった。 昔の白を基調とした面影は全く無い。森さんが部屋で仕事中、私はそのソファーに座って一人で待っていたこともある。その思い出のソファーはもう無い。思い出は外的要因でも消されてしまう。なんと哀しいことだろう。 二人だけの結婚式も挙げたホテルなのに。その面影が少しずつ消えていく。もちろん部屋のデザインなんて一新されてしまっている。あの思い出のホテルはもう無い。

犬好きの森さん

 森さんの為に犬を飼いたかった。でも、森さんに何かあったら私がずっと面倒を見なくてはならなくなってしまう。泊まりがけの仕事や早朝から夜にかけての仕事が出来なくなってしまう。 その犬を買うお金は?育てるのにも相当お金がかかる。だから森さんの答えはわかっていた。言い出せなかった。森さんの命がかかっているかも知れないのに。男として情けない。 悔しい。森さんの為に犬を飼っていたらもっと生きられたかも知れないのに……。

戒名決まる

 森さんの戒名が決まった。少し安心。これでひとつ仕事が終わった。お墓に入れるのかどうするかは別としてもだ。よかった。戒名が無くてもよいのかも知れないが気分的なものと言う事もある。 お墓に入れるときは戒名が無いと駄目なのだから仕方ない。こっそり入れてお経をと言うわけにもいかないし、どうしようか?まあ、いいだろう。

楽屋ネタ満載の小説

 森さんが小説を書いていた。私との有象無象を書いていた。フィクションを加えての100%楽屋ネタ。森さんの考えていたこと、私との会話。大体の方向と森さんの心情が細かに描かれている。 小説など文字列は苦手なので読み飛ばすとすぐに読み終わるほど短い。それは当然、完成していないからだ。私とのインターフェースの違いにより戸惑いながらお互いの気持ち、何故か惹かれ合う微妙な部分が判る。 その不思議な部分を表現したかったのだろう。私達2人を長年見てきた人たちはその不思議な関係が頷け、納得する事だろう。だが残念なのは完成しないことだ。完成していたらヒット間違い無しだっただろう。

自己分析と愛

 なるほど、電話しても出ないとか留守電。これはかなりきついことが判った。よくそんなことをする前に電話があって出られなかったとか、都合が付かないので逢えないとかの後に、と言うことがよく言われているがまさにそういうことだと判った。 まあ、森さんとも話したことがあって寂しいのだろうと言っていたがその通りだ。私は友人が少ない。というか不要だと思っている。それでも数人がいるのだがそれ以上求めなかった。何故?答えは簡単だ、森さんがいるから他の人との付き合いなんて不要だったのだ。 そのおかげもあって今は深刻な孤独感に襲われている。誰かと食事に行きたくても誰も居ない。森さんの事を話さなくてよい友人も居ない。自ずと森さんのいない寂しさが半端なく襲ってくる。 当然、森さんの後を追いたくなる。森さんの作品を整理しながら森さんの心の内がますます突き刺さる。判ってはいたけど、森さんの書いた文字から直接伝わってくる。そうだった、でもね、と森さんの声が聞こえてくる。 森さんが「愛してる」と言わない理由もわかる。私と同じような理由だ。でも、私は森さんとの状況を「愛している」と理解して方向転換をした。そのことも反してもなお森さんは「愛してる」と言わない。 たとえ森さんが愛していると言わなくても愛している状況の何物でも無いことは第三者の目からも明らかだ。十分愛し合っていたことは誰が見てもわかることだ。森さん、貴女は十分私の事を「愛してます。」

明日のゴミ

 腹をくくったせいか身の周りの殆どがゴミに見えてきた。なるほど森さんが捨てちゃえばという理由がわかってきた。断捨離もだいたいこんな感じなのだろう。一時期やっていた趣味の手品のネタ、過去に使って居たIT製品 ハードディスク、過去に使って居た一丸レフカメラ、カメラ用品。森さんとコレドでお芝居したときに使った照明調光機、お芝居用品、小学校の卒業アルバム。明後日は大量にゴミが出そうだ。売れないものは大量に出そう。 体が軽くなりそうだ。本棚など大物はどうするか未定。オークションか買取業者か?そんなことするのも億劫だ。どうしよう……。

複雑な食欲

 お腹が空いた、普通に腹が減る。当然腹が減る、減ると感じるだけマシと思うかも知れない。だが食べたくない。頭の中で色々な思考が渦巻いている。色々な事が処理できなくなっているのだろう、腹が減るのに食べたくない、または食べない。 TVで上手そうな店や食べものを紹介していると「いいなぁ」とか「うーん」と思うがそれと同じくして「別にそんな値段出して?」とか「森さん居ないのに行ってどうする?」「めんどくさい」「何する気?」となる。考えることはこれらよりももっと複雑なこと、 胸の中でつっかえるものが邪魔をする。具体的にどうだとか、こうだとかは言えないものが邪魔をする。そうしているうちに時間が過ぎで食欲が減退する。で、先送り。腹が減ったという信号を収めるために業務スーパーで買った安物の春雨サラダやポテトサラダを食う。 グレープフルーツ入りのコーラを飲む。それで何とかしのいる。他に食べるものは、リンガーハット、天下一品、えぞ菊、ラーメン二郎、すき家、桂花ラーメン、かつ屋。これらをぐるぐる回すだけ。飽きるだろうがそれでも何とか詰め込んでいるが、残すこともしばしば。 新規開拓すればよいのだろうが新規開拓も面倒。面倒というか新しく探したくないというか気力が無いだけで無く、探していると森さん中心に探すので手間がかかる。そもそも肉中心のメニューも旨くないという結論に近づいていたので今更肉系の 食事を拒否している。とんこつラーメンや、肉たっぷりのラーメンも飽きた、というかそんなに旨いと思わなくなっている。肉系の豚骨も最近は魚介旨味出汁とか言って、結局旨味を魚介系に頼っている。するとそもそもちゃんぽん方向に進んでいるだけ。 それなら最初からリンガーハットで食べるというものだ。近所のそば屋も行きたくない。森さんとさんざん食べた店だ、1人で行けるわけが無い。だから最近あまり食べていない。 森さんが喜んだ練り梅や鮭のふりかけ、じゃこのふりかけなどもあげてしまったので冷蔵庫も軽くなってきた。あとは冷凍庫。まだ餅や冷凍のマンゴー、ブルーベリーなどもある。ゴミの日に捨てるか……。 貝柱の冷凍も真空パックしていないので冷凍ヤケしている。捨てるか?冷蔵庫にはもう殆ど食材は無い。寂しい感じに仕上がっている。あとは鍋釜捨てるか?あげるかどうするか?ヤフオクに出してからにしようと思うが面倒だ。 家の中の物がどんどん減っていく。良い感じだ。気持ちいい感じでよい。本も捨てようか?捨てる前に売ることを考えよう。私の本は殆ど売れないだろうから、どうしようか?どんどん面倒になる。良い感じだ。

そろそろ

 森さん宛の郵便物はもう、通信販売のカタログだけ。一応全部利用停止をお願いしたが発送のためにリストが業者間で動く。その分だけタイムラグが生じて送られてくる。面倒だ。私に送られてくる通販も利用停止した。もう買う気力もないので丁度いい。 森さん宛のFAXも固定電話への着信もない。さて、契約を切るか……?もう少しそのまま……。何を待っているのか?不要だよね。私宛の郵便物も減ってきた。そもそも私との交流が無い皆さんが私に用事などあろう筈も無い。私から唯一連絡したのはA4で5枚の訃報だ。この訃報を森さんへのラブレターであると言っている人も居た。 まあ、愛してるのだからそうなるでしょうし、第三者向けに私の気持ちを出したのは今までで森さん以外は殆ど無いのだから当然だ。そんな森さんとの関係、感情を第三者に知らしめる必要は無くて当然。森さんと2人だけで話すことだと思うからだ。 第三者から見れば結婚しているのだから愛し合っているのだろう、その程度でよかったのだ。森さんだってそう思っていたし、森さんからは愛してるとは言えないのでそういう現実になるだろう。車も限界、お母様も限界、お金も仕事も限界。私も限界。 全てが辛い。どうにかなればよいのだが……どうにもならない。食事を作る気力も意欲も無い。あるわけが無い。友人が一番理解してくれている。いいことだ、ありがたい。今日も友人に電話した。ようやく繋がった。キャンプ用品をもらってもらおうと思ったが要らないそうだ。 さて、ヤフオクか……。

時期、タイミング、出会い

 森さんの書きかけの小説を読み返す。森さんは「名前とか色々変えてあるからいいよね。」と言っていた。 森さん側の話は任せてあるのでこともなく「いいよ」と素っ気なく返事しておいた。書きかけの小説でもあるし、私は人が書いた物を見ない。 日記も手帳も見なかったからこそ森さんはデータを私に託していた。 しかし、初めて読むと凄い内容で笑える。核心を突いている、凄い内容。 なるほどそれでだったのか、そういうことね、と笑いながら読む。大体予想通りというか私の思ったとおりだ。2人は出会うべくして出会い、お互いに支え合っていたことは間違いない。 金銭とかそういうことではなく、心を支え合うことができたのだ。 煙草の火を付けることひとつでもやはり相性というものがある。ライターを付けるタイミング、距離。 そして火を付けるタイミング。もっと手前のことを言えば煙草をそろそろ吸いたいだろうと思うこと。そのひとつが欠けても上手くいかない。 ただ観察して今だっと出しても遅い。 気が付くと言う事は本来そういう物だ。その感覚さえあれば食事のタイミング、お腹が空くタイミング、何かを欲求するタイミングなど全てがわかるようになる。 森さんとは出会った頃から既にそういうタイミングが判ったと言う事になる。 そして愛し合うように。森さんが愛してる、と言わなかったのは私と同じ理由だ。愛している、愛とはなんだろう。 そう思っていた。でも私は決心した。森さんに「愛してる」と言うことにした。愛してると言う事で森さんが安心するならそう言おうと決めた。 しかし、森さんが安心するから嘘とか無理に言ったわけではない。 今の状況は「愛している」と言う状況に合致すると考えたからだ。森さんを手伝いたい。森さんの支えになりたい。森さんと居ると安心する。森さんと私が2人で居るととても落ち着く。 森さんが私に優しくしてくれる。 2人でいると楽しい。森さんの喜ぶことをしたい。森さんと一生暮らしたい。森さんの料理を食べたい。あげれば切りが無い。 この状態を愛していると言わなくて一体何だろうと考えた結果、「愛してる」と言ったのだ。森さんはそこまで到達していなかったのだろう。 でも、森さんは最期になってようやく言ってくれた「愛してる」と。 愛とは難しい。定義が曖昧だ。でも私は「愛してる」と言えてよかったと思う。愛してると言う事を力一杯伝えられてよかったと思う。何回森さんに言ったか判らない。 そんな森さんを失ってまともで居られるわけが無い。早くもう一度森さんと一緒になりたい。

私は病気か?

 ある意味病気だろう。森さん病。森さんに長年仕えてきたための副作用。森さんに対する愛情病。喪失感によるなんたらかんたら病かもしれない。 だからといって病院や友人に助けを求めることはしない。死にたいから何とかしてくれと言う事は無い。救いを求めていないからだ。 一番やっかいな例だと思う。無理に病名を付けるとすれば強迫性障害、PTSD、パニック障害、睡眠障害、パーソナリティ障害でもあるだろう。 そんな愛の定義を無理に作って居るのと同じように心の病を無理に分類するような病名は適切ではない。現在の私のような状態をなにか適切な病名があるに違いない。でもそれは病気では無い。そう思える。 妻と一緒になりたい。そう思うことがどうして病気なのか理解出来ない。人間のエゴとか規範とか常識的判断がそうさせるとしか思えない。鬱陶しくて面倒でお節介に過ぎない。 大体、人工呼吸器でずっと生かされていたりそれを止めると殺人になるとか意味不明だ。追いかけることを制止すること自体、犯罪だ。 だから病院には行かない。行きたくも無いし、行く必要もない。私は何とかして追いかける。そう決めた。だから身の周りを片付け始めた。何とか片付けて追いかける。 森さんを追いかけたいのは本心からだ、間違いない。森さんが居ないことでストレスになって居ることは確かだ、しかしそのストレスを解消する方法は2つだけ、森さんが私の側に居ること、 そして森さんを追いかけること。従って私ができるのは追いかけることになる。何処に無理があるのだろうか?合理的で完結で簡単だ。だから誰かに助けてとは言わない。助けて欲しくも無い。 私が森さんの訃報に書いた、連絡しないでください、という理由のひとつだ。

どれだけ愛していたか?

 死に別れるのが無理だと判っていた。だからこそ愛することを拒否していた。しかし出会ってしまった。森さんと。森さんというベストと言うだけでは足りない素敵な森さんに出会ってしまった。ベストというより素敵と言うより……適切な言葉は無い。 そんな森さんと死に別れることになる。そんなことは私がもっと年を重ねてもう少し分別や思慮深くなっている頃を想定していた。しかしその予測を大きく外してしまった。この事態は回避しようが無い。私は壊れるしか道がない。 あえて愛していると告白し、一緒に暮らすことを選んでしまった。そして日々愛を深めていたのだから、決心したときよりも大変な事になっている。これほど森さんとの愛が強力な物になることは全く予想していなかった。勿論死に別れることも。 そんな状態になるほど愛していたのだ。森さんの為なら死ねる。森さんのお母様のこと、公演の事が無ければその場で森さんと一緒に、だったであろう。病院でそんなことされたら大迷惑だろうがそんなこと全く気にせずだっただろう。 森さんが不在の間も森さんへの愛は深くなっている。それくらい愛しているのだ。今でも愛しているからこそ、なのだ。

いろいろ

 車の修理が大変な事になっている。ブレーキパッドも無くなって居る。だからヤフオク。取り付けは車のパーツ屋さん。取り付けてもらうと安い。パッドもヤフオクで簡単に落とせたので安い。格安。 危ないかも知れないが別に危険でもかまわないので問題無し。と言うことで明日は家の見学の後に取り付けに行く。その後はお芝居の事後処理。ギャラのお支払いと成果物を渡す。それで終わり。 明日の朝はゴミの回収日なので急いでゴミ処理。とにかく色々な物を捨てることに。ラミネートのシート、それらを入れる薄いビニール。B5の紙、文房具。殆どが森さんの為にとって置いた物ばかり。 森さんが居なければその殆どが不要品。過去の旅行記録、チケットの半券など様々だ。どんどん家が軽くなる。森さんの過去を捨てるというよりも自分の過去を捨てている。 もう、森さんが居ないのなら自分の過去も現在も不要だ。だからなんでも捨てられる。少しずつ捨ててると最期には何も残らない気がする。まあ、残さずに消えようとは思っているけど……。

辛い後処理

 お芝居でお世話になった方々にお礼とギャラお支払いに……。会うのも辛い。森さんが病床のためきちんとできなかった事がいろいろあったためご迷惑をお掛けしていた こともあり、お叱りも受ける。そういう部分も全て問題無く進められなかった事もその方にだけで無く森さんにも申し訳無く思う。 森さんの信頼を受けてこなすだけで無くパーフェクトにできたら。まあ、森さんの事だからその辺りはさっ引いて評価しては呉れるけど……。 とりあえず訃報はお送りしていないので訃報に書いたことの大部分はお話しておいた。まあ、仕事で出会うことは無いだろう。お願いする事も出来ないし、する気も無いし、 引き受けてくれることも無いだろう。第一値段も折り合わないことだろう。今回のことも森さんだからと言う事でもあり、ギャラについてもきちんと話をしていなかったので そんなギャラではあり得ない。申し訳無いという気持ちだけ。そして、感謝。ありがとうございました。

逃避できない

 スマホ中毒はメール確認、ライン確認、その他SNS確認、ゲーム……を繰り返すらしい。同じ事を私もしている。 メール確認、サイトアクセス数確認、ネット上の森さんの情報確認、こうしてサイト更新、自宅内ウロウロ、片付け……。 無限ループを繰り返す。時々暴れたくなる。森さんを無意識に探す、心のよりどころを探す、安らぎを探す……。そしてストレスがたまる。 仕事をする。段落が付いたり休憩しようとすると森さんの処へ行ってお茶を出したり食事を作る。刻には足のマッサージをしたり、肩を揉んだりする。 実はそれが私の息抜きになる。森さんケアをすれば森さんは何も言わなくても悦び、肩の力が抜ける。リラックスもするし、やる気も出る。 それは私も同じ事。お茶を出したり揉んだりすれば普通、疲れると思われがちだが全く異なる。その心のよりどころが無くなって居る。 それは森さんが居ないというストレスだけで無く、それ以外の意味でもストレスがたまる一方である。ほんの些細な事がどんどんたまる。 時間的締め切り、些細な小言、些細な問題点、全てがストレスとなって締め付けられる。 森さんが自分のことを考えて時限郵便を送っていないか?なにかサプライズをしていないか?なにか遺言みたいな物が何処かに無いか……。 今日、誰かから花が届くらしい、電話が森さんの電話にかかった。それもストレス。また誰かに説明しなくてはならないのか? ストレスで体調を壊したい。そうすれば……森さんの処へ早く行ける。病院へは二度と行かないつもりだ。

もう一つの理由

 森さんとは以前こんな事を話したことがある。「もし私が先に死んだら森さんどうするの?」と聞いた。 その時も森さん、何も言わない。何回か聞いたことがあるのでその際に「素敵な男性が沢山居るから大丈夫でしょ?」とも聞いた。 しかし、そういう聞き方をしても反応がおかしい。活発で行動的な森さん「お母さんが居るから無理よ」とだけ答えることもあった。 それから考えるとやはり、森さんの中では私の占める割合が高かったことが伺える。私ときっと同じ事を考えていたに違いない。 お母様と二人で、と言うことも含んでいたに違いない。森さんの方が行動的なくらいだと思う。だから私も……。

後悔

 今更ながら森さんは中皮腫だったのでは無いかと思うようになった。そもそも照明に長年携わってきた。もちろん天井にあがって様々な作業をしてきた。昔のことなので当然アスベストに被爆することもあっただろう。 それならもっと気をつけてあげるべきだったと。こんなに進行が速いこともあると判っていたら半年に1度では足りないくらいだったろう。きちんとした検査を何回も……その方が長生きできただろうに。 毎日健康のためにトマトジュース、野菜ジュース、寝る前のヨーグルトや添加物の少ない食事を心がけ、煙草もやめていたのに。それなのにこんなに速く亡くなってしまった。ご免なさい。

キツイ作業

 ようやく保険に出す書類が出来上がった。と言うよりも保険に出す書類を依頼してから2~3週間かかるというのだからたちが悪い。何故そんなに時間がかかるのか意味不明。 一応2週間が経過した所で電話すると「2~3週間かかると申し上げておりますが」知ってるよ。だから2週間で電話したんだと心の中でささやくと間が空く。そしてまだですね?と確認。 そして3週間と1日が経過したので電話すると「ミスが見つかりちょっと戻ったりしてます」こちらの知った事ではない。判る人から折り返すという言い訳で時間を稼ぎ、書類を作成したのだろう、 暫く時間をおいて電話がかかる。「出来上がりましたので」という。もう森さんが亡くなった病院なんて行きたくない。自分が壊れそうになる。でも、保険金を受け取るには絶対に必要である。 そして死人からもらうお金。胸が締め付けられる。

久し振りに

 49日を前にまた森さんの声が聞こえたような気がした。深夜の食事を終えて帰ろうとした。なのに何となく逆方向。世田谷通りを使って帰ろうと考えたら何故か246号のラインが見えてくる。 なのにその246号も何となく儚く見える。そこで大回りを考えて中原街道まで拡張。何となくおかしく感じる。そこで第三京浜を浮かべるとすっきりする。ほほう、とにんまり。「そうだよね」。 森さんとは第三京浜や湾岸線からベイブリッジをぐるっと周回してレインボーブリッジへと戻るドライブコースが好きだった。最近は全くと言ってよいほど行っていなかった。 「そうだね」と助手席にいるであろう森さんに声を掛ける。何故か車内の空気が良い感じになる。森さんが居るのだろう。もちろん助手席は森さんが座るポジションのままで綺麗にしてある。 久し振りに森さんとドライブ。でも、そこには居ない……。

愛とは?

 ラブ、愛、こんないい加減な言葉は無い。文字としての意味の他に実際の人間関係においてこんないい加減な物はない。いろいろな夫婦の関係がある事からも良く解るはずだ。 年中喧嘩しているのに結婚して子供も生まれていつの間にか成人してまた二人暮らしに戻っている。それでもまだ喧嘩は絶えない。どちらか一方がべた惚れで一方は仕方ないから一緒になるか、 という感覚で結婚した。小さい頃からの幼なじみで何となく結婚した。夫婦にとって子供は恋愛対象では無いが愛していると言う。様々な愛の形がある。 私は森さんの事を守りたいと思った。何でもしてあげたい、喜ぶことをしてあげたい、笑わせてあげたい、色々な事をしてあげたい、そしてそうすることで二人で幸せになりたい。 それらの考え、意識、関係を考えた結果「愛している」と結論づけた。だから森さんにきちんと言ったのだ。森さんだって私の為に色々してくれた。風邪引いて辛いときに我が家までわざわざ来てくれた。 看病やお見舞いは愛して無くても出来る事?本当に優しいだけ?森さん自身、私に愛されたいと思っていただけで愛してなかった?森さんも不思議な事を考える人だと思った。 そんなの十分愛して居るではないかと……。森さんには愛の定義が確立できていなかったのだろう、それと同時に愛とは何だろうか?という哲学的な落とし穴にはまっていたのでは無いかと思う。 私は自分の気持ちに忠実に愛してきただけだ。お互いに十分愛し合っていたのに、森さんは死を目前にした状況でようやく私に言えた「愛してる」と……。

不要品

 ふと気付いた。2階にあるテレビ。デジタル化に伴い無理矢理購入したテレビ。ローンを組んでやっとの思いで購入したテレビだ。なのにもう不要だと言う事に気付いた。 2人で暮らしていてそれぞれにTVがある。誰も居ない2階には不要だ。引っ越しても3台はどうやっても使うことはない。さっさと売ってしまうのがよいだろう。 こんな物まで売るのかと情けなくなってきた。

通じ合える二人

 森さんの小説を隅々まで読む。といっても斜め読み。少しずつ読み進めている。森さんが日記や手帳に書いていないことがふんだんに書かれている。 小説だからと言って侮れない内容である。二人の関係はやはり複雑だった。私にとってはある意味ボス、父親、母親のような存在。森さんにとっても父親のような彼氏のような という存在。そして今まで言ったようにお互いに色々な存在、関係のように思っている。もう、通じ合えないわけが無い、しかも20年以上だ。 森さんは私のことをこれまでの男性の中で一番だと思ってくれていたようだ。なんとも困った物だ。私からみればもっと男らしい人は沢山居たと思うのに、それでもなお一緒に 居たい男性と思ってくれていた。そんな相手に長生きして欲しいと思うだろうか? そんなことは決して無い。如何しても私と一緒に居たかっただろうに。だからこそ、私は森さんの処へ行きたい。

森さんの作品

 森さんは弱い人だ。外で色々な人と逢っているときはオーラが強くて芯もある。強気で弱みを見せない。だけど親しい人ほど森さんの弱さ、儚さが見えてくる。もっと親しい人なら 森さんの事をかわいいと思う筈だ。かわいい人では無く可愛いと見えたならそれは森さんの事を少し理解出来たと言える。恐がりは簡単に解るだろうが、寂しさと愛されたいという部分は まず判らないと思う。それらを理解していたからこそ森さんの作品を改めて観てみると心が傷む。どんな作品か見ていると私に訴えてくるものがある。森さんの作品をきちんと整理する為に 先ずはワープロからデータを吸い上げてPCに変換する。そして以前のデータのバックアップを加えてひとまとめにする。そしていつの公演か?何処の仕事かをまとめていく。 実際に公演したのかしていないのか?色々と調査を進めると難しい問題に突き当たる。そして最大の山は台本しか無い場合どうするか?スキャナーで読み取って保存。データ化して保存。 手書き原稿をどうするか?問題は山積みだ。

方針決定

 森さんのお母様とも話ができた。同じ方針であることが確認できた。お互いに家で倒れた場合、そのままほったらかして置こうと言うこと。脳卒中や心筋梗塞、その他急を要するような 突然の病気で倒れた場合、そのままと言う方針。そんな病気で倒れて生き残り、そのまま入院とか半身不随や車いすの生活になるくらいならそのままを希望すると言う事。 お母様には森さんの弟さん、私には母が居るのにそういう方針が決まった。いかにも森さんのお母様らしい。森さんは嫌がるかも知れないがやはりお母様だ。
 森さんはお母様の事、私の事が気がかりだった。心残りで先には死ねないと本当に強く思っていた。まだ、森さんが隣に後ろに居るはずだ。二人とも死ぬまでいるのかそれとも? こういうときに森さんのような眼があればと本当に悔しい。森さんを感じることができれば森さんに色んな事を聞く事も何か意思疎通ができるかも知れないのに。 何故早く寝ろと言わんばかりに部屋の灯りを消したのだろうか?何故無茶な運転をしても連れて行ってくれなかったのか?先ずは森さんの色々な仕事を片付けなければならないのか? 相続、森さんの資産である著作物の整理、負の遺産の確定、名義変更、準確定申告、私が死んだときの遺産相続諸々の準備……まだまだある。
 森さんの脚本データが揃わない。NHKには放送した記録があるのだが台本やデータが無い。ワープロにもPCにも無い。何処だろうか?まあ、書いたという情報だけでもまとめておく必要があるのでまとめる。 NHKの作品も賞をもらっていたことも判明。それも記録としてとっておく。放映した物だけがでエータというわけではない。プロットが大量にある。企画だけしてボツになった物、創る寸前まで 行ったのに取りやめになった物。いろいろある。手書きの原稿、ワープロらしき物で印刷した原稿。何故ワープロ内にもデータが残って無いのに印刷物が? 謎が多い。時間がかかる。台本だけの場合、仕方なくスキャナーに頼ることになる。これまで簡単にA4をスキャン出来るスキャナーを持って居たが台本をそのまま取り込むとなると 簡単にはいかない。バラして切ってスキャンして。そうすると1冊しか無い台本が台無しになる。台本のままならそういう台本を保管してくれる所へ寄付することもできるがバラしては 台無しだ。仕方なくスキャナーあを購入する事になった。まあ、使い終わったらヤフオクで売ればいい。でも5万は高い。さっさと売り払うためにスキャンしよう。  そんな感じに方針が決まったから気が楽になっただけ。一人でいるとき、こうしてPCに向かっていないときは駄目だ。躁鬱病とまではいかないかも知れないがそういう波の中に 居る感じだ。相変わらず手がふるえそうになるし、暴れたくなる。家の中をウロウロしながら森さんに話しかける。早く楽になりたいと……。

ゴミ処理

 ゴミ処理というと聞こえが悪いので訂正すると、食料を全て処分することにした。森さんのお母様と私は食事を別々に作る。それぞれ自分の事は自分でするタイプ。 どちらかが作って欲しいと言えば作るが普通作らない。お互いの味が異なるし、私はお母様好みの味は作れないからだ。もちろんその逆もしかり。と言うのもお母様は 特に出汁を取るわけでもない、よくある普通に作る。一方森さんの料理と言えば私が作ったダシ粉を使って出汁を取り、出汁昆布と酒や白だしでしっかり味を付ける。 砂糖も普通の白砂糖から三温糖や黒砂糖、そして醤油も特殊な旨い物を使う。料亭のまかないみたいな味が出ていたと思う。私がお母様の分も作れば良いかと思うと そうもいかない、お母様が恐縮するし、この年で料理というリハビリを奪うことになってしまうからヘタに手出しができない。それに森さんの為に作って森さんが喜んで 食べていたものを私が一人で食べる寂しさを考えたらもう二度と食べたくないものになってしまっている。冷蔵庫の中にあるだけ無駄と言うことになる。 食品なので捨てることも考えたが喜んでもらえる人にあげる事にした。練り梅、鮭のふりかけ、じゃこのふりかけ、柚味噌、冷凍庫の中身の蛸、ホタテ、しらすなどなど。 全部あげてしまうことに。さらに醤油、オリーブオイル、ワイン、千鳥酢などもあげてしまうことに。まあ、これで大分すっきりする。もちろん練り梅やふりかけは二度と作らないだろう。あとは大量のタッパーや 真空パック機やミルサー、ジューサー、コーヒーメーカーなどまだまだある。そういう食品以外はどんどんヤフオクに出そうと思う。


森組芝居

主宰:森 治美

住所:東京都内

プロフィール