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森組芝居はお芝居制作しています。

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森治美の夫から・・・戯言

そろそろ

 これだけ大量に書いているとダブりも出てくると思う。まあ、言いたいことがそろそろ尽きてきたかも知れない。というか森さんの優しさ、私と二人の関係などはこれまで書いたとおりだ。 どんなに書いても書き足りないほどの関係。そして愛。私の方針なども書いた。森さんが理事も務めたところでも偲ぶ会は執り行わないと決まったと言う事で一安心している。何かしなくてはならないのか? 何か……と強迫観念にも似た物が私を圧迫していたので、なくなったというだけでも助かる。

よくあること

 おそらく妻を亡くした人は同じ感覚に襲われるのだろう、妻がそこいらから出てきそう。そんな幻想が自分を痛めつける。森さんが死んだことを受け入れられない。直視できない。 隣で寝てくれるはずの森さんが居ない。朝起きると森さんが台所に立っていたり仕事をしていたり。そんなことはもう、二度と無いという事実が受け止められない。 だから耐えきれない。まあ、簡単に言えばそういうことだ。しかしそれだけでは納得できないことが多い。その派生から食事するときや風呂に入るとき、車を運転するときや出かけるとき。 そのひとつひとつでダメージを受ける。私達の場合はずっと一緒にいたのでそのダメージもかなり大きい。自分の仕事をしている以外ずっとそのストレスを抱える。 一時他の人から見れば以前より元気かも知れないが、一人道路に立っていると一歩踏み出せるという状況は全く変わらない。変わらないと言うよりも悪化している。 そんなことよりももっとスタンダードな方法について勉強している。車で事故を起こしても病院に行かないで済む方法や重大な病気になったときに 救急車で運ばれないようにする方法など、治療を一切して欲しくない意思表示をどうするかなど考えているからだ。以前より前向きに森さんと一緒になることに集中しているからこそ 正常に見えているのだ。そういう部分を見抜けない人ほど、元気になっていたのにどうして?ということになる。私の友人の方がよほど良く理解していると言える。

まあ、ね

 今日も森さん関連のところへ用事があって行ってきた。森さんの書いた短い小説を昨日は渡しておいたのでそれを読んだか聞いてみた。私と森さんの事が数ページで良く解ったという。数ページで解るくらいだから全部読めばもっと判る事だろう。 森さんと私の関係はそれくらい深く固い結びつきである。森さんが私には漏らさなかった不安やこれからの事をその人には少しだけ話していた。まあ、私には何も言わなくてもその不安や心配事は全て理解しているから別にどうと言う事は無い。 今日もその帰りに玉川縁を走って欲しいと言ってきたのでわざわざ遠回りをして帰って来たくらいだ。森さんの考えること、私への遠慮なんてすぐに解る。どれだけ私に心配掛けまいとしている事なんか完璧に解っている。 しかも私の体を気遣って早く帰れと言うくらいだった。それだけ私の事を愛していたのだ。私だってそれくらい解る。だからこそもっと何かをしてあげたくなるのだ。 お互いに愛しているからこそ、愛していると言うことを大切に想い、実行しているからだ。森さんと一緒に死にたいと言ったときだって泣いた森さんの気持ちは全て理解している。その理由は沢山ある。 お母様と私を残す事が申し訳無いと思っている、愛する私を残してすまないという想い、私が一緒に死にたいという森さんを喜ばす様な事を言ったと言う驚きと当然そう言うだろうという想い、そしてそれをありがたいと想うこと、 そして付いてきて欲しいけどそうも言えないと言う想い……様々な想いが折り重なっている涙だ。二人で無ければそんな難しい想いが涙だけで解る関係だ。私達二入の愛はとても深くて複雑で固い絆である。 そういう結びつきが良くわかって居る人ほど私とお母様が早く死にたいと言う事を理解出来る。

ネットワーク

 いつも公演前、公演中、公演後にネット上の情報について確認をしている。今回もずっと色々見ていた…しかし今回ばかりは見る度に自爆することになる。 見ると森さんの訃報が目に付く。ネット上の情報を確認しながらデータとして残していく。そして普通なら森さんに見せていた。森さんはネット上の色々な情報を見ることができないので 私がまとめて印刷して手渡していた。今回はとって置くべきかどうするかも決まらない。一応とっておくことにするが見せる人も居ない。訃報をとっておくのか? 見せる人も居ないし私が居なくなってから見る人も居ないだろう。何を何のためにするのか目的が定まらない。森さんという大きな指標が無い今は解らない。
 ネット上に悪い評判や誹謗中傷は余り掲載されない、と言うことを念頭に置いても森さんに対する評判は悪いと言うことは無い。かといって突出するほど良いと言う事もない。 普通にお芝居の情報を拡散してくださる方、役者さんの告知。そして森さんが出した本についてのコメント。そして森さんが教えてきた生徒さんや読者の方のコメント……。 そして森さんの名前があちこちに出てくる。シナリオセンターや審査員としての森さん、NHKやお芝居でも見つかる。ニコニコ動画でもヒットするがそちらは日脚連を通して 私が配信停止を申し入れたから見聞きすることはできない。とある海外のサイトでは見る事ができるかも知れないがそちらはとある国と言う事で手出し出来ない。
 いずれにしても森さんの名前はあちこちで出てくる。ある意味羨ましく、ある意味気持ちが悪い。IT専門で仕事しているのに気持ち悪い?と言われそうだが、 その気持ち悪いという感覚を持っているからこそ、森さんと上手くいった理由のひとつであることは間違いない。森組主催のお芝居でも検索結果が上位に出るように操作していたのは 勿論私だ。サイトを作って居たのも私だ。その一方で森さんと志を同じにすることができたのだから特殊と言えるだろう。二人とも分野の全く異なる二人がこれだけの愛で一緒に居られたのは そういうコアの部分が一緒だったからこそである。出逢った時から惹かれ合っていたのである。森さんから別れようとか、もう来ないでくれと言われた時も解決できたのはその 大切な所が一緒だったからこそである。そんな森さんが居ないのはどれだけ私の負荷になって居るか……時間が解決すると言う事は無い。
 この戯れ言を誰が読んでいるか解らない。IT専門家としては如何しても気になる部分で如何してもアクセス数を見てしまう。性だけど仕方の無いことだ。例え誰も見ていなくても 遺言みたいな物なので書き続けるので別に飯野だけど、見てしまう。1日に50前後のユニークアクセス、つまり大体50人くらいが見ていることになる。まあ、携帯端末やその他を 鑑みて大体2,30人は見に来てるだろうと思える。私の知り合いか物好きで見に来ているのか?まあ、森さんの知り合いが見ているなら物書きの習性上見ていると言う事もあるだろう。 稚拙な文章で申し訳無い。思うことをただ書き連ねているだけなのだから仕方ない。文才も無いのだから笑って読んでください。
 さて、森さんの居ない2Fで遺骨を前に独り言。森さんしか愛せない、よく一人で頑張ったね、この後どうするの? 早く連れて行ってね、言葉は尽きない。森さんは遺骨の側に いつも居るわけでは無い。私の後ろにいるのかどうかは解らないがきっといつも側にいてくれていると思うのでまわりに話しかけたりもする。急に後ろを振り返ってみたり、 暗がりの隅っこを凝視してみたりする……が、見えない。心のままに森さんに呟く。森さん以外は愛せない。こう呟くと変だと気付く。森さん以外の人を比較対象にできない、そう考えると 言葉を換えなくては思う。私が愛せるのは森さんだけ、まだ弱い。……私は物書きでは無い……がこう考えているとまるで物書きのルーチンワーク?のように思えてくる。 森さんと付き合った20年がそうさせるのか? 笑える。森さんに直接手ほどきをされた訳では無いがしっかり教育されていたことになる。 私が誰かに言われた「素人」という言葉はもう卒業しているのかも知れない。森さんは如何だったのだろうか?ワープロが打てるようになり、PCで一太郎を駆使して入力ができた。 それ以外に影響を与えていたのは間違いないが、どんな所が変化していたのだろうか? 今更ながら聞いてみたかったと思う。メールはできないし、SNSもやらない。 論理的思考能能力は持ち合わせていたし……。

不安定

 仕事でメールのやりとりをする。些細な事で切れそうになる。メールでデータを送って欲しいとメールしたのだが、印刷物を郵送で送るという。 電話やメールで相談無しにこちらの依頼をぶっちぎる。そういう仕事のやり方が今のやり方なのか、忙しいからメールで放り投げるのか? たったそれだけで不安定になる。 以前ならそういう仕事のやり方を二人で共有して現代という物について話すことができた。お互いそういうディスカッションをしてガス抜きをしながら森さんの書き物に反映されていたりした。 しかし、今はでできない。私はガス抜きの方法が無い。すぐに不安定になり暴れたくなる。肉体という入れ物の中で精神が大暴れして自分を破壊していくようだ。 我ながら会心の表現だ。ありきたりだけど…と森さんに笑われそうだが本当にそんな感じだ。何もかも捨てて森さんと一緒になりたい。あたりを見回し、森さんに話をする。独り言。森さんなら聞いていてくれている筈。絶対側にいてくれているだろうから。……

好きな歌

 ITオタクにはピッタリと言われてしまうかも知れないが宮崎駿監督の有名な映画、ルパン三世カリオストロの城。、この作品は古風な宮崎駿監督が作った代表作、そしてそのエンディングは とてもあう。タイトルは「炎のたからもの」この歌詞を森さんと私の両方に当てはめて考えて、それぞれに割り振ると人称的には良く解らなくなってしまうがそれでもしっくりくる。 WOWOWで丁度この映画をやっていたのでエンディング見たさについ見てしまう。歌詞を記載すると著作権とかいろいろに引っかかりそうなので全文を掲載する訳には行かないが、 「炎と燃えさかる…この愛」とか「絆で私を……」など凄くしっくりくる。森さんと出会う前はこんな好きな人が居たらよいと思っていたのだが、森さんと一緒になってからはずっと森さんと この歌のような二人になりたいと思ってそのようになって居たと思う。今はと言えば……泣けてくる曲になった。逆にこの曲は失恋の曲だが心理的には似た世湯なものであると考えられるのが中島みゆきの孤独の肖像。 「みんなひとりぽっち…」「海の底…」まさにその通りである。同じく寂しい心境が今の自分そのままである……

森さんの小説

 森さんの古くからのお友達に当家で余った食材をもらって頂いた。干し貝柱や醤油、パスタ、砂糖などあらゆる物をもらって頂いた。 お母様も私も使わないからと言う理由で使いカケだろうが冷凍保存だろうが全部お願いした。大量の食材は私には無用の長物である。 森さんが作ったカレー、甘酢、柚味噌。思い出が一杯詰まっていて食べることができない。こうして書くことも人にあげるのも辛い。でも森さんの昔からの親友になら…と思うと少しはマシ。もし私が食べられる頃にはもうダメになってしまっているかも知れない。 それならいっそあげてしまった方がよいと思った。もちろん私が森さんの為に心を込めて作ったトマトスープやチーズクリームソース、鮭のふりかけ、じゃこのふりかけ、練り梅もだ。全部森さんが喜ぶからこそ作れた物だ。 誰がそんな物、1人で作るか?だから材料全てが不要品。当たり前の話だ。私は森さんと一緒に居たからこそ料理好きに見えただけである。何もそんな面倒な事はしない。家のワックスがけや細かいメンテナンスだってみんなそうだ。 森さんと一緒に暮らしているからこそやっていたことだ。だから全部やれない、やらない。だから不要品まみれ。何も要らない。何もしない。
 で、あげるときに森さんの私に対する想いがぎっしり詰まった内輪ネタ満載の小説を差し上げた。読み終わっての感想として、森さんと私の結びつきがどんなに凄いものかが解ったとのこと、 当然だ。私の想いの一部は訃報で書いたとおりだが、森さんの私への想いが直接書かれているのはその小説のだけであとは森さんの作品全てに散りばめられている。 それら全てを読み返してみれば判る事だがそんな面倒な事しなくてもこの小説1本で十分だ。訃報と小説、合わせて読めばお互いの気持ちが合致していることがわかる。 森さんと私、二人の間ではまわりの皆さんが見ていないときはもっとべったり愛し合っていたのだから、当然そういうことになる。 森さんは私に対して嬉しいとか喜んでいる感情を表に出さない、出さないがあふれ出る感情が二人の間で空気となって表れる。だから鈍感な私でも察知できるのだ。 俗に言う阿吽の呼吸というのはそういう事のごく一部の事象を言う。だから私達2人の間での相手がどう考えているかという予感、予想は間違いないのだ。 森さんは確実に私を待っている。だけどお母様よりは先に来て欲しくない。それは間違いない。その一方で、著作権や今現在、現実として残る物全てはある意味どうでも良いと考えている。 死んでしまえば生きている人たちの間で勝手にしてくれ、という方針は森さんの言う所の無碍も無いあっさりしたある意味残酷な面だ。私とはその辺りは異なる。勿論男女の差という事もある。 だが、森さんの涙の意味くらいは完全に、絶対に、解る。森さんはとことん優しい。底抜けに優しい。だから言えなかった。付いてきて欲しいとは言えなかった。本当に付いてきて欲しいのに……。

また…そういうことを…

 森さん、貴女はたまに適当というかどうして?という事をヤルね。国民年金の番号も何も知らないと言うから探してきましたよ。探して探したら改名する前の名前で登録がありましたよ、 生年月日は戸籍上では無く、実際に生まれた日で登録されていました。どうやったらそういう登録出来るのか解りませんがありました。森治美でも登録があったような感じですが、 その時の会社名が解らない事と2ヶ月分でしたので、それと合わせてお金は何ももらえない状況だと解りました。森さんの言うとおり何ももらえないと言うことだけは正しかったですよ。 探せば解るじゃぁありませんか。やればできるんですよ。私が調べれば簡単ですよ。森さんらしいですね…もう……。

どうして?

 どうしてそんなにきついのか? 辛いのかを書いてみようかと思う。私の考える普通の夫婦であればまずはサラリーマン。会社へ行くときや仕事中、昼食や移動、通勤中。そして帰宅。 この間にどれだけ妻のことを思うか、妻のために何かをしようかと考えるかと言うことだ。まさか昼食の時に妻が食べられるものを探したり、店に入ったときに妻が食べられるメニューを探したり、 妻が食べられるかどうか試食してみたりする事はないだろう。仕事中に一服することはあっても妻がどうしているか考えることがあったとしても私のようにお茶を出したり、 食事を作ったり、マッサージする事は無いだろう。時にはドライブや何処かへお茶しに行くことだってある。移動中や通勤途中に花でも買って帰ろうとか季節ごとになにか美味しい物でも買おうとか家の食材で足りない物を考えたりする事もないだろう。 ましてや妻の仕事の為に送迎したり、肩や足、腰を揉んだり、かかとを削ったり、ハンドマッサージや爪のお手入れもしないだろう。風呂から上がるときに手伝ったり、体を洗ってあげたり、階段の上り下りを手伝ったり、 プチ旅行やドライブのプランをしたり、仕事の下調べや助言も。メールをしたり、手書き原稿をデータ化したり……どれだけ、何が、どうして、どれだけ一緒だったかどんなに書いても足りない。どんなときもずっとべったり一緒だったと言う方が速いだろう。 まだまだいくらでも書ける。手が痛いと言えば冷えるシートを買ってきて貼ったり、便秘なら牛乳やヨーグルトを朝と夜に増やしたり…浣腸や摘便だって…何でもできた。 病院へはマヌカハニーのレモネードを作ったりラーメン、パスタ、ドレッシング、サラダなど作り、森さんの好物を色々持って行った。 それら全て、私には当然のこと、当たり前の事で、してあげたことでは無い、やってあげたことでもない、当然見返りを要求したことも勿論無いし、不平不満を冗談以外に言ったことは無い。森さんがして欲しいだろうと思うこと、して欲しいと言ったこと全てをするという当然のことをしてきただけだ。 苦労? 大変? 全然、全く無い、問題も無い。 もちろん肉体的には大変かもしれないが、そんなことは全くたいしたことではない。ぶっ倒れるまでヤルに決まってる。森さんの無理しないでという言葉なんか全く気にしていない。 だから、森さんに代わってお芝居公演をやり遂げることも『当たり前』のことで、ごく自然な当然のことだ。第三者から見ればやってあげたことに見えるかも知れないが、私にとっては頼まれたことでも、してあげたことでもない。当然のことだ。
森さんの凄くやりたかったお芝居をやり遂げた、森さんがして欲しい事、森さんがしてくれるだろうと思っている。森さんが私の事を信頼してくれている。私の森さんが居なければキャンセルするという意味を誰よりも理解して頑張った、その森さんのお芝居を やり遂げない訳が無い。療養に集中して何処かへ行くことも拒否して芝居がやりたかった森さんを想う。それだけで十分だ。だから、あえて言うなら頑張った。森さんが喜んでくれるだろうと……その結果、評価はもう森さんには聞けない……。
 私の側からすればそれら森さんの事を考えながらも自分の仕事も色々こなしていた。もちろん転職活動や森さんのツテによる温情により仕事を頂いている。その仕事でなんとか森さんとの色々に役立つようにと 頑張った。こういう業界の一般常識など分からない事を聞いたり、どうすべきかなど助言してもらっていた。もちろんお芝居のサイトを作ったり色々な事をしていた。訃報にも書いているが私に取って森さんは 助言もしてくれるし、この業界の大大大先輩だ。師匠とも言える。それ以外の関係についてもあげたら切りが無い。
 だから……、森さんが居ないことが辛いのだ。お互いがお互いに依存し、共存し、共生していたのだ。どちらかが欠けてもこのような状態になって居るだろう。 いや、森さんが残されていたら私より早くにこの世を去って居るだろう。そんなことをしなくても早々に何時もの自律神経失調症で入院しているかも知れない。 何故か?以前に森さんと話したことがある。私が先に死んだらいい人が周りに居るから大丈夫でしょ?そう言うと「母親が居るからそうも行かないよ」「無理よ」という。 しかし、その裏に何か重大な含みが見え隠れする。森さんもそのあたりが直接言わない所だ。思い切り含んだ空気が2人の間に充満する。そんなことがあったら耐えられない。 そんな空気が目の前で膨らむ。きっとどうなるか解らないと考えてるのだろう。その時に私も森さんが居なかったらどうなるか判らないと言う空気を掴んでいたはずだ。 お互いに空気が読める。相手の思うこと、方向、真意が良く解る。それ以上言葉を交わさなくてもお互いを理解出来る。そんな夫婦がどこに居る?私は見たことが無い。

寂しそうな森さん

 初めてかもしれない。鈍い私はようやく森さんが夢の中に出てくれたと感じた。私が何処かへ行って森さんが居た。振り向きざまに凄い寂しそうな顔を私に見せた。 顔が寂しい表情という感じだけでは無く『寂しい!』とダイレクトに感情がやってくる。おそらくそういうことだ。森さんは1人で寂しがっている。間違いなく待っている。 しかし、お母様を残して森さんの元に行くわけにも行かない。だからこそ森さんは更に寂しがっているのだろう。寂しいという感情だけがダイレクトにやってきたのは全てを含んだ感情だろう。 これが森さんの分まで長生きして欲しいとかお芝居のことで感謝しているというならもっと優しい表情をしているだろう。そんなことは全く無い。凄く、強く、寂しいという感情が私にやってきた。 これが私の願望、欲求、想いが夢になって居るというのなら私もそう解析するだろう。しかし、今回の夢の中ではそんな夢という生やさしい物では無い。 私が今まで見たこと、夢を見たときに森さんにも話したことのある様な夢とは全く異なる。もっと言うなら夢とは全く違う夢(ビジョン、映像)だ。森さんと話ができたと思う。 多分森さんが気になって居ることを少しずつ片付けているからようやく来てくれたのだろう。 それとこちら側で私が変わらず森さんの為に奔走しているのを見て済まないと思ってくれている。私を一人にして済まないと思っている。まだ他にも理由はあるがまあそれは……。

かわいい男

 森さんは何回かチェーホフの「かわいい女」を書いている。お芝居用ではあるがその中で森さんは主人公の可愛い女が好きになれないと言っている。でも、愛する相手を得ることで自分を空っぽにする事が出来、全てを委ねることができたら……。 意識してそうすることでは無く、天性の資質で出来たなら……森さんはもう気付いていたのだろう。そういう真っ直ぐな私と一緒に暮らすことが出来たのだから。 だからこそ、私の中は今、空っぽなのだ……。

錯覚

 今日も朝から2Fで音が聞こえる。森さんはもう、居ないと解っているのに、理解している筈なのに馬鹿げたことを考えてしまう。あり得ないと解っているはずなのに。 こんな事を書きながらも「稚拙な文章…」と考えながら書いている。物書きかっ!と自分自信突っ込みながら森さんの軽いぼやきを思い出す。本題に戻そう。 物音が聞こえるのはお母様が朝食を作って居るから。ごそごそ聞こえる。それだけでもストレスになる。森さんが居ないことをまだまだ理解できていない。納得できないで居る。 私一人だけなら大丈夫なのか?そうするとなお一層ノイローゼ、鬱病などへ一人でまっしぐら。さっさと森さんの元へ旅立つだろう。ストレスでもあり、防壁でもあるのか?

個人情報とSNS

 森さんのアドレス帳に記載がある皆さまに訃報をお送りした。森さんとお付き合いの長い方やそうで無い方、色々いらっしゃる。しかし私には全く解らないのでほぼ全員にお送りした。 拡散目的もある。もちろん森さんに関連する皆さんに拡散するだろうという意図でだ。それに仕事の依頼や「元気ですか?」「先日の芝居見ました」「お見舞い行っていいですか?」なんて 電話してきても困るからだ。そこからどんなお付き合いしてましたとかいい人なのにとか私が泣きそうなエピソードを語られても困る。色々な事で困るだけで無く、 「何の病気だったんですか?」と根掘り葉掘り聞かれても困る。900人近くの皆さんに聞かれても困る。だからあえて長い長い訃報にしたのだ。 だからといってFacebookで堂々と公開されても困る。せめて私の名前を消すとか許可を得るとか、そういう配慮は欲しい。だって本文中に個人なのでそっとして置いて下さいと記載しているのにだ。 私が自分の考えでこういうサイトに記載するのはかまわない。自分自身の責任と判断で記載しているからだ。個人情報を記載するという事はどういうことか? 無邪気に「いいね」「哀しいね」をしている人にも疑問が残る。個人情報に対して麻痺しているとしか思えない。Facebookで色々な情報発信するのはよいが 個人情報に対して配慮できない人が著作権だとかその他の権利についてきちんと管理出来ているのか疑問だ。 そもそも訃報と言ってもこれだけの長文になれば著作物だと思う。訃報は著作物から除外か?そういうことになる。通常の訃報として数行の物なら著作物として認められないかも知れないが、 訃報と行ってもA4びっちりで余白が少なくて森さんに「こらこら!」と怒られそうな程でも著作物には違いない。しかも個人名入り。新聞社は訃報で実名を入れても良いですかと聞かれた。 当たり前だ。他の人には許可していない。共同通信に許可すれば各者に配信されるのだから実名が拡散することは当たり前だ。しかしその辺りは配慮してある。検索に引っかかりにくい工夫もしてある。 勿論、上記のFacebookには検索で引っかからないがそういう事ではない。そういう文書を許可無く掲載する、して良いか考えずに掲載する神経を疑うし、そういう物をアップされていて問題無いか 考えずに流される人たちの存在が今の著作物の規制の問題点の中心にある。もちろん私にだってミスやうっかりもある。指摘されて即座に直すこともある。皆さんで気を付けて欲しいと思う。 まあ、すぐに消せとは言わない。体力も気力も無い、保留。
 許可はしないが禁止や掲載を取り消せとは言わない。まあ、別に、アカウント作ってわざわざ言うのも面倒だ。森さんはしっかりしてたなぁ~そういうこと。 森さんは私に安心してそういう事を任せてくれていたなぁ……。
 メールやFacebook、インスタグラムなど怪しいメディアが蔓延している。これは免許も交通ルールも何も知らない人にいきなり車を渡したような物だ。 どうやって使って良いのか解らぬまま使い始める。ルール以前にマナーも何も知らないまま使い始めるのでそういうルールを知っている人が知らない人に教えようとすると 「どうしてダメなんだ!」と話にならない。最近のメディアとはそんな物だ。インスタグラムにアップされている写真の人間にきちんと公開する事を伝えているのだろうか?許可を得ているだろうか? 昔はネットワークなどで拡散したり不特定多数に見られることが無かったから、大丈夫だった事もある、暗黙の了解だったりそれでもきちんと許可を取っていた人も居るだろう。 現代はそうも行かない。きちんと掲載許可を取る必要があるにもかかわらず、堂々と掲載されている。おかしな話だ。各種メディアでも最近は顔がわからない様にモザイクなどで 消している。個人だからそんなの大丈夫、と言う人も居るだろう。私?人が写って個人が特定出来そうな物は公開していない。役者さんには予めサイトでのみ利用を許可して頂いている。森さんの暑中見舞いは2001年から全部 私の写真だ。個人が特定出来る写真は一枚も使って居ない。出来るだけ人が写り込まないように心がけているからだ。人が写り込んでいる画像は個人情報が特定出来ないように加工している。 各種SNSは個人情報を出さないように、これで特定出来ないか、と何時も考えて使う必要がある。ご注意を。

森さんという存在

 森さんという存在が素敵だったこと。そして愛し合っていたということで得られる安らぎ。それが今は無い。自宅が売れる算段が付いてきた。価格に不満が残るが売れそうな雰囲気。 売れること自体はありがたいが、森さんとの思い出が大量に残るこの家を売ることには売れて借金が棒引きになることもまして辛い。 借金が棒引きとと言ってもその全てが棒引きでは無い。まだまだ多大な借金が残る。さらにお母様。94歳となると一緒に私が住んでいても入居を断られる。その辺の物件が気に入っても入居できない。 今日、早速近所の不動産屋さんへ行ったが断られて一件も紹介してくれない。仕方なく自宅で高齢者入居物件で検索。ようやく何件かヒットする。 しかしそれでもどうにもならない。最終的には破産申告。まあよくあることだ。森さんの著作権という財産も手放すことになりかねない。 毎年そんなに素敵な収入があるわけでは無いがどうにもならない。まだ、どういう相続にするか、出来るのかがどうにも解らない。それに仕事のストレス。森さんが居ないことのストレス。 どんなストレスでも森さんと一緒なら乗り越えられた。森さんと一緒だからこそ出来たことだ。奮起することも鼓舞することもできた。存在するだけでそんな事が出来た。その森さんが居ないのだから息抜きも出来ないだけで無く余計にストレスがたまる。 倒れそうだ。そのストレスでこそ森さんの後を追いたいという気持ちに拍車がかかる。めんどくさくなる。この世に未練が無い事もある。私の母からの援助もあり得ないしそんな期待も無い。やはり森さんが居ないのだからどうでも良い。 寂しそうな森さん、森さんに早く逢いたい。

ストレス

 何度も言うがストレスがどんどん溜まっていく。趣味に熱中してストレス解消すれば?何かしてストレス解消出来ないの?と自問自答してみる。しかし、何をしてもストレスになる。時間が経てば楽になるから、と言うのも通常なら解る。 しかし、どう考えてもストレス解消出来る方法、理由が無い。単純に森さんが居ないのでそれが最大のストレス。森さんが目の前に現れない限りは何の解決策にもならない。 又は私を愛していると言う森さんと全く同じような女性が現れるか……現れても私が愛さない限りは無理なのでそれも意味が無い。 森さんを忘れる事、森さんへの気持ちが和らぐとそれが無くなるのだろうか? そんなことは無い。 食事をするときに居ないこと、後ろを振り向いても居ないこと、何か飲もうと二階に行っても居ない、風呂に入っても居ない。私のすること全てがストレスなのだからどうにもならない。食事をするにもその食事をする為に何処にするか考えることもだ。 自分のする事全てが森さんのためであったり、森さんとのことであったので当然だ。ストレスを抜く方法が無い。ストレスを解放出来ない。このままだと本当に壊れそうだ。日々悪化しているのが良く解る。 家を売る?この家から出て行くのか?感情とは言えない何かが暴れている。どんな感情か理解不能の何か、解らない物が体を駆け巡っている。もう些細な事が全てストレス。電話に出るのも無理と言いたいくらいだ。 何処かで壊れる。行動的で何でも出来る自分がまだ支えてくれているが何処まで持つか解らない。何処かでその支えが無くなったとき、お母様を残して森さんの元へ行きそうな気がする。 病院に行けば?無理。もう病院には行けない。病院が怖い。森さんが死んだという「病院」という呼び名のところへは行けない。ギリギリ何とか歯医者には行くことが出来たが、悪化している今、もう行けない。 森さんの入院などの証明をもらうために何とか行ったが倒れそうになった。しかも書類を依頼するだけでは駐車券のサービスがないと言うそういう小さないざこざだけでももう辛くて辛くて本当に倒れそうになった。 もし、本当に病気で病院に行ったら絶対倒れる。友人の病院にも用事があって行ったがその時は用件だけざっと済ませて1分もいなかったと思う。イキを止めてざっと水の中に入ってすぐに出た感じだ。 もう、病院には行けない。行かない。病院でこれほど苦労したのだから、森さんと行った食べ物屋さん、一人では絶対に行けない。無理。特に森さんが好きで楽しく行った場所は無理だ。増上寺ですら行きたくない。 お寺で楽しく?と言われそうだが、お墓参りの際に綺麗な東京タワーを眺めたり、その後に行ったホテルオークラ。それらが全てセットで記憶されている。だから苦しい。全てがこんな感じだ。病院でそういうときにもらえる薬を飲めば?と聞かれてもこれもストレスになる。 飲んだことのある人には解るが、あれは脳は動きたいのに体が思うように動かなくなる感じの薬だ。逆も然り、体を自由に動かせるのに脳が何となく半分寝ているように感じる。つまり思ったことが出来ないもどかしさが返ってストレスになる。 あれらの薬はストレスになる。とても飲めた物では無い。それに車の運転が出来なくなる。それもストレス。 もうすぐ車が20万キロを超える。森さんと走った地球5周。前の車も計算に入れると何周しているか解らない。おそらく7周はしているだろう。そんな距離どうやって二人でと思うが、高速道路を使わずに旅行したり、毎日送迎していれば当然だ。 今はドライブすらストレスだ。しかしそれでも人混みの中を歩くことを考えればまだ楽だ。歩いてみたがやはり倒れそうになる。全てがストレス。こんな事では森さんが哀しそうに夢枕に立つのは当たり前だ。 水の中で溺れている感じ、溺れたことが無い人にはこの表現でもまだ解らないだろうが、この表現がかなり近い。呼吸をしたくても呼吸が出来ない、息苦しい。森さんが苦しかったのだからこれくらいは我慢しながらストレスに囲まれなくてはいけない。 このストレスでうまく壊れてくれればそれはそれで良い。お母様より先に行かない程度に何とかそれまでに……支度せねば。

求める物

 結婚や同棲、人それぞれに理想や求める物、そして求める愛に差がある。性格の不一致やセックス、色々な方向から呼ばれる物が合致しないとそのペアはペアで居られなくなる。 ペアと呼ぶのは同棲していたときは上手くいったのに結婚したとたん失敗するというようにそれぞれその形態によって求める物が異なるからだ。愛人として一緒だったときは大丈夫でも 結婚したいと思ったとたんに失敗。結婚して長年連れ添ったのに離婚に至る。良く聞く話だ。私達2人だってその可能性が無かったとは言えない。ただ、今の時点で言えるのは、2人とも求める物が合致していた。 私は他から見れば甘やかしているとも言えるくらい色々な事をしてきた。でもそれは愛しているからこそで、甘やかしているわけでは無い。私よりも20歳年上なのだからいたわって当然。女性だから補助して当然、 森さんが主体で仕事をして稼いでいるのだから当然、料理も掃除も何でも手伝う。それでも足りなかったと思うくらい色々やりたかった。してあげるとかやってあげたという世界では無い。 森さんもして欲しいと思うだけで色々やってくれる私を他人には重宝とかアッシー君と照れ隠しに行っていたがその実はとても感謝しており、凄く喜んでいた。どんなに遠くでもどんなに面倒な時でも私が 何事も無かったかのように普通に登場する。森さんの仕事の補助や資料集めなども同じだ。金銭面でも家を抵当に入れたりごく普通に色々な事を進めた。森さんも色々なことで私に何も言わずに進めていた。 お互いに気を遣いながらも苦にせず、口に出さず頑張れる。お互いが居るからこそストレスもある程度解消出来て一緒に居たいと思う。同棲でも結婚してもそれが変わらず愛し合える。 私達2人はそんな関係。お互いに依存関係でした。私はそれを理解していて森さんに「もう、森さん中毒です」などと言っていたこともある。「森さんいないと暮らせません」色々言っていました。 2人の愛も色々な愛です。だから何時私達を見ても新婚、恋人の様に楽しそうでラブラブだったのです。解る人なら2人一緒に居るだけで固い絆で結ばれていることが解ったはずです。 20歳という年の差?と不思議に思う人が居るかも知れません。でも実際に2人が楽しそうにしている所をみたのならその疑問は一瞬で無くなることでしょう。それくらい自然な2人だったのです。 森さんは難しい人です。求めるクオリティ、行為何でも難しい人です。それだけに求める愛も複雑で森さん自身簡単にいかなかったと思います。それでも二十数年間一緒に暮らすことが出来た。 森さんが「愛してる」と言ってくれました。私達の求める物はよく言われている「無償の愛」かも知れません。

何処へ?

 ひと仕事終わった。埼玉県で仕事が終わり、車へ荷物を入れて深呼吸。体中を何かが襲う。どうしよう?家に…返る?何処へ? 仕事が終わって普通なら家に帰るというところだが 私の場合は愛する人の元に返る。だから今、家に帰るこのを躊躇している。返る所が無いという恐怖感が襲う。どうしよう、何処?パニックを起こしそうだ。また暴れたい衝動が襲う。 どうして?どうやって?何故?質問の定まらない自問自答が繰り返されると同時に倒れそうになるのを抑える。そう、森さんの元へ返るという事が出来ない今は自宅とはどういう意味なのか解らなくなっている。 なのに自宅には思い出が詰まっている。理論的に何かを考えようとしてもそんなことを逸脱してでも何かを考えてしまう。最期には色々な考えが死と書かれた行き止まりで身動き取れなくなる。そのままバックすることも 引き返すことも出来ないまま嗜好を停止する。その停止が私の呼吸を止める。最近さすがに食事をすると胃のあたりが少し痛む。当然だ、これだけストレスを抱えれば多少の胃潰瘍は出来ていないわけが無い。 このまま順調に悪化してくれることを祈る。早く森さんの元に行く。これならステージ4を直すより簡単に実現できそうだ。頑張ろう……。

また、入金

 保険から森さんの死亡保険金が入金された。この金額がまた少ない。でも、1億とか2億なら良いのかというとそういう事でもない。とにかく、倒れそうになるのをようやく踏ん張って森さんの入院していた病院へ書類を取りに2回も行ってやっと振り込まれたお金。 森さんの死と引き替えに振り込まれるお金。大切に使うことは勿論だがそれより何よりも辛い。気持ち悪いとかでは無く倒れそう。耐えがたい。

森さんのイヤリング

 森さんのイヤリングで私が1から作ったものがこちらに掲載されている。価格は高く設定されている。まあ、このあたりは販売しても……大丈夫か良く解らない。 このサイトは新品だけを売っているもちろん新品だ。何故か?私が作って居るから新品があると言うこと。もちろん森さんが使った物はヤフオクに出す予定。まあ、どうするか……。

引っ越し

 今、売却するために色々とやっているが進まない。売却益も殆ど無いに等しいのに来年、税金はやってくる。おそらくもらっている報酬に加えての収入になるので恐ろしいことになる。 なのに、現金は無い。そういうことになる。森さんの残してくれた著作権は殆ど収入にはならない。それだけならまだ良い、と思うほど面倒な事に。と言うのも、森さんのお母様が高齢なので借りられる家が無い。 借りられる家が無いのに家を売ってどうする?そういう事だ。幸か不幸かお母様が元気と言う事が幸いしている。幸いしていると言っても100%では無い。要介護度が無い。自分で炊事洗濯が出来るので、 要支援度も最低なのでお願いすると費用がかかる。つまり支援も受けられない。どうにもならない。こんな状態でも森さんが居れば乗り越えられるだろうが、森さんが居ない今、どんな簡単な障害でも辛すぎてどうにもならない。

もうすぐ2ヶ月

 森さんが我が家から消えてもうすぐ2ヶ月が経つ。直後はお芝居の為に奔走していたからだろうか、深夜に森さんと会えたからだろうか、あのときよりも今の方が遥に辛く感じる。 お芝居の最中は森さんの後を追いたいという感情は少ししか感じなかったが、今は完璧に追いたい、逢いたい。森さんの亡骸をそのまま冷凍保存しておきたいくらいだった。それは物理的に無理と言うこともあるが 森さんが嫌がるだろうと言う事もある。そのままとっておきたかった。毎日どうやったら楽かを考えてネットを徘徊している。そうしていると少し楽になる。勘違いだと解っているのに……。 森さんが居ないだけでこんな事態になることは予想していた。だからこそ森さんと出会って結婚するまで時間がかかった。約4年。確かに20の年の差や仕事の分野が全く違うこと、その他の諸問題に要した時間もあるかもしれない。 しかし、私が森さんを「愛している」と気持ちを表し、結婚に踏み切るために最大の障害となったのは「別れ」という、これまで書いたことにさんざん書いたとおりだ。日々辛くなる。 些細な事でより強くなる辛いという感覚。森さんが頑張って呼び込んでいるかも知れない。さっさと森さんの残務を解決しなくてはならない。「やらなくちゃ」と心の中で呟くが体が動かない。 持ち前の行動力でもなかなか動けない。なんとか洗面台引き出しに格納された過去の遺物をゴミ袋へ。それだけがやっと出来た事。それしか進まない。なのに仕事もする必要がある。仕事の方が少し進む。 森さんの後を追うならこの家で何とかしたい。今はそう思うだけ。

お金がかからない

 悪く言っているわけでは無いが、森さんが居ないとお金がかからない。私も森さんも贅沢病。アレが食べられないこれが食べられない。アレで無いとダメ。そんな贅沢が半減するのでもちろんかかる費用は半分処かかなり減る。 もちろん森さんに借りてもらった金銭の返済をしていないのだからその分も楽になっている。まあ払わなくてよいと言うわけでは無いのでまだアレですが、とにかく払っていない。だけれども、車の保険はちょっと違う。森さんに何かがあったら困ると言うことで 搭乗者にも多めの補償を掛けていた。しかし、森さんが居なければその補償も少なくて良い。隣に誰か乗ることはほぼ無い。それに車両保険やらなんやらも別に入らない。年間で10万円ほど安くなったので一括払いにした。まあ、良くあることだ。

2人とも……

 末期癌なのだから前もって色々話をしておくべきだったのでは?と言われてしまうだろう。しかし2人ともそんな突っ込んだ話は皆無と行っていいほどしていない。 森さんと話したのは最期を迎えたときに付いてきて欲しいと言うこと、葬儀はしなくて良い、偲ぶ会などにあんたは参加しなくて良い、骨は海に撒いてくれ、後は生きてる人で適当に、大体の路線はこんなところだ。 それ以外は話していない。何故なら生還するという希望につなげるためだ。それに森さんは死んでしまった人に生きている人たちの世界は如何だろうと関係無い。紋切り型のサッパリした人だ。 その一方で私に付いてきて欲しいという極端な寂しがり屋。もちろん私の事を愛していると初めて言った森さんが私に付いてきて欲しいと言うのは当然のことだ。3回も結婚して最期の間際にようやく言った「愛してる」と言う言葉には 様々な意味がある。そのひとつひとつは言えないがあらゆる意味、感情が溢れていた、詰まっていたのだ。そんな治美が待っているのだ。当然、何をどうするかなど愚問だ。私が私の責任において全て取り仕切ることが森さんの遺志になる。 だから私が決めたことが森さんのして欲しいことであり、森さんの残したのもだ。バカな事を…と言われてもそれが私達の信じる物だ。無宗教の森さん、宗教には属しているが親の宗教の関係でたまたまそうだと言うだけで、私も芯の部分は無宗教だ。 人には守護霊が付いていることがあるおという。何故か?人は死ぬと魂になって天国か地獄に行くという。しかし、たまに悪霊や地縛霊になるという。じゃあ守護霊はどうした?そういう事になる。日本の宗教やキリスト教、その他の信じる宗教が異なると 天国だったり地獄だったり、三途の川を渡ったりとその世界やシステムが異なるのか? 生きている人たちの論理で言えば1たす1が2ではない宗教があると言うことになる。ゴーストインザシェルのようにネットワーク上には既に 知能を持つAIが存在するかも知れない。人工知能がネット上で支配や操作をするかも知れない。そんな考えが人間の宗教にも当てはまる。願い事をする。はずれたり敵わなかった人たちは落胆してそのまま何もしない。しかしたまたま敵ったり 成就した人たちは違う。吹聴してくれる。当たった、願いが叶ったなどと大騒ぎをする。それが奇蹟という名前に変わる。宗教の根幹はそこだろうと思う。だから麗姿や占いは当たらない。占いで森さんは好きなだけ生きられると言われていた。 なのに亡くなった。死んでしまうと言う将来は全く言われていなかったのだ。もう、医者も占い師も宗教も信じられない。だからお墓に森さんを入れるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。このまま家に置いておくのが正しく思える。 それに遺髪と遺骨を持ち歩いていれば十分だ。さらに森さんは遺骨や遺髪に憑いているわけでは無い。絶対に私に憑いているはずだから……。

遺品整理

 何を捨てて、何を取っておいて、何を売るか?まだ迂闊なことは出来ない。相続の方式を決めていないのに売っ払ったりすれば全て相続したことになる。 あげても同様だ。だから本当に不要な物を捨てる。スキャンしてデータ化してとっておく。それでリスト化すれば何とかなる。 そうやって色々な事をしていると、また森さんという素敵な人を亡くしたのだと実感する。過去の記録を見ているとかなり苦労して書いていたように思える。 言って返って右へ行って左へ行って。最近は方向性が比較的簡単に進めることができていたように思える。森さんの要求する以上の資料を私が用意する。 それらを読んで自分の物にする。そこからイメージを膨らませたりそうなるような資料を森さんに渡していたからかも知れない。 それらからするともしかして森さんはこれからの人だったのでは無いかと思う。もっと深い作品。私が心の中を弄り倒される事は嫌いだと言っても、のめり込んで見てしまうような ドラマ、お芝居を創れる可能性があったと思う。残念でならない…。

難しい

 著作権、著作物とは難しい。私の訃報は著作物という定義に当てはまらないようだ。でも、たとえその定義の著作物に値しなくとも気持ちがこもった物を 勝手に掲載して良いと言う事は無い。しかも実名が入っている物をだ。本当にそんな許可を取る必要が無いなら新聞社だって許可を取ったりしない筈だ。後で 文句を言われない用にする為に許可をとるのだ。ならば個人でSNSに掲載するときも許可を取る必要がある…筈だ。  さて、もっと難しいのは著作権料というか使用料。最初に書いたときは原稿料なので相続の際に課税対象となる金額とは異なる。あくまでも再放送や再上演に 使用される金額が相続対象となる。つまり再利用、再使用、再上演や再放送があってこそようやくその価値が決まる。と言うことはそれまではほぼ無価値。 難しいですね。そして森さんが登録していた協会ではお芝居の脚本については関係無し。あくまでも個人と団体とのお話と言うことになる。つまり、これも再演が無ければ 価値として認められるかどうかと言う事になる。価値は一体どうなるのか?と言うことになってしまう。 森さん、放棄でいいと言う事か?なんだか今日は昼間から森さんが何か言いたげな空気が流れている。何か複雑なことを説明したいのでは無かろうか? 倒れるはずのない鞄が倒れたり、なんだか物が勝手に動いているような現象が続いている。霊感が薄いと森さんの遺志が伝わらない。もどかしい。

またお前か?

 森さんが後ろで手を引いているのか?今の家の売却がとんとん拍子に進みそう。総額としての金額にはもちろん不満があるが 友人の不動産関係者に聞くと良い方だという。業者さんの買い付けなので瑕疵担保がないと言うことでそれから考えるとまずまずの金額。 個人間の取引よりも20年経過した物件には良い事が多いという事。しかも回避出来なさそうな賃貸物件もいくつか見つかった。 何とかなりそうな雰囲気。さて、如何した物か?クレジットカード、銀行への連絡もあと少しで終わる。連絡する度に杓子定規のお悔やみを聞く事になる。 そんな形式的なことなのに凹む。だんだん森治美が消えていくような気がする。もう、この世に居ないのに……? こんなに何とかクリアーできてしまうのは森さん、貴女ですか?後ろで手引きしてるのでしょうか、それとも私が持ち前の能力を発揮してなんとかしてしまっているからでしょうか? 森さん、私の守護霊になって居るのですか? 貴女の言いたいことが解らなくてすみません。

雨女…森さん

 森さんは自他共に認める雨女。それに対して私は晴れ男。大抵は私が勝つ。しかし拮抗することも多く、昨日はそれが出ていた。 森さんが入院してからご迷惑をお掛けしていた事、森さんが毎年慰労会としてお食事にご招待していたことを森さんに思い出さされて やらなくては、ということになり車で出かけた。移動中、雷雨、豪雨、凄い事に。森さん、前に一度やりましたね。桃井章さんのコレドというお店で お芝居をやる当日、家を出たときには同じような雷雨。コレドに付く頃には快晴。通り雨とはいえ、搬入に支障無く晴れたときがありましたね。 今回も同様でした。移動中は凄い状態。雷はドッカンドッカン、前が見えない位の大粒の雨。なのにお店に着くときにはもう降っていない。 森さん、ありがとうはもっと素直に表現して下さい。泣いて喜ぶのはやめて下さい。

教会の結婚式

 教会の結婚式をやったことがある。森さんと二人きりの結婚式。森さんは凄く喜んでいた。ただ、その結婚式で異議がある。 死氏が2人を別つまで愛を誓い…と言う部分だ。私は死んでも愛しています。そう言える。今だから言えるわけではない。その結婚式の時も思った。 その通りだ。死んでもなお愛している。その愛は変わらない。かなり昔にアルマゲドンという洋画の主題歌? I Don't Want to Miss a Thing この曲はまさに私の気持ちと一緒だった。 森さんが寝ている間もマッサージや抱きしめたり、色々していた。軽いマッサージをしながらも何となくずっと見ていたり。寝ないで森さんを見つめていた。森さんが長生きしますようにと 願いながら……。なのに森さんは……。この曲はもう聴きたくない。森さんが居るならこの曲はとても良い曲だと思えたが今聞くには耐えがたい。

趣味

 表向きの趣味はパソコン、ドライブ、写真撮影、手品、水泳、空手、日曜大工、バイク、アクセサリー作り……色々あった。しかしその実は森さんを喜ばすこと。 その原動力は森さんへの愛。それだけだった。森さんの居ない頃はただ何となく目標もなく漂っていた。結婚しないと出世できないと言う意味も結婚してから良く解った。 そういう事だったのだ。愛すると言う事はどれだけ大切か。だから森さんが居ない今、私には何もない。仕事をしても目標が無いので抜け殻が仕事をしている。 仕事に手を抜くという意味では無いが、目標が定まらないのは当たり前だ。森さんを愛することが趣味で有りライフワークで有り、まるで呼吸するかのように 自然なことをしてきた。その呼吸が今は止まっているのだ。呼吸できずに哀しみの海の中で溺れて居る。この深海の中に居る私が時間の経過と共に楽になるのだろうか? 何処までこの深海の中に居られるのかが問題だ。森さんの色々な後処理をしていくほどに辛くなる。写真を捨て、手紙を捨てていく。とっておくとしても何のためにとっておくのか 答えが無い。答えてくれる人が居るわけも無い。自分でも理解出来ない。行き止まり。これが今の趣味か……?

花見

 森さんと言った所に行きたくない。今日も森さんが「寂しい!」と訴えたので花を買いに梅ヶ丘駅へ。行き帰りの道すがら森さんと一緒に歩いたのを思い出して辛くなる。 なのに何故か花見に行きたくなった。洗足池の公園へ行った。何故か辛くない。多分森さんが一緒に行きたいと行ったような気がしている。でも、ここの桜も上の部分が伐採されてしまっていた。 年数が経ちすぎて危険と言う事になったのだろう。それと部分的に花見が出来ない様に柵が設けられている。ある意味異様で殺風景。テキ屋もみんな同じようなメニューでおもしろみが全く無い。 昔はお化け屋敷や型抜き、様々なテキ屋が居たのに何も無いに等しい。つまらない。寂しくは無いが桜を何となく見ながら一周して終わり。森さんは満足しただろうか? 思えば昨年の4月、森さんのレントゲンから精密検査が必要と聞いた瞬間、来年の花見は無理だろうと直感があった。もちろん森さんには言えない。その予感は当たってしまった。 森さんの居ない桜の時期。あり得ない。森さんの居ないこの状況は理解出来ない。

限定承認

 森さんの相続には「限定承認」という特殊な相続方法しか無いと考えている。しかしこの限定承認という特殊な相続方法は年間に何例も無い。 従って、弁護士も司法書士も殆どの人がやったこと無い。しかもやったことがあったとしても不動産で負債に当てるということしかやったことが無い。 そこへその資産は著作権。そうなるとやったことがある人を探すのは困難を極める。ある、司法書士に至っては申請はお手伝いしますが「補償しません」。 限定承認は受理されるかも知れませんがその後で限定承認をひっくり返されるかも知れません。というのだ。書類作成のお手伝いはしますが、それによって失敗しても知りません。 こんな馬鹿なお話があるわけが無い。お金を取って仕事するのにその仕事が正しいかどうか解りません。でもお代は頂きます。 そんな無駄なお話にガソリン代、駐車代、時間、浪費したのだ。馬鹿馬鹿しい。

お~い

 森さん、資料やら企画やら脚本やら……手書きだったり台本だけだったり、大変です。しかも同じタイトルのが転がってます。確かに聞きました。「タイトルなんて仮題だからそんなに気にしなくてもいいよ、自分が思うタイトルなら何処に使っても大丈夫。 」 そんな感じの事を言っていましたね。今、思い出しました。おかげさまで貴女の書いたリストには○○と別物などの記載が必要になります。大変面倒です。そういういい加減なことはやめましょう。 それと森さん、次も脚本家をやるなら台本に書き込んだテキレジは必ずデータに残して下さい。それと同じタイトルはやめて下さい。それと没企画は金銭を伴ったか書いて下さい。それと没になったか書いて下さい。あとは……何時何処で公演したものか、何処の依頼で書いたのか残して下さい。 次に生まれ変わっても多分私と一緒で手伝うことになるのですから……お願いします。

森さんの覚悟

 森さんは癌関連のお話も書いていた。その資料に原作のコピーが残っていた。とてもグロ。森さんの放射線治療についてももう他に手段がないときの最後の最後にやることと記載されている。 森さんが親友に漏らしたのはこの時である。私にはそんなこと言わない。お互いに最期まで前向きに、何時もと変わらない二人で居たいという気持ちから自然とそうなっていた。 お互いにもう最期だから…という悲壮な何かはやらない。だから森さんは遺言も何もない。死んでしまえば残った人たちにしか出来ないこと、残ったからこそ好きにして良いという森さんの信念みたいなものだから。 とは言え残酷だ。私に家の処分や借金問題、お母様を託してそのまま。まあ自殺したわけではなく病気なのだから仕方の無いこと。誰が悪いというわけでもない。しかし、それでも私は森さんに早く会いたい。 ある人に外で死ぬと森さんに会えない、と言われたが森さんは病院で亡くなっているし…と思う。幽霊とか地縛霊とか色々あるけど信じないわけでもない。 見えないものや判らない物をただ恐怖するよりも理解してそれを生かすことが大事だ。見えるという人が居る以上、それはあ認めなくてはならない。 居るという事を前提に言えば、如何しているのか?成仏していないのか?守護霊や地縛霊いろいろな事例に分けれる理由は何か?南無阿弥陀仏と唱えれば消えるのか?それともアーメンか?その他の主教の 経典を唱えるとどうなるか?私に言わせればどんな宗教でもどんな言葉でも大丈夫なはずであり、どの宗教でも関係無い可能性がある。 奇跡が起きた場合はその奇跡が吹聴、誇張されて広まる。しかしその逆にマイナスの話やそうなって当然と言う話は誇張も吹聴も発生しない。だからこそ奇蹟とはそういうものだ。 奇蹟があってこそ宗教なのだから、当然そういうことになるだろう。だから私は大切なのは祈る気持ちだけで良いと言う事になる。戒名とお墓への収納は儀式であり、 他の人への配慮とも言える。だからこそ遺骨は当家にずっと置いてある。毎日森さんに口づけ、愛の言葉を贈る。まだ成仏して欲しくないので森さんに語りかける。全て終わったら連れて行って欲しいと。 森さんは覚悟していたがその覚悟とは異なり急に亡くなった。だから私も早く一緒になりたい。次に逢ったらもっと勉強してもっと森さんの役に立ちたい。まあ、次も森さんと一緒になれる補償は何も無い。 逢えるかどうか?前世なんて憶えてないし、そういう事が本当にあるかどうか誰も証明出来ない。私はもう一度森さんと一緒になりたい。絶対にだ。

森さん凄い

 森さんの資産、著作権を相続する為にまとめている。一体どういう人なのかと辛くなる。木下プロやCBCと一緒に仕事をしていた。私と出会う前に昼帯などで地獄を見たと言う事も聞いていたが、なるほどと頷ける資料もあった。 プロットをあちこちに送っていたようだが没になったものや採用されたもの、苦労の跡もうかがえる。その時私は過重労働中だったので殆ど上っ面だけ聞いていただけ。このときに一緒に仕事していたらもっと面白い展開になっていたかも知れない。 が、そんなこと出来ないくらいの過重労働していたので、私が出来る事と言ったらホテルに缶詰してあげることくらいだった。綺麗な夜景を眺めながらの缶詰。意外と好きだった缶詰。効率も良かったと何時も喜んでいた。 その他にもプロットや箱書き。そこまでやったのに劇団がなくなってしまったり、担当が退職したり転勤したと言う事で消滅していたりする。本当に大変だと思う。でも、そこまでやって仕事をもらえるのだから凄いと思う。言い時代でもあったと思う。

舌がおかしい

 森さんの手料理中毒の禁断症状なのか?こんなに時間を隔てて発声かと思ったけど、どうも森さんが亡くなってから当然、ずっと禁断症状なのだろう。 何を食べても旨くない。精神的なものもあると思うけどおそらく味がわからないのだと思う。旨く感じる側と不味く感じる側の差も縮まってべつにどうでもよいと言う基準に達しているようだ。 旨い物を求めてもいないのだが不味いものは食べたくない。そういう微妙で訳のわからない状態のようで困る。お腹は空いているのだが、舌は入らないと言っているようだ。どうにもならない。 舌だけではない、テレビでドラマや映画を見ても感動しないし面白くない。舌と同様に感動や面白くないという基準がなくなっている。どうでもいい。既に欲がない状態。 食欲はある、といえるのか良く解らないが、その他の睡眠も睡眠欲で寝ていない。落ちてる。つまり寝ようと思って寝ていない、寝ないとどうにもならないから椅子に座りながら落ちる。 最期は性欲。風俗やどこかで引っかけて、無理だやりたくない。全然知らない人とするというのが無理なのだ。最初にするときにかなりの労力が必要なのだが、今はそんな心理状況に無いのでとても無理。 それ以前に森さんとしてたのか?と聞かれそうだがもちろんしていたに決まって居る。愛し合っているのだから当然するに決まって居る。そんなことを聞いたのは今までに1人だけだったがいた。 森さんとはセックスと言うよりは抱いているだけでも満足だった。風呂も一緒に入っていたのでスキンシップも十分していた。森さんに触れるだけで落ち着けたし、心が安らいだ。森さんの何処に手をあてても その森さんの曲線をこの手が憶えている。そして手になじむ。頭の曲線、腰の曲線、何処を触ってもその曲線が私をリラックスさせてくれた。そういうことが無くなったからだろうか? 食事の回数も内容も酷い。どうなるかな?

豚骨にも飽きた

 最近は豚骨ラーメンや和風豚骨、魚介豚骨など豚骨ブームだ。何故豚骨の派生バージョンが出てきたのかは簡単だ。肉類で旨味を出すには大変だからだ。 豚骨で旨味を出そうものなら濃いスープを作るとか旨味調味料を入れるとかして作って居たがそれでは旨味調味料入り豚骨と言う事は言えない。 そこで魚介豚骨と銘打って魚介を入れているから旨味があります、といいながら旨味調味料をしっかり入れることが出来る様になった。 そうすると豚骨と魚介のハーモニーで一番有名なのはリンガーハットで有名なちゃんぽんと言う事になる。魚介と豚骨の出会いなんて遙か昔から やっていることだ。しかも最近は魚粉とか味変というおかしなスタイルでダシ粉を海苔などの上にのせて提供している。 もう、ラーメン屋さんとしてプライドがないのかという状況。こだわりのラーメン屋さんには醤油やお酢、胡椒すら置いていないお店があると言うのに 調味料というか出汁の素となるものを最期にのせている。もうあり得ない。さらに、魚介味をしっかりさせたいという理由から、 出汁となるダシ粉を漉さずにそのまま入れているお店まである。食感はざらざらドロドロしている。 何となく下品というイメージがぬぐえない。何でもありということを言えばありだが、料理としてはもう、脱線しかけているとしか思えない。 そうするともう、豚骨が食べられない。何処へ行ってもおかしな豚骨系ラーメン。何処で食べても同じような味。 チャーシュー麺などを頼むと千円を超えたりする。もう、食べにくくて仕方ない。 そうすると魚介系と言うことになるがこれらにチャレンジした殆どのラーメン屋さんはつぶれたりしている。 妥当な線で良いのは昔ながらの支那そば。いわゆる「ラーメン屋さん」が一番良いと思う。魚介系と肉系の出汁を 丁度ブレンドして提供している。が、チャーシューが1枚でも入るとバランスが崩れるのであっさり食べたい時は チャーシュー抜きをお勧めする。私は森さんと行っていた支那そば屋さん、もう行けないので困っている。 ということで今のところ行けるラーメン屋さんは、天下一品、えぞ菊、桂花、ラーメン二郎、この4店だけ、 さすがに飽きる。かといって新規開拓は出来ない。ティーヌンも行けないし・・・。困った。

森さんは知っていたのだろう

 最近ようやく判ったことがひとつ。森さんと私、森さん、よね、うちの子、対外的な呼び方はそんなもの。夫だとか妻だとかご主人や嫁などは絶対に言わなかった。 私が森さん以外の呼び方に凄く抵抗があった。その理由は男尊女卑、昔からある家制度の名残で男性が禹アデある事から来ていた。まあ知っている人は知っているが すっかり忘れていた、そういえばそうだなと。森さんの事を呼び捨てしているようでもあり、私が上だと思われるような呼び方が気持ち悪かったのだ。 自分の妻(パートナー)でしかも尊敬している人を呼ぶ名称が見つからなかった。妻と夫でも違和感を憶えた。そこで考えた末、「森さん」ときまった。 というより最初に逢ったときから同じ呼び方、何の問題もの無い。お互いにたいした変わりの無い呼び方のように思えるが実は奥が深い。 だからこそ普通に言えた、森さん と。今は一人で呼び続けている。

Microsoftの悪夢

 こうしてブログモドキで書いているのは少しでも現実逃避できるから、なのにPCを再起動したらプログラムを更新中だとかで使えない。約一週間も使えない状態が続いた。 Windowsがぶっ壊れるのを覚悟の上で電源ブッチした。何とか起動したが、大丈夫だろうか?なんとか使うことが出来たので一安心。 だが、ストレスは完璧に溜まった。辛い。また書き始められる。

一人目

 私が森さんへのお焼香をお断りしているのには訳がある。もちろん森さんが海に蒔いちゃえという真意のとおり、我々にそういう面倒ごとを 押しつけたくないからだ。それに森さん自身、亡くなってしまったらもう私は関係無いから好きにしなさい、ということもある。 それに一人に特別にOKするとどれだけの人数からどれだけ突き上げを食らうか判らない。皆さん個人で仕事しているのだから押し切られてしまうことに 恐怖を覚える。だから訃報に書いたのだが、それでも、ようやく、やっと、電話がかかってきた。申し訳無いがお断りさせて頂きました。 さすが森さんの仲間、押しが強くて負けそうになる。古くからの友人でもある上、私もよく知っているので負けそうになる。 しかし、1時間くらいで済むからと言われると少し事情が違ってくる。1時間も居て何をするのか?お参りするだけなら1分から3分くらいで済む。 それ以上は森さんの過去を語られたり、どれだけ良い人だぅたかなど説明されては堪らない。森さんの良さは私が誰よりも知っている。 それをまた他人に私の中を掻き回されたくない。残念だが森さんのお参りは実現しないことだろう、森さんが呼ばない限り……。

今日のお仕事

 今日もお仕事。にこやかに他人と接するのは辛い。仕事用モードを引っ張り出して更に笑顔を作る。更に今回は劇場か森さんに弄ばれた。 自動販売機のペットボトル入れが満タンになって居るのを発見し、清掃を依頼。公演中に足の不自由なお客様の誘導、車いすでお越しになったが通常のお席を確保してあるので素の席に行きたいと言うお客様の誘導。 外で冬眠から醒めたカエルを撮影している女性を見たり、弁当にニンニクが入らないように手配してきたのに豚キムチ入りが入って居たり、このために弁当を買いに行ったら半額セールやっててラッキーだったり、 公演後のカラオケは激安で開催出来たり、などなど影でこっそり、人知れず活躍していた。イベントが多すぎる。絶対弄ばれた気がする。それと余談だが、私は劇場内で最初と最後に礼をする。 何故そうするかと言われればその理由もいつも通り自分のポリシーの元に「するものだ」と言う事からやっている。今回は珍しく他の人にじっと見られていた。 「引き締まる気がします」……と。いい習慣だと思うのでみんなでやりたいことだと思います。

毎年の行事

 毎年、2月には成田山へ行ってお参り、お祓いをしてもらっていた。お参りのあとは決まったお店でお茶する事になっていた。そこでのんびりしながら如何するかを考えることになって居る。 食事を如何するか、何処へ行こうか?足を伸ばして海岸線を走って素のついでに何処かで食事をしようか、それともお台場でゆっくりお茶して何か食べるか。忙しい合間をぬって一時の休息を得るのが毎年の楽しみ。 今年はお芝居のスケジュールと被っていたので3月にでもゆっくり行くか私だけ言ってくることもあり得た筈だ。しかしこれまた私一人なら行く必要もない。 劇場でちゃんと礼をするにもかかわらずだ。まあ、人それぞれに基準とか境界線が異なるのだから仕方ない。第一、森さんと一緒に過ごした思い出が詰まった場所には二度と行きたくないのだから仕方ない。 花見もそうだ。鷺沼あたりの桜、洗足池、中目黒、その他目的を決めずにドライブして、通りかかった場所々で見る桜。そんなドライブが好きな森さん。今年はその願いも叶いませんでした。 問題は今年の模様替え。クリーニングやさんに預かって頂いた大量の洋服。如何するか?どうにもならない。森さんの洋服は出す必要は無い。しかし取りに行かなくてはならない。 どれを出してどれを出さないのかも判らない。困ったものだ。出す為の作業は一緒に行っていたがそれ以上は全く判らない。 森さん。どうしよう?教えてくれないと何も出来ません……

悪魔の誘い

 今日みたいに天気がいい日は森さんに悪魔がささやく。ドライブに行こう。悪魔は私だったり森さんの中にいたり……。食後にドライブ行こう、とかお茶しに行こうと誘われたり、 私が「今日は如何する」と、とぼけて聞いたりする。すると森さんはテンパっていても行くことが多い。行けないときは仕事に何とか目鼻をつけて食後にちょっとだけ湾岸線を回るなどのドライブ。 そのついでにちょっとだけお茶してお台場散歩とかしていた。私はPCに向かってずっと座っているのが好きだ。しかし子供の頃の習慣というか性格が災いして天気の良い良い感じの日は 外に出ないとイライラする。……おかげで今、イライラしている。一人で出かけても仕方の無いこと、でも外に出たい、何処に行くのか…何も出来ない。仕事もしなくてはならない、夕方来客もある。 相変わらず他人には理解出来ない些細な事が精神的に負担になってくる。どうにもならない。時間が解決する?あり得ない。

日常生活そのものが負担

 洗濯や掃除はお母様がしてくれている。しかし2Fの掃除や私が自分で洗濯するものもある。ゴミ捨ての一部もやって頂いているが、メインは私がやっている。 一人暮らしから考えればその範囲としては普通だろうと言われてしまうだろう。しかし、今まで役割分担で森さんとそれぞれ行ってきたこと、曜日感覚も時間の感覚すらなくなってきている私には 大変な処理だ。朝、5時頃目が覚めて今日はゴミかっ!?と毎日確認する始末。夜中のうちに出していたりしていたので本当に出す日が判らなくなっていて間違って出すことも多い。 お母様が食事を自分で作って居るので食材がなくなる。買い出しもしなくてはならない。どうにもならない。やらなくてはならない負担ではなく。やってくれる人が居ない、と言う負担でもない。 表現は難しい。何回か言っていると思うが、森さんの手料理が食べられないことも大きな負担だ。出汁や二人で作る、お互いの事を想いながら作る料理。美味しいものを食べさせたいと想う気持ちが 料亭のまかないレベルでは無いかと二人で言っていた旨い料理。それが食べられない。外食だって森さんが旨いと言って食べられるお店に全て行けなくなっている現状では救いの手はない。 新規開拓も何の為か判らなくて創作できない。自分の為?そんなものありません。私は森さんと一緒に行動して森さんの為に全てを考え、行動してきたのだから今更自分の為に、という思考回路は一切ない。 そういう観点から考えて日常生活の全てで森さんを求めてしまう。何も出来ない。こんな戯れ言を書く以外は……


森組芝居

主宰:森 治美

住所:東京都内

プロフィール