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森組芝居はお芝居制作しています。

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森治美の夫から・・・戯言

まとめてみる

 森さんと一緒にしたことがダメと言えば簡単だ。森さんと一緒に食事をしたり、よく言った場所に行けない。お台場、飲食店など。行きたくない。行けば倒れそうになる。貧血寸前というか体調が優れなくなる。 別回路でなんとか立っている感じだ。病院なんてもう、絶対に行けない。行きたくない。本当は今居る自宅にも居られない。が、ここには森さんもそのあたりで一緒に居るはずだと思えば何とかなる。かといって売り払う話も進んでいるので それも大きな負担となる。ずっと森さんと一緒に車で移動していた事も手伝ってか電車で雑踏に入ると辛い。一度だけ空いている世田谷線に乗ったが無理だ。もう二度と乗れない。 家で食事をするのも辛い。一緒に食べて一緒に料理をしていた森さんが居ないのだ、当然だ。こうしてPCを弄っているとなんとか正気を保てているが実はこれも落とし穴がある。本来は私がちょっと休憩する際に後ろで寝ている森さんのマッサージなどをするのが日常だった、 寝ている所をマッサージするのだ。これをすると寝息が変わる。深い眠りに落ちていくのが判る。抱きしめたりそのまま背中をさすったり。癌が判明してからは患部あたりに手を充てていたりもした。効果は無かったようだが……。足を揉んだり方を揉んだり、腕や腰を揉んだ。 そうして休憩が終わるとまたPCに向かう。これが私の休憩だった。森さんケアがストレス解消であり、楽しく幸せだった。感謝されなくても、知らなくても良いのだ。布団を掛けてあげたり温度調整したり。暑がりな森さんは暑いとすぐに判る、冷房してあげたり暖房したり。 寝ている間もケアが日常だったのだからこうしていてもストレスは溜まるしおかしな事になる。もう4日くらいベッドで寝ていない。毎日机に向かいながら落ちている。3時間か4時間くらいの睡眠だ。寝付けないと言うことは今まで殆ど無かったが今は眠れない。 当然だ。森さんと一緒に眠ると一瞬で寝れるからだ。イタズラするときや森さんケアをするために起きている時以外は大抵そうだった。その森さんが居ないのだから寝るためのスイッチがリラックスして眠るのではなく、限界点がスイッチになったのだから危ない。 なのにすこしの睡眠で目が覚める。まあ、どう考えても睡眠障害だろう。仕事上や売却やいろいろな理由で話をする事がある。その時は全くの別回路で話をしている。一人で居ると全くの病気状態であるのに他のみんなはきっと理解出来ていないはずだ。 倒れそうなのに踏ん張っているなんて微塵も思わないはずだ。内側では確実に壊れつつある。

おかしな行動

 家の中をあてもなくうろうろ。TVのチャンネルを無限にぐるぐる変える。出かけた先で家に帰るのをためらう。空腹なのに食べたくない。何も考えずに固まる。眠れない。暴れたくなる。落ち着かない。人混みで歩けない。 人の左側を歩けない。話したくない。目が急激に悪くなって二重に見える。まだまだある……。

手になじむものが無い

 道具やなにかで手になじむと言うものがある。道具に拘る職人さんや文筆業の人がペンなど良い物を手にしたときに言うであろう、「手になじむ」もの、それが私にとって森さんであった。 もちろん、森さんが道具というわけではない、当たり前だ。森さんの何処を触っても手になじむ。肌に触っていなくても優しい感覚が伝わってくる。これは森さんの信号を受信しているからでもある。 森さん曰く、マッサージしなくてもさすってくれるだけでも気持ちいい、そういうことなのだ。まっあー時は気持ちいいがさするだけでも気持ちいい、でも実は触るだけでも気持ちいいのだ。 触るだけでもいいと言ってしまえば私が揉んだり摩ったりしなくなる恐れがあるからあえて言わないが、触るだけでも良かったのだ。触るだけでも気持ちいいと言ってももちろん揉まないなんてそんな馬鹿なことはなくても言わない。 そんな楽しい関係だ。一応言ってみた、一応言わない。だけどお互いそんなことを言ったり聞いたりしてもそんな馬鹿なことはしない。楽しい関係だ。だから喧嘩なんかしない。お互いに失敗したり気にくわないことになったりしても その場で「××××!」と言ってそれで引きずることはない。あとであんな事あったよねとか嫌みな話もしない。根っこが同じなのでお互いにそんなミスを後で塩を塗り恋うようなことをしないからだ。ミスや間違いがあっても すぐにその理由はわかるし対処もお互いに早い。リカバリが早いので後々問題になることもない。ただ仲がいいからと言うわけでは無い。同じ根っこで同じ対処の方針で実行方法や対処法が異なるだけで、目標やゴールが同じ方向なら 喧嘩にならない。そしてお互いに懐が広かったと言う事もある。森さんは私の事を20才年下だから仕方ない、今までの仕事もやり方も違うのだから仕方ない、そう考えていた。私は単純に許容量が大きいだけ。そして 馬鹿げたこだわりがないこと。目的やゴールが同じならどんな手段でもどんな事をしてもやり遂げることが一番大切だと思っていたこと。もりさんが一番にありがたがっていた包容力が備わっていたからである。 もちろん愛し合っていなければその包容力も懐の深さもお互いにそこまで何事もOKとはいかない。卵が先か鶏が先かは判らないが愛しあっている我々にその基本となる愛に疑いはなく、掛け違いと言う事はあり得ない。 誤解や思い違いなんてあり得ない。底までの信頼、愛があるので喧嘩なんて皆無、単純に仲のいい夫婦の枠に留まらない。だからこそ、二人とも「夫婦」と呼ばれるのには違和感があった。夫婦という言葉、枠組みは 我々の関係の中のひとつに過ぎないからである。だからこそ、森さんは今とても寂しがっている。私に意志が伝わらずもどかしくしているに違いない。森さんが死んだら周りに居ても判らないかもね、と森さんに話していたこともあった。 そんなときも森さんは黙っていた。私の手になじむ森さんが居ない。私に安らぎを与えてくれる森さんが居ないと落ち着いて眠れない。限界がいきなりやってきて落ちるだけ。森さんが入院していた頃は落ちることは殆ど無かったのだから ある意味限界が忍び寄ってきている。嬉しいことだ。森さんの著作物を早く片付けよう。森さんを安置していたときに考えた、このまま冷凍保存出来ないかと、私の手になじむ森さんが居ないとどうなるか判らないと思っていたからだ。 今でも本当に冷凍保存しておきたかったと思っている。冷凍保存していたらキスも出来るし、頭を撫でることも出来る。抱きしめることも出来る。それで少しでも何かが埋まるものでもないことは判る。が右も左も行き止まり。 お得意の回り道もジャンプも出来ない行き止まり。来た道にはもう、壁が立ちはだかっている。早く森さん連れて行って下さい。お願いします。

大変な仕事

 誰にとってもどんな仕事でも理不尽な話ややるせない事は多いと思う。私には自分よりも森さんの事でもキツイと思う事がある。今、森さんの資産である著作物の整理をしていると上演しているはずのお芝居の情報がネット上にないことがわかる。 劇場はもう、無くなって居るし出演者の履歴にも載っていない。どういうことか?何処にもないというのは捜査が困難になる。やっていない場合と古すぎて掲載していない場合がある。ポスターから情報を集めて捜査する。チケットぴあなどプレイガイドに 問い合わせてみるが該当無し。古すぎると過去のデータは残していないと言う事もあり、無い、という確証も得られない。公演日程から年を割り出す。4つの年が候補にあがる。森さんの経歴などから絞られた。ネット上にデータが無いのだから森さんの手帳に頼って その日程で見てみるが一切記載が無い。どういうことだろうかと考える。もう少し捜索範囲を拡げた。森さんの手帳にそのお芝居の脚本執筆や打合せのスケジュールが記載されていないか探った。ビンゴ!ありました。なるほど、公演直前というか稽古前に無期延期になったようです。 確かに色々聞いていました。流れて脚本の報酬をもらえる場合やもらえない場合、確かに延期になって、もうやらないだろうとも……。もったいないというかなんというか。振り絞って頑張って書いて打ち合わせしたものが上演に至らないという、悔しいというか そのモヤモヤした感情が森さんから伝わっていました。大変な仕事だと思いました。著作権相続できたら何処かで上演してもらえるように企画を持って行くと言う事も出来るのできちんとまとめておこうと思いました。誰かに託さねば。

佳境

 来週はいよいよ限定承認の書類を提出することになる。どうなるか全く判らない。読めないだけにワクワクする。落ち込むことはない。放棄すれば権利を行使できなくなる。 完全相続した場合は借金を丸ごと背負うことになるので生活は苦しくなるだけでなく破産する事になるので結局権利がなくなる。と言うことであれば限定承認しか方法はない。 そこまでやって失敗しても森さんは文句ひとつ言わないだろう、死んでるんだし仕方ないよね、と言う感じで事は済む。森さんと私はあっさりしている。 ヤルだけやって失敗する事は良くある話だからそれだけやれば仕方ないと言う事になる。だから逆に言えばそこで後悔しないためにやるときはヤル。やってダメなら諦めるので そのためにもヤル。森さんだって許してくれるだろう、というのが普通だが、許すも許さないもない。頑張ってそれだけやった私を許すとか許さないとかそういう時限じゃない。 その辺りが私達二人だけの関係でなり立っている所以だ。連盟から頂いた書類に目を通すと私が把握していた爽やか三組の本数が多かった。凄いなぁと感心するばかり。 なんて凄い人と一緒になったのだと思う。そんな女性が私の事を愛してくれたのだから、私の価値を本当に判ってくれていたのだと思うと……。

そもそも

 思えば森さんと出会うまでの20年以上、まあ学生時代を除いた20年近くは目標もやりがいもなく生きて来れたと思う。森さんという目標、生きがい、そして愛すると言う事を 真剣に考える機会を与えてくれた森さん。そして最後は愛されたいだけでなく、愛してると言えた森さん。そんな事の後で私が目標もなく生きていけるわけがない。 ベッドに横たわり、酸素マスクをしながら、しかも亡くなる半日前に言った言葉が「愛してる」。そんな森さんの事を時間が解決してくれると言えるのだろうか、 お芝居の最中、隠し通して公演を最後までできるだろうか?森さんの看病とお芝居、そしてお仕事。もう、私のやり残した事は無い。黙々と森さんの残務整理を行い、後は消えるだけ。 街を歩いても私の居場所が消えていくのがわかる。秋葉原、以前はパーツやジャンクが所狭しと並んでいた秋葉原。今は道端にメイド喫茶やメイドバーの客引きが横行している。 見慣れた町並みは消えて巨大ビルが立ち並ぶ。再開発という名目、建前の破壊行為が進んでいる。人の前を横切る際に私の足があたりにらむ人、車でそんな動きは絶対しない筈なのに 何故歩いているときはそんなことをしてしまうのか?おかしな人たちが多い。森さんと二人でよく話したことだ、早く死んじゃいたいね、と。 森さん自身、年をとって醜くなることを嘆いていた。たるんできた部分やシワなど嘆いていた、私の慰めなど届かないくらい。私ももう、50歳。森さんと過ごした20年は以前の私に してみれば60年くらいの密度だ。もう思い残すことはない。そもそも、お芝居、ミュージシャンなどは何となく出来る仕事ではない。サラリーマンほど何となく出来る商売はない。 何となく出来る。給料が少なかろうが冷遇されようともサラリーマンをやめる必要は無い。役者さんなどはそんな訳にはいかない。稽古や練習をしなければその仕事が出来ない。 何となく流されて俳優やミュージシャンにはなれないはずだ。好きでなければ出来ない、しかも情熱がなければ無理と言うことだ。その渦中のまっただ中に森さんに連れて行かれてしまったのだ。 本来は情熱や目標を持って到達する場所に森さんと一緒だからと言う不純な理由で立ってしまったのだ。このままその場に留まる理由はないはずだ。森さんだって私にイベンターや 演出家やプロデューサーなどになって欲しいとは思っていないしする事は無い。あくまでもサポーターだったのだから。もちろん森さんを追いかけることについては色々と考えた。 もちろん最後まで考える。やり残しはないか?やりたいことは?誰かに言っておくことは?方法は?苦しくないか?失敗しないか?色々ある。 でも、心は決まっている。雑事が解決したら実行だ。

役者の卵

 養成所を出たての役者さん達と最近接している。昔の役者志望の人たちに比べると手ぬるいとしか思えない。 礼節を重んじる傾向もないだけでなくその情熱が足りていないと感じるばかりである。森さんの手帳を見ると異常なほどの観劇ペース。週1回以上見ていた。 もちろん森さんあたりになると招待も多い。異常に多いが、その観劇は営業でもある。色々な人に紹介され、挨拶して名刺交換、そして暑中見舞いや年賀状をやりとり。 時にはお茶したり何か話をする事もあっただろう。そういう「営業」をみんなしていない。何処かに出演してもお芝居のこととお客さん動員で手一杯だろう。 それ以上が出来る人がチャンスを掴む可能性があるといえる。先輩や座長に気に入られて何かの時に呼ばれる。脚本家や主催者に気に入られるように営業したり、 話をして名刺交換。そんなことを進んでする人がいるのだろうか?そう考えると甘すぎる。本当に演劇がやりたいという情熱は全く伝わらない。今の時代、そんな生ぬるい 仕事っぷりでのし上がれるほど甘くない。もちろんそういう営業をしていても実力が伴わなければ何もならない。俳句、歌を書いたりカラオケで100点が出せるくらいだとか 自分で脚本を書いてみたりなど幅広い勉強をしているのか?恋愛小説やシェークスピアを読んでいつでも出られるくらいに憶えてしまうとか、なにか突出したものが必要だ。 その何かを磨いていなければどうにもならない。なのに毎日バイトなどの仕事で忙殺されている。そんなことではとても凄い役者になんてなれない。判っているのかどうか…。 役者業は本当に大変だと思う。

食べられるもの

 ようやく少し食べる気が増えてきた。しかしそれに反して食べられる店は増えないし、増やせない。食べたくても何処で食べるか考えただけで思考回路は止まる。 そこで考えるのをやめてしまう。考えるのが面倒になる。ファミレスやチェーン店は高くて不味い。肉系統は馬鹿馬鹿しくて牛丼くらいしか食べられない。 そもそも添加剤たっぷりのハンバーグ類にどうしてそんな高いお金を出す必要があるのか理解不能だからだ。もちろん行けるお店も添加されているのだろうが、 昔から食べ慣れているものはなんとか食べられているだけだ。無添加で凄く旨いと思っているわけではない。添加物満載でも安いから食べていたり、 食べるときにテーブルにある調味料でごまかしているものもある。如何したら何が食べられるのか?どうしようもない。
かつや、すき家、ラーメン二郎、、えぞ菊、桂花ラーメン、丸亀製麺、天下一品、一発ラーメン、スシロー、はま寿司、無添くら寿司、リンガーハット、牛丼のサンボ、業務スーパーのソーセージ、 、ポテサラ、中華春雨、まあ大体こんなものだ。

忙しい

 森さんの相続をする為に忙しい。色々なペーパーをスキャンして記録する。仕事の関係で三越劇場へ行くので森さんがやった「ディファニーで朝食を」の写真とポスターを持って行くことに。 その他色々な事をこなさなくてはならない。森さんのと逢うための材料を購入した。方法や手順など色々考えても居る。概要としてはお母様を一人で生活できるようにする。 良くある芸人と同じように一人暮らしにして生活保護を受けられるように、世帯を分離する。相続の件が片付いたら養子縁組を解除する。私の保険やら色々な事を片付ける。 私からの手紙を何処かにアップするとか手紙で送るか適当に。本番用の手紙も用意する。もちろん私の処理を誰かに頼んでおく。そんな概要で進めようかと考えて居る。 まあ、その間に母が亡くなったり宝くじに当たればもう少し手順は変わる。まあ、相続問題がどれくらいで解決するかが問題だ。 今は森さんが余り使わなかったブレスレット、イヤリングをミンネで売ろうと画策中。もちろん森さんが見ていないブレスレットも作る予定のブレスレットも全部売ろうかと思うが……忙しい。

用事で駅まで

 ちょっと駅まで行ってきた。何回か行き来しているが毎回辛い。花を買いに行くだけ、記帳だけ、何時も森さんとしか歩かない道を一人で歩く。 こんな辛い事は無い。色々と考えて見る、出来るわけもないのにその辺りでナンパして一夜を過ごせたとする。その前に一夜を過ごせるか判らない。 森さんが妨害するとかでは無く、私の心理としてダメなのではないかと思う。それ以前にそんなこと画出来るかと言うこと。 性欲も良く解らなくなっているので人と出来るかと言うと判らない。無理かも。ましてや誰かと一緒にんねる事が出来るのか? 別に操を立てているわけではないし、森さんが居た頃にそんなことしても特に問題は無かった。が、森さんの居ない今そんなことが出来るのか? 一人で自滅しそうなところで、なにか紛らわせるためにわざわざ別の地雷を踏むことが出来るのか?ということだ、何の解決にもならない。 ダメだ。キツイ。胸がずっと締め付けられたままで呼吸が出来ない感じだ。暴れたい。そもそも遺灰を前にというか森さんを前に一度も泣いていない。 というか感情が爆発していて泣けない。哀しいのか悔しいのかどうして飯野か判らなくてどうしていいか判らなくて哀しいと言う事に集中できない。 おそらく哀しいのだろうというところで暴れ出しそうな感覚。いや、言葉になんか出来ない。だから爆発しそう。

食事問題

 森さんのお母様も突き当たる問題。美味しくないと呟いている。当然だ、森さんが用意した出汁を使っていないし、どんこも出汁昆布もない。鰹節も市販の物か顆粒出汁。美味しくなくて当然だ。 料亭のまかない料理から一般家庭以下の材料になって居るのだから美味しくなくて当然だ。と言うよりも今まで凄く旨い物を食べていたのだからそれが標準なら美味しくなく感じてあたりまえだ。 そうなると二人とも生きる意欲がなくなる。当然の成り行きだ。森さんが居ないことは二人にとって様々な事に波及している。森さんが偉大だっただけではなく、偉大だったからこそ廻りを巻き込み、 私を巻き込んだ。動きの大袈裟な私を巻き込めば小型台風が超大型台風になる。その台風の目が無くなって穏やかな快晴が広がっている。何もない、ただの日常が広がっている。そういうことだ。 何のイベントも無く毎日が進んでいく。意味が無い。私も食べる物が無くなったに等しい、どうにもならない行き止まりは居ないと言うことだけでは無い。行き止まりが多すぎて倒れそうだ。 色々戸考えて見る、森さんの後を追いかけることは私一人だけの問題だ。森さんと結婚するときはキチンと考えた。森さんが先に亡くなること、本当に愛し続けられるか、もりさんが愛してくれるのか? 経験豊かな森さんが?と二人の間なので一応考えは難航した。しかし今回は私の意志ひとつで決まる。まだ、やることがあるのでその間に一応考えている。 いまここで誰かが家で一緒に寝てくれるという申し出があったら…無いけど考えて見る。おそらく自己嫌悪に陥るだろう。葛藤を生んでしまい自滅しかねない。でも体は安定を求めている。 昨日はベッドで寝てみようと考えたが何故か2Fの森さんの遺骨に呼ばれているような気がした。ソファーでネタが2時間くらい寝て終了。えらく早く起きる。やはり旨く寝れない。 森さんが寂しがって呼んでいるのだろう。トイストーリーの新作は来年か再来年、重大犯罪課の最終章は今年の終わりか来年だろうし、ゴーストインザシェルの実写版を衛星放送で 見られるのも今年終わりか来年初めくらい。まあ、TVや映画はもう見たくない。新作を見ていると哀しくなる。お芝居も同様だ。森さん関連の全てで辛くなり、倒れそうになる。 早く片付けたい。

供え物

 森さんの遺骨はリビングのど真ん中、ダイニングテーブルのど真ん中に安置している。100均で購入したネットに愛用のブレスレットを引っかけて飾っている。 その他に森さんの写真やお花、お線香を飾っている。水や食べものは置いていない。置いといても忘れて腐らせるし、水はお花の水だけで花が駄目になるまでそのままだし。 私がそんな細かいメンテナンスなんて出来ないからだ。供え物として一回だけサーティーワンのアイスを買ってきて溶けてしまうまで供えたことがある。春になったらチェリーのアイスを 供えようと構えていたら……今年はそのバーガンディチェリーが無い。まあ、季節物は亡くなることがあるので仕方ないが、森さんとこの季節になると毎週のように食べていたチェリー。 私がアメリカンチェリーが好きなので森さんに教えたとこr、はまった一品だ。まあ、アメリカンな味と言ってしまえばそれまでだが、チェリーの量が半端ないのでとても気に入っていた。 まあ、森さんが食べられるわけでは無いので仕方ないか……供えたって本人が食べられるわけ無い。意味の無い行為だ。仕方ない。

宗教の罠

 自殺が悪いこと、というのは宗教の罠だ。元々殺人は悪いこと、と言うものがあるがこれは道徳とか人間の現代社会で生きていくための規範というかルール作りで出来た産物だ。 人間以外の動植物を食べると言う事は生命を奪って初めて生きていけることなのだから仕方の無いことでそれ以外で命を絶つことは残虐だとか虐待だとか殺人と分類される。 自殺はそう言った規範で分類できないから宗教で縛ることを思いついた。奇々怪々な現象を全て霊とか神様の行為に結びつける。 宗教はお布施や色々な名目でお金をもらう商売だ。お経、お布施、納骨、何回忌だとかいろいろな方法がある。しかし死んでしまってはその人からもらえる金品はなくなってしまう。 そこで考えられるのが地獄とか迷うとかだ。自殺すれば罪になる。いろいろ言われているが宗教ごとに異なると言う事はやはり意味が無い。霊の考え方や仕組みがバラバラというのは 納得いかない。もちろん森さんや他にも見えるという人が居ることは確かだ。それを丸ごと否定はしない。その霊がどんな扱いでどんな存在なのかは宗教ごとに異なり、 統一されていない。その統一されていないことこそ本当なのかと疑問を持つ部分だ。愛する森さんが不安で寂しがっているのにそれを追いかけることが罪?良く解らない。 じゃあ寂しがると言う事はどういうことなのか?地獄にも天国にも行かず劇場に居たり私のところに淋しいと訴えかけてきたりするのは何故かと言う事になる。 それは勘違いだからと言うなら全ての宗教は嘘だと言う事になりかねない。地縛霊や悪霊は地獄にも行かずましてや天国にも行かない。それはどういう意味なのかサッパリわからない。 そして死人は絶対に生き返らない。そのことを前提に話を進めると生まれ変わりだとか前世というのはどういう意味か?そもそも蘇り、次の生まれ変わりは何年先なのか? 生まれ変わるとすれば人口は何故増えるのか?減らないのか?絶対量があるとすれば如何すればそういうことになるのかと言う話になる。その手の話は突き詰めていくと片方には 非常に論理的でもっともらしい話が出ているが、もっと後ろに引いて違う方向から見てみると破綻する。そんな局地的な論理だけ整理整頓されていても何の意味も無い。 そう考えると自殺とは人間が考えた、殺人と同じようなただの人間が考えた規範でしか無い。もちろん宗教を全否定する気は無い。信じている人は信じて良いと思う。 しかし、どんなに祈ってもどんなに寄付をしても死人は生き返るような奇蹟は起きえないと言う事だ。

ひっかかる

 ということを言っている私も何かしらの罠に引っかかっている。最近森さんの遺骨をペンダントの中に入れて持ち歩いている。というかペンダントにした。 アクセサリーの類は一切しないしする気も無かった。しかし、まだ色々な処理が終わっていないので発作的に追いかけてしまうと困るのでなにかよりどころを増やして見ただけである。 森さんと同様に拘り無く、ペット用の遺骨入れ。その方が安いからと言う理由だ。ぺっおようも人間用も関係無い。ただの金属製の入れ物なんだから関係無い。少しだけ入れて持ち歩いている。 で、どういうことで罠かというと、どうして遺骨に森さんの霊?がくっついてくるのか判らない。まあ、分骨だって良く解らないが遺骨に霊が付いてくるなら細かくなって粉になったらその数だけ霊が 増えていたらだまったものでは無い。まあそこで出てくるのが分骨の際にお経を上げると・・・と言うことになるのだろう。遺骨に憑くのか森さん自身のウィッグなのか?それとも自宅に着いているのか まだ、病院に居るのかサッパリ判らない。都合の良い物だ。芝居の最中小屋に森さんが来ていたという話もあるのだとすると霊は勝手に歩き回れるのか?勝手な話だ。 それなら何か持ち歩く必要は無いと思う。残留思念との関連性も良く解らない。まあそこは置いておこう。そんなこんなで森さんの居ない今は私に取って全ての興味から撤退させられてしまっていて 何もする気にならない。やっているのは義務感と森さんの後片付け。後片付けが終わると更に虚無はやってくる。終わらせることが出来ない。最近わかったのは睡眠障害。どうも2~3時間くらいしか眠れないらしい。 寝ると2~3時間で起きる。昼間に落ちた時間を見てみると2~3時間。ソファーで寝ても2~3時間で目覚める。以前は稽古場で待ち時間の間仮眠できたがこれも眠れなくなっている。休んでいるだけ。 休むとかじっとしていられない私はすぐに動く。眠れなくて動き回る。まあ、そのうち壊れるのは目に見えている。万歳だ。悪と言われている方法を使わなくて済むのならそのほうがベストだ。

些細な事まで辛い

 食事のためにリンガーハットへ。実はリンガーハットでもちょっと辛い。森さんの肉が食べられないというボーダーが判っていない状態の時に探りを入れる目的で自分が通う店に連れて行っていたのがこのリンガーハット。 その他にえぞ菊もそれぞれ1回だけ。両方とも肉抜きでも材料の肉が多いので無理だった。そんな記憶がずっと残っている。辛くないことはひとつもない。と言えば嘘になるがこんな自分のテリトリーにも森さんが居る。 辛くないことはひとつもない。

またまたまとめ

 簡単に言ってしまえば森さんが居ないからと言うひとことに尽きる。そう言ってしまうと誤解や間違った理解が生じそうなので書いてみようと思う。 もりさんが居ないことにより色々な影響がある。仕方の無いことだが最悪のケース。一番起きてはいけない事態が起きている。そこが大問題。最高に楽なのは 私の母が亡くなり、胃酸が入る。そして森さんのお母様が亡くなり、私が死ぬ。森さんはお金持ちと再婚して不自由の無い生活で最後を飾る。その間に森さんは何かしらの賞ももらって 仕事上も良い感じに収まる。そのような絵に描いた餅のような将来を期待していたがその希望は真逆の最悪のケースになった。
 森さんが居ないと言うことは、まともな食事が食べられない。森さんの為の魚介類は無用、森さんの為に作る出汁も無い。その他の食材m調味料もない。 森さんのお母様が言うとおり美味しくない食べものを食べたり外食に頼っている。私はs料理はせずもっぱら電子レンジで済ますだけ。業務スーパーのポテサラや中華春雨などでしのいでいる。 森さんとの思い出が強すぎて森さんと一緒に何時も行っていたお店は絶滅。私の行きつけだったこともあり浸食されている状態。思えば森さんの食生活は森さんが一人で暮らしていた20年前よりも 格段に向上している。トムヤムクンラーメン、陳の担々麺、支那そばのかづ屋、新宿西口のスタンドそば屋みたいなうどん、和食食べ放題の三尺三寸箸など全て私が開拓して森さんに提案、そして行きつけになったのだ。 魚介類も築地で仕入れていれば旨くないはずは無い。焼き雲丹やわさびの長期保管方法などで長期にわたりわさびを愉しむ事ができた。そんな事を数えたら切りが無い。 森さんと私はお互いに歩み寄った。それが嫌な歩み寄りなら別れていただろうがそんなことは無く、お互いに思いやり、仕方ないと信念を曲げたり妥協しながら愉しむ事ができた。 だからこそこんなに長持ちした。まだまだこれからも仲良く過ごす予定だった。そんな状態では私の目標、目的がないと言うことが理解出来るだろうか?私の全ては森さんだった。 それがどんなことかは理解出来る人はなかなか居ないはずだ。森さんの為にそんなにやってて疲れないの?と聞かれれば疲れると答える。しかし疲れるから如何したのだと聞くだろう。 愛する人がして欲しいと言うことをしない理由は無い。愛する人の協力をしないと言うことは私には出来ない。しなくてはいけない事なのだ。それが愛していると言うことだから。 森さんに愛が無ければそれは私が疲弊することだろう、見返りを求めていたりもりさんに私が留守事は当然で私は何もする事は無い、と言っていたとしても本心では無いし、一般的に言われるそれでは無い。 そしてそういう愛が森さんの求めていた愛だったのだ。だからこそ最後に森さんは私に愛していると言ったのだ。その私にの目標がないと言う状態は既に私の存在の意味は無い。 意味が無いだけならまあ、他にもそういう人は居るだろう。しかし私は森さんに淋しいと言われているのだ、一緒に来て欲しいと懇願されているのだ。行かない理由は無い。 愛する人が来て欲しいと言っているのだ。たとえ何年か先に母の遺産が入って居うると言う誘惑は私にとって意味は無い。魅力はあるが森さんの淋しいという事象にとって些細な事だ。 私のやりたいことも無い。趣味も無い、金持ちにもなりたくない、地位も入らない。そんなくだらない欲は森さんが居てこその事なのだから無意味だ。 訃報にも書いたが金銭的にも無理だ。森さんと17年間暮らしたこの家を手放すのは心苦しいとか、苦渋の選択などと言う簡単な言葉では言い切れない状態だ。そんなことをするならさっさと居なくなりたい。 森さんの遺品を売り払うとか捨てるとかあげるとか、一切無理だ。リビングに置いてあるグラス、二人で見つけた漆が塗られたグラス。ガラス好きの私と漆細工好きの森さんの間のハイブリッド。二人の間の子供みたいな存在。 森さんもそう感じていたに違いない。そんなグラスひとつでも大きな意味があり、思い出がある。森さんの森さんだけに意味がある遺品も沢山ある。もりさんが行った昔の結婚式の写真やいろいろな思い出。 森さんの考えていたこと、思っていたことが沢山書かれている全て。私への想いや私との事がふんだんに散りばめられた作品。私との事があったからこそ出来た全て。それらがもう、使われる事はないし新しい作品も無い。 こういう理由から森さんのところに早く行きたい。宗教抜きに。森さんと本当に会えるか?判らない。私は地獄に行くのか?判らない、そんなの行って見ないとわからない。が、もりさんが淋しいと言ってきたのだから、 きっと地獄なんて行かないだろう。森さんと二人で何処かへ行けると信じる。まあ、行けなくても現状の森さんが居なくて辛いと言う事は無くなるだけ楽だ。 森さんが居ないと眠れない、食事が出来ない、リラックス出来ない、安心出来ない、目標が無い、やることが無い、愛することが出来ない、抱きしめられない、セックス出来ない、一緒に寝られない、一緒に風呂には入れない、 かかとの角質をとってあげられない、一緒に散歩できない、一緒に映画を見られない、一緒に外食できない・・・テレビで映画見ても全て面白くなくなった。医療系とか愛とか夫婦とか全部見られない。それ以外も興味が無くなった。 毎年恒例の麻雀も出来なかった。芝居が終わったらやろうねと言っていたのだから麻雀すら辛い物になっている。辛くない物なの無いに等しい。 テレビを付けていないと落ち着かないが今はどちらも落ち着かない。森さんの右側だけを歩いていたので左側は歩けなくなって居るし、人混みもダメ。人と話すのも辛い。こんな病人みたいな状態でしかももう50歳、 転職も出来ないし今の仕事も辛い。これからの恋愛で20歳年上なんてあり得ない。別にオバ専と言うわけでは無い。愛した人が魅力的で少女のような人だったから、その人がたまたま20歳年上だったと言うだけだ。 それと同時に50歳くらいの人と今更恋愛も糞も無い。森さんと比較してその人がいいと言う事はあり得ないし、森さんとの愛を破棄するつもりは無い。 森さんは来てくれと言っていたのだから私がこの世界に踏みとどまるのを理解するはずは無い。 そんなことはないと言う人は、私に一体どうしろと?無理だ。このままなんとかガンバレという方が無責任だ。森さんとの結びつきはそういう物だ。森さんが来いと言えば行く。それが私の愛だ。邪魔しないで欲しい。 ましてや金銭問題なんて解決できるわけもない。解決できて5000万円ほど浮いていたら森さんの追悼公演をやってもいいがそんなことはあり得ない。無理。totoでも当たらなければ無理だがtotoはやってない。 さっさと森さんの資産を確保してからさっさと森さんの所に行かなくては・・・。

体の問題

 そろそろ左手が問題になってきている。靱帯損傷でかなり大きな手術をした。骨を切って短くしてプレートを入れて補強、切れた靱帯を縫い合わせるためにざっくり切った部分と内視鏡を入れて手術した。 以前に耳の手術をしたときも森さんが凄く心配そうに付き添ってくれた。あまりにも心配そうなのでプレートを抜く手術とリハビリをすっ飛ばした。そのおかげで左手に力が入らない。 それに最近動きが悪い。どうやらプレートに癒着というかおかしな事になっているのだと思う。今更引っぺがすのも難しいくらい年数が経っている。今更そんな手術をするつもりは無い。 実は右手にも問題がある。左手の手術の際に全部右手が代行したので右手の靱帯も怪しくなった。少ししくしくする。右手は左手よりも頑丈なのか、左手ほどは悪化していないが ちょっと使いすぎるとしくしくする。危ない。それに森さんが居ないことでストレスが溜まりすぎて肩こりと言うより体こりという状態だ。体中が何となく筋肉痛。首の動きもキレが無い。 動きくにくい。頭痛も少しするし、そこら中吊りそう。まあ、仕方ない。

思えば・・・

 森さんと出会ったのはぷらぷら適当に仕事をしていた頃。その頃知り合いを通じて勝手に片思いしていた人がいて、勝手に失恋していた頃。で森さんと出会った。 森さんもいろいろあって心機一転というスタートの不安定な時期だった。であってからはそれなり不安定な二人だったけど惹かれ合っていた。で不動産業のシステム関連に派遣として入り込んだ。 その頃森さんは色々な仕事に精力的にばりばり仕事していた。その頃の私には余り関心が無く、お互いにまあそんな物だと言うくらいだった。今、森さんの仕事を顧みて凄いなあと思うが 不動産業での仕事はその後過酷だったので森さんもそういう仕事のすさまじさを目の当たりにして私がよくそんな仕事を続けていると感心していたのだろう。まあ、派遣とはいえ1日に14時間くらい仕事、 月に1日か2日休めるかどうかだったのだから森さんも私が居なくて樂だっただろう。お互いにそれぞれの仕事の大変さを見ていた。私が森さんの奇蹟を見てそのすごさを感じているが、森さんは そのころ私の仕事の過酷さを感じてたのだと思うと感慨深いものがある。森さん凄いねぇ・・・。そんな森さんを支えることが出来て嬉しいです。私の職歴の殆どは森さんと一緒に居たときの物です。 森さんが居なければそんな仕事は出来なかったと思います。森さんが居たからこそ、私は強くなれたと思います。ありがとう、森さん。

無関心、無感動

 森さんが居ないと感情が真っ平らになぅてきているの我欲判る。無気力、無関心、無感動。当然だろうが、おかげで何に対しても投げやりでやる気が無い。 今日は名古屋、奈良に行って戸籍謄本を取りに回っていたが運転中に飲物やミントタブレットなど私の為にとってくれる人は居ない。森さんが好きだった夜景が見える場所に行っても何も感じない。 今回は森さんを助手席に乗せて行ったがもちろん何もしてくれるわけでもない。淋しいばかりだ。朝からずっと何も食べずに一通り戸籍が取得出来た。時間切れで後一歩足りないのでもう一度行く必要があるが、 まあよいだろう。食事をしようとうろうろするが名古屋は車文化のまっただ中、どのお店も魅力的で無料駐車場が必ずと行って良いほど整備されているので気楽に入れる。 目に付いたのは「めしや」いい名前だ、都内にもいくつかあるようないわゆる食堂、何でもありなお店。マグロ付け丼ダブル乗せ、ナメコの赤だし味噌汁、葱入り卵焼き、ニラレバ炒め、ほうれん草と豆腐、っくらのおひたし、 これだけ頼んでも1600円ほど、安い、しかも旨い。マグロが酷いのだろうと思ったら大間違い。旨い。そこで気付いた、森さんどちらかと言うと名古屋の味付けだったのでは?そうすると私は名古屋のメシが口に合うのでは無いか? 森さんと老後は名古屋に済みたいと言ったら森さんは余り乗り気では無かった。でもそれは森さんが馴染みの人が沢山居る東京でお芝居がヤリたかったから。住む地域としては確かにイイネ、と言っていた。 理由は簡単だ。再開発が進んでいないので高層マンションやビル群が少ない。街道沿いには駐車場付きの様々なお店が沢山ある。しかも個性的な看板と共に。空もよく見えるし、名古屋駅近くには 信じられない程沢山の駐車場がある。便利だ。森さんと名古屋に住んでみたかった・・・。 まあ、そんな感じであとはドライブしていても特に何が楽しいと言う事はない。森さんとドライブしていると隣に無言で座っているだけで楽しかった、幸せだった。ドライブなのにお互い思いやりが溢れていた。 それが一人でドライブ。行って帰るだけ。面白いことは一つもない。

森さんとのドライブ

 森さんと一緒にドライブしているといろいろな声が聞こえてくる。「とまれ」「よしよし」「何した?」「おいおい」「よっしゃあ」「いけぇっ!」「抜いちゃえ」「何故?」「おぉ~」「そこ曲がれ」「はぁ?」「おいっ何処行く?」「間違ったろ?」 無言なのに全てが聞こえてくる。その無言の声を聞きながら笑う、そうするとその薄ら笑いを察して反応が返ってくる。もう、テレパシーのような物だ。余裕があれば私の左手は森さんの足の上、優しく撫でていると寝てしまうことも多い。 それら全てがドライブという一つの楽しみであった。二人で居ることで安全運転が励行され抑えた運転が成されていた。 しかし、今はそのストッパーが居ない。居眠りしようが速度超過だろうが無謀運転だろうが関係無い。会社でも結婚していないと昇進はあり得ないという、良くある話はこういうことに起因しているのだと痛感する。 森さんとドライブは楽しいというひと言では語れない。こうして書いていても、どんなに書いても足りないくらいだ。極端な事を言えばドライブしているが、ベッドで二人、裸で抱き合っているのと同じ媼物だと言えばよいだろうか。 まあ、ドライブに限ったことではない。二人が一緒に居るときはずっとそうしていたといえる。何も言わなくても飲物が用意され、食事が出てくる。何か欲しいと思えばその何かが出てくる。おたがいそういうツーカーを超えた存在だった。 だからドライブしてても何も楽しくない。TVを見ても食事してても何も感じない。虚無だ。何も反応が返ってこない。森さんが居なければどうしたらよいか判らない。一般的に時間が解決すると言うが今回、私の場合は無理だ。耐えられない。 今の車は四輪駆動のスポーツタイプ。大体250馬力から280馬力。時速100kmに達するまでに5秒くらいしかかからない。4ドアで普通っぽい車なのにスポーツカー並に早い。6速マニュアルで4速で時速160kmに達する事が出来る。 6速で走っていてもアクセルを踏めばシートに押しつけられるような加速が味わえる。森さんはそんな車を楽しんでいた。私の「ブレンボのブレーキは止めにくい」という声を物ともせず楽しんでいた。寝てしまうくらい楽しんでいた。 高速道路、長時間の運転では色々とサポートもしてくれた。左手が駄目なときはシフトを担当してくれた。車のキャリアにダブルベッドのマットレスを乗せて運転したときも周りの人たちがガン見するのを見て喜んでいた。 覆面パトカーに手を振ったり隣の車のイヌに愛想を振りまいたり。そんなイベントが一切無いドライブ。面白いわけが無い。どうにもならない。

元サラリーマン

 普通の企業のサラリーマンをやっていると家に居るときはオフと相場が決まっている。だからゴールデンウィークに家に居れば頭の何処かはオフだ、と言っている。すると森さんの都合や気分を考えて何処かに行こうと言う悪巧みがわき上がる。 そのおかしな衝動の行き場が無い。一人で行く気にはなれないし、無理に言ってもお金の無駄遣い。時間の無駄でもある。森さんと二人は何処かへ買い物に行くとかウィンドショッピングと言う事はしない。買いに行くだけで店を見るなんて言う趣味は無い。 ましてやショッピングモールなんて何故見に行く物なのかサッパリ理解出来ない。だから先ずはドライブがてら言ってみようということになる。そうすれば私が何処かへ脱線して面白い所に連れて行ってくれるだろ、何か楽しいイベントが起きるだろうと期待して出かける。 ショッピングモールになにか面白い物を見つけたな?と黙って憑いてきてくれる。面白くなければ帰ろうとか他へ行こうとすぐに言われてしまう。幸いなことに二人とも待つ事が大嫌い。だからそういう場所へ行っても混雑しているとすぐに何処か別のところへ行く。 そんな習慣というか行動パターンまで一緒だから二人はやめられない。さらに私が森さんの予想を超える場所やイベントを起こすのでそれがとても大好きだった。何か食べるにも店の佇まいやお客の入り具合、店の名前などから判断するので大抵何軒もスルーしていた。 挙げ句の果て、サイゼリヤなどで落ち着くこともある。そういうときにサイゼリヤに行けて良かったと痛感する。サイゼリヤは森さんが牛豚鳥た食べられないことから行ける店が少なくて困らないように私が使っていないお店を探したのだ。色々な店を探して電話して問い合わせた結果、 入って居ないことが確認できたお店だからだ。価格も安くてそれなり、でも森さんが食べられたのだから良かった。そういういきさつで何処かへ出かけてもお安心だった。更にモスバーガーも食べられることも良かった。モスライスバーガーのきんぴらや 海老のライスバーガーなどが食べられた。もちろんポテトも大丈夫だったので意外と食べた。大昔にライスバーガーを食べたこともあったが、その時は口に合わなかったのだが、最近のライスバーガーは改善を繰り返して森さんが食べられるようになって居た。 私が地名とか名所を知らずにぶらぶらする。看板に何かあると色々知っている森さんがそこ右!と言う感じで行く方向は決まることも良くある。ツツジ祭りやってるみたいだから行く?と私が聞いたり、あそこに何かめるから行こうとか、そこのフェリー乗る?など 無計画も楽しいドライブの方法だった。真っ暗になってくると森さんも少し飽きる。すると帰ろうか?と言いながらも私に期待する。何処か面白い所に行き着かないかと。私はまっすぐ帰らない。大回りしたり渋滞していると反対方向へ走る。反対方向は当然空いているのだから、 走りやすいに決まって居る。もちろん時悪よりも遠くなるのだから帰りは遅くなる。森さんはそんなことに文句も言わず心の中でニコニコしながら景色を楽しむ。そのワクワク、喜びが、感情が私の中に飛び込んでくる。お互い疲れたとかつまんないとか負の感情は一切無い。 くだらない文句や喧嘩は絶対に微塵も無い。そんなドライブが二度と出来ない。

よく言われているネタ

 誰の葬儀や偲ぶ会で言われている、「そこからひょっこり出てきそうだ」その通りである。この感覚が当事者には堪える。堪えるというレベルでは無い。私達ほど結びつきが強ければその感覚は毎秒ごとに襲ってくる。こうしてPCを弄っていると食事如何する? 何処か行く?晩飯は?お茶しに行こう、ちょっと寝る、何か飲ませてなど様々なイベントが発生する筈だ。これが深夜なら「もう寝なさい」と息子に言うように言ってくれる。そのイベントが一切無いと体が休めない。心が休めないのである。 仕事や何かに集中しているとき、割り込まれると大抵は邪魔な奴とか面倒と言う事になるが我々はそこからも異なる。息抜きが必要なときにジャストタイミングで息抜きになったり気分転換が必要なときにこそ割り込みが入る。煮詰まっていたりどうにもならないときに助けが来る。 それらが無いのだから何か物音がしたり「そろそろ何か・・・?」と言うときに何も起きない。どうにもならなく無って行き詰まる。そのまま脳も体も心も安まらないのだから私が壊れそうと言うのが判るだろうか?本当に壊れそうだ。

また、イベント

 森さんか?また私で遊んでいる?森さんの小学校の同窓生が突然前触れも無しに来宅。事情を聞くとわざわざ名古屋からというが政党の宣伝が目的だと言う。 目的がお参りにと言うことならまだしも突然来てしかも政党宣伝。宣伝目的ならまあ、仕方ないかということで訃報をお渡ししてお帰り頂く。宣伝目的なのだから仕方ない。どうしてそんなイベントを用意する?森さん。

抑えきれない衝動

 PCに向かいながらも森さんからのアプローチを体が待っている。森さんに何かするため、森さんの休憩スイッチを入れるためのルーチンワーク使用とする自分を抑えている。 わかりにくいだろうか?二人ともお互いにそれぞれのスイッチを依存していた。絶妙のタイミングで休憩するためにも相手にそのタイミングを依存していた。だからこそそのスイッチを入れてくれる人が居ないと ずっと作業を続けてしまう。相手のスイッチを変更してあげる為の行動を抑えていると何かが壊れそうになる。何故そんなことに?二人ともお互いにそんな所まで依存してそうすることできちんと稼働するシステムだった。 二人でひとつのシステムだったのだから片方が居なくなれば網片方は稼働できなくなる。ひとつの多機能システムは崩壊する。何も出来なくなる。当然だ。行き止まりの考えが行き場を失い無限ループに入り込み、 脳内のタスクは多くなりすぎてオーバーヒートする。何も出来なくなる。

進まない

 森さんの遺品というわけでは無いが森さんの為に集めたアクセサリーの部品をアクセサリー化して売ろうと考えた。しかし以前からわかりきっていたが全く売れない。森さんだからこそ似合っていたという事もあるが 最近は薄利多売。まともな価格で買う人が居ない。全く売れない。そんな物だと思うが個人が作って居る物が多すぎる。ミンネで登録されている作品は920万点もある。アクセサリーや素材、食べものまである。無理な話だ、同じような作品が星の数ほどある。 ブレスレットだけで何点あるのかわからない。凄い数だ。どの中から自分の作品が売れるには如何するか?どうにもならない。たまたま見つけてくれた人がたまたま気に入って、たまたま買ってくれるまで待つしか無い。 幅広い品揃えで待ち受けるしか方法は無い。他にヤルとすればヤフオクや他のサイトで販売していくしか無い。それでもどれだけ売れるか判らない。原価を抑えて薄利多売しか無いだろう。そうしなければ売れない時代だ。 どうにもならない。一点も売れないのだから。まあ、最後は誰かにあげるか・・・

森さんの遺志を継いで

 笑える。まだそんなことを言う人は居ないが私と森さんはある部分が根本的に違う。森さんは芝居好きでしばいを死んでもやりたい。死ぬほどやりたい。芝居にどっぷり浸かった生活が大好きで芝居さえ出来れば々でもよいと言う目標と趣味と実益がある。 一方私は芝居は好きでは無い。生活をダメにしてまで芝居漬けなんて良く解らない、というかそういう人はそういう道を行けば良いだろうという感じで自分の事では無い。目標もそんな大それた事は持ち合わせていない。日々の生活をどうしようかとか 明日をどうしようとかも無い、夢遊病者みたいにふわふわしてて目標も目的も無い。芝居の世界なんてある意味どうでもいい。だから森さんは私が言っていた「お芝居をメジャーにしたい」「みんながお芝居で食べていけるようにしたい」という目標は 森さんが居てこその目標だ。森さんと共に居るからこその目標で、森さんが居なければ「する必要は無い」目標だ。森さんだって「私が居ないんだから、やんなくていいんだよ」と言う。間違いない。そういう話もした事があるので絶対に間違いない。 だから意志なんか通ぐ訳が無いと森さんは理解している。私は私の道。森さんは森さんの道。私は森さんに寄り添うだけ。森さんの遺志を継ぐと言えば「一緒に来て欲しい」これだけだ。

眠い

 睡眠障害。いろいろな症状が人それぞれあるので眠れているのなら大丈夫だろうと言うのは時期尚早だ。寝ると2~3時間で起きてしまう。なのでそろそろ眠くてダメだから寝ようかとベッドに入る。 入ると隣に森さんが居ないと言うことで青どれ名林が出てしまう。体が熱くなってめがばっちりする。覚醒状態。寝られない、寝付けない。暑くてしょうが無いので起きる。暫くすると眠くなるので寝てみる。 俣起きる。そのうち力尽きて椅子に座ったまま寝てる。最高で5日くらいかな?ベッドで寝てないのは・・・。数えてないので良く解らないが全然ベッドで寝てないという感じがするときがある。 落ちる寸前に旨く寝る事が出来れば良いがそれ以外は落ちてる。椅子で。いずれにしても旨く寝る事が出来たとしても2~3時間だ。どうしようもない。早いとこ体を壊したい。ガンバろう。

朝から絶不調

 なんだかお手玉をして物を落とす、すっぽ抜けて落とす、置いた物が落ちる。と、なんだか朝っぱらからずっとそんな感じ。 森さんが何か教えたくてやっているのかと思う。思い当たる伏したひとつだけ、月イチの土曜日はお米が安い。確かにストックが無くなったので今日買いに行く予定だった。 それか?それとも木曜日に供えてあったお花を捨てたから買いに行けと?そういうことで花屋さんへ。ひと束購入して花瓶へ。それから私が管理している稽古場へ。 仕事上で池袋の稽古場を任されているのだが、最近の若者は野放図が多くて困る。叩き場は井賃と養生してゴミも掃除して帰ることが決まって入るにもかかわらず、 スプレー缶やシンナー臭が残り、養生もせずに塗装したりする劇団が居る。今回も一昨日確認に行くと明かりは付いているだけで無く、ポットも憑いている。しかも未施錠。 危ない状況。しかも規定の22時を超えている。明らかに問題だ。しかも荷下ろしなどの一時駐車以外での利用は禁止と行っていたにもかかわらず、車が置いてある。 即刻利用禁止にしたい所だが、ぐっとこらえてまた、今日確認してみた。ポットの電源がついている。早速電話するとこちらの言い方がきつすぎたのか逆ギレ。 もう、開いた口がふさがらない。電話を切って暫くすると電話がかかってきた。制作に電話して確認したのだろう、申し訳なさそうに明日片付けに来るという。 先ほどの逆ギレとは全く異なる態度だ。仕方ないのであと2日の日程は使って良い事にした。まあ、そういうこと。相手は法人まで立てているきちんとした法人で仕事をしている人。 しかし、紳士協定である時間を厳守していない。こんなことがあるとは考えていなかった。法人なのだから絶対守って当たり前である筈だ。それなのに、となる。 ポット出の劇団なら普通に出入り禁止にして終わりなのだが、法人ともなるとくどい話になる。これからの演劇という世界の話として、そんなちゃらんぽらんな事をしてもらっては困る。 それこそ、そんな人ばかりなのかと思われてしまっては困る。それだけに厳しく言ってしまう。イライラが募る。

森さんの心の中

 森さんの小説がある。私との仲を思い切り満載というか殆ど事実、実話に近い内容を思い切り書いた森さんの小説。 読み返すほどにもりさんがすぐそこに居そうな感じがする。そんな森さんの想いは感じていたが、文字としてしかもお小説となると その気持ちは桁違いに伝わってくる。残念ながら相続問題が終了しないとUP出来ないが、相続問題が全て終了すればここにアップ出来るかもしれない。 その際は是非読んで欲しい。森さんと付き合いのあるみなさんはよく知っていると思うが、森さんは何でもけっこうスパスパときっちり決めてしまう人だ。 だが、その森さんが決めかねた、結婚や付き合いを。私に対して「もう終わりにしよう」とか「帰れ」と合ったことがあった。順風満帆と言う事では無い。 ただ、その場合喧嘩というわけでは無い。前にも書いたが自分自身に問うことでお互いへの気持ちは既にあった。20歳も年の差があって本当に? 愛について臆病というか「愛という物は?」「愛?」について深く考えすぎの森さんは揺れた。揺れて一人で泣いていたこともあった。 私はと言うと森さんへの好きだという感情、森さんに尽くしたい、森さんの為に何かしたい、森さんの為に、森さんが喜ぶことを、そういう感情を 全て総合すれば、これは愛という物では?と考えた。私はそんなことも論理的にしっかり考えた末、愛していると言う事にしたのだ。 その先は簡単だ、森さんを愛していると言う事はどういうことか?文句は言わない、Noとは言わない、出来ないと言わない、喜ぶことをする、 守る、私の愛はそういうこと全ての積み重ねだ。「~してあげる」等という事は無い。だからこそ森さんはそれに甘んじた。甘んじた状態を「愛」とは結論づけられなかった。 私はそれでも十分だった。もりさんが「愛されたい」と言っていた。それで良い。「そういう愛もあるのだから、それは私を愛していると言う事だよ」そう森さんに言っていた。 森さんはそれでも納得していなかったが、その状態で18年以上も仲良く続いたのだから、私の愛は成功と言える。でも森さんは最後に「愛してる」と言った。 色々な想いから言ってくれた言葉だと思うが、森さんが言ってくれた言葉に出さんは無い。心から愛していると言う事を言ってくれたのだ。 だから……森さん。私は森さんを愛し続けます。そのうち森さんの側に行きます。待ってて下さい、森さん。

味がわからない

 とあるフライ物チェーン店で食事をする。このお店は森さんと行っていないので何とか行けるお店。理由は肉のフライ物ばかりで魚介系が殆ど無い。まあ、海老フライがあるけどもうこれは海老フライトは言えない。 白くならなくて固くならないぐねぐね海老の海老フライ。とても海老フライと言えるのかどうか判らない海老フライ。森さんにそんな海老フライを勧めるわけも無いので私だけが通っているお店。 他にも理由はある。予測までやっていて駐車場があるお店が比較的近くにあると言うこと、それだけ。特に美味しいとか絶対のメニューがあるわけでもない。 いつもはヒレカツばかりを食べていたのだけど最近季節メニューでチキンカツをやっていたのでチキンにした。余り良く解らない。豚でも鳥でも余り変わらない。たいしたこと無い、にくを食べている感覚だけで 何が旨いと言う事も一切無い。なるほど、これなら一番安い物で別にいいと理解、これからは全部チキンカツで行こうと思う。いいことだ。

この世の中

 森さんと二人でこの現代の世の中についていつも言っていた。嫌な世の中になったねと。というのもあちこちで再開発という名の破壊行為がまかり通っていること。つまり個人経営の小さなお店が沢山建ち並んでいて そこそこのお客さんがついている。採算的にも何とかやっていける程度で良いというお店も少なくなかったと思う。そんな楽しいお店が建ち並んでいる場所に再開発という名目でぶるが建つ。そのビルには小さなお店がテナントとして入ることは 間違いなくあり得ない。すると巨大なビルの中には良くあるチェーン店ばかりが建ち並び、採算が取れなければすぐに撤退、次の店が入るか、空きテナントとしてそのままの状態となる。 何処にでもあるチェーン店なら別にそこに行く必要は無い。観光としていったとしても町並みは無く、近代的な建築、しかも最近流行の硝子張りで最上階に行けばレストランや夜景が愉しめるスポット。 と言っても既に東京都内にはそんなスポットがどれだけあるのか……新宿、渋谷、東京タワー、スカイツリー、サンシャイン、あげたら切りが無い。どれだけのビル群が出来ているのか、考えたことがあるだろうか。 ビル群だけでは無い、ショッピングモールも同様だ。元々はそのポジションはデパートが担っていた筈だ。しかしショッピングモールという業務体系を考えついた所からデパートの終演が決まってしまった。 そのショッピングモールだって何処へ行っても同じような店ばかり。そんなショッピングモールにわざわざ出かけて何が楽しいのか全く判らない。テナント料や賃料など大量にマージンを取られているお店。 個人商店がおいそれと出店出来るわけが無い。そういうお店はどんどんなくなっていくしかない。面白くない世の中と言う事だ。
 メール、ライン、Skype、Facebook、Twitter、Instagram……切りが無いSNSや通信手段。これらの通信手段は全くの無責任だ。極端な言い方をすれば何も知らない、免許も無いし知らない人にいきなり車を渡して、「ほれっ使え」と言っているような物だ。 マニュアルとか説明書とか何も無しで、免許もその存在も知らない状態で車なんて乗ったらどうなるか考えただけでも恐ろしい。全く同じ事がこれらで起きている。メールは絶対に届くメディアでは無い。そんなことをみんな知っているのだろうか、 殆どの人が知るわけも無い。そんな状態でみんなは車、トラック、バイク、トラクターなどをなんの予備知識も無く渡されているに過ぎない。だからこそみんなコミュニケーションまでおかしな事になっていく。 ある日、お世話になったらその日以降にお礼状を送る。そんな日本人が多かったはずだ。しかし現代で言えばメールでお礼状に変えればまだ許されるだろうが、現代では既にそんな良き習慣まで無くなって居る。 ライン出ないとダメなのか、メールは殆ど使わないからなのか、こちらには全く判らない状態と言う事になる。つまらない世の中になった。森さんとそんな話をよくしていた。 そんなことまで森さんとは考え方が同じだった。嫌な世の中になった物だと。

職人が減った

 森さんとは森さんの業界の話を置く聞いていた。プロデューサーがべんきょうをしていない。スポンサーだけで無く担当やその他スタッフが勉強をしていない事が多くなった。 どういう同期でそういう職種を目指し、そういう職種に就いたのか全く判らない。やりたいことであればそれなりに勉強するはずだ。私の場合だってアマチュア無線、ロボット製作、 アクセサリー作り、様々な事に首を突っ込んで色々な資格をとった。芝居の人たちであれば森さんのようにシェークスピアを読むだけで無く、全部憶えたとか照明の勉強や色々な事を 貪欲に取り入れることが必要である。森さんは週に2回以上お芝居を見に行っていた頃があるくらいお芝居が好きだった。社交的なこともあって招待や案内も多数来ていた。 もちろん社交的と言っても面倒だとか大変と言う事はあった。それでも全てを吸収すべく色々な事に手出ししていた。だからミュージカルやテレビ、ラジオドラマ、お芝居など様々な脚本を手がけることが出来たのだ。 それだけ勉強する事が必要なのに、最近の人たちは役者を目指していてもシェイクスピアひとつ読んでいないことが多い。勉強するために好き嫌いは不要だ。と言うよりも全て読んで、見てその上で善し悪しや好き嫌いを 決めるべきだ。見もしないでキライというのは身勝手すぎる。キライと言うにはどんな所がキライでどうしたらよいだろうという処まできっちり言える所まで見た上で言う事が正しい。 それだけでは無い、そういう努力と地意識の裏付けが無いのでその人達に職人魂というかポリシーや技術が伴わない。当然な話だろう、知識の引き出しが少ないのだから何かに行き詰まると止まってしまう。 回避方法は他人任せとなってしまうか、止めてしまうと言うことになりかねない。だから職人が減っている。当然だ。私達二人は職人が大好きだ。

疲れる世の中

 無添加です。そんな言葉にダマされる人が多い。無添加というのは何処までかという話が全く理解出来ないのだ。ステビア、アミノ酸、香料、酸味料、酸化防止剤などあげたらきりがない程添加物が溢れている。 「こだわりの」とCMや広告で言われていても何かが入って居ることは現代において当然のことだ。産地の何かが入って拘っているにもかかわらず香料やアミノ酸が入って居ることはもう、当然のことだ。入っていない物を探す方のが 本当に大変な時代になっている。とある寿司屋さんでも無添加を声高らかに謳っているが添加物の範囲が規定されていないので本当に何が無添加なのかサッパリ判らない状態だ。それをネットで書いた人がその寿司屋に訴えられたが その訴えは退けられたとか……当然な話だ。トマトの缶詰だって塩だけなんて珍しい。殆どが酸味料とアミノ酸が入って居る缶詰ばかりだ。出来る事ならその全てで味比べをすると良いだろう。どう異なるか良く解るはずだ。 これだけ色々添加されているのだから飲食店ではどうなるか判らない。飲食店で使われている材料は食べる側には伝わらない。だから我々二人は美味しくないお店が多いのだ。 無添加かどうかを考えながら食べる。美味しくなければ二度と行かない。チャレンジと挫折はとても疲れる。今、一人の私にはそのチャレンジは出来ない。しかもそんな添加物を避けて食べていても癌にはなる。治らないし死んでしまう。 父の言葉が思い出される。美味しい物くらい食べられなかったら生きてても意味が無い、まあ一理ある。

母のこと

 先日電話があった。救急隊から電話があった。これから病院に行くが病院から帰る際に家族のお迎えが必要です。意味がわからない。お金に困っていない母が如何してと思うが、何故か病院の指定らしい。 でも、思い出して欲しい。ここに記載したが、母は息子である私が困っているときに「他人のために何でそんなことするかっ」と言ったくらいの強者。それなのに頼み事はするらしい。非情なことを言う母にふさわしい行動パターンである。 どうやら足がもつれて倒れたらしい。その際に補聴器が耳に当たってけがをしたらしい。どの面下げてそんな頼み事が出来るのか理解出来ない。末期癌であることを伝えたはずなのに、まだ森さんが生きているとでも思っているのだろうか。 腹立たしくて馬鹿馬鹿しい。酷い話だ。病院に行けなくなっている私には絶対に行かない。無理だ。森さんの処理が全て終わったら養子縁組解除する予定なのだからそんなことする斬りは無いし、そういうときに対応していない場合の方が 養子縁組解除が容易に出来る、好都合だ。森さんの処理が全て終わるのが早いか母が亡くなるのが早いか、まあ、最近のこの最悪ケースで行けば森さんの処理が全て終わるのが早いだろう。それはそれで良い事だ。森さんが寂しがっているのだから……。

贅沢してみた

 焼き肉を食べてみようかと近くのお店で食べてみた。以前国産牛以外でガッカリというか酷い目に遭ったので懲りて国産牛もふんだんにあるお店へ。 すると飲食店でモメる天性の素質がまた発揮された。オーダーしてセルフのドリンクを取りに行き、肉の一つ目が出てきて焼き始めた所で店員さんがやってきた。 和牛の盛り合わせが出来ないと言う。大体入店して待つ間に言わないのもムカつくが席に着いても言わずに、オーダーしてかなり時間が経ってようやく出来ないと言う。 切れそうだがもう既にこの域になると怒る気も無い。なんとか和牛で盛り合わせを作ってもらうことになったが……まあそんなことは日常茶飯事だ。 旨い和牛専門店でも以前あった。エプロンお持ちしますかと聞かれて食べ始めたが持ってこないとか……良くあることだ。 まあそんなこんなで和牛を食べてみたがやはり和牛というだけだとA5ランク以外の事もあるのだから仕方の無いこと。何故か旨くない。 外国産の荒っぽい感じは無いが今ひとつ。更に問題なのはタレ、最悪だ。塩だれを見ると酸味料や香料が入っている。そのままで舐めてみると、絶対使えないような変な味。 最悪の味、とてもレモンの味では無いし旨味も無い。こんなタレが並んでいる。8種類くらいあるが、こういうところで安心出来るのは塩だ。 オーダーも塩を選んで味付けも塩で食べて旨ければ最高だ。が、無理だった。味覚障害か?

最近の映画

 有名な映画配給会社が「実写で実現しました」と火言っている映画があった。実写と言いつつもその大半はCGの豪勢。クロマキーで背景をCGで合成して登場人物の殆どもCGで豪勢している。 例え顔に変な機器をくっつけてその表情からCGの顔が動くようなシステムで出来上がったとしてもそれは本当に実写と言えるのだろうか。車を中心としたカーアクションが売りのヒット作品も同様だ。 壊した車の台数が凄いと言っているが実写とCGを豪勢している事は現物を見ればわかることだ。スタントも使うかも知れないがCGだって大量に使っている。このCGが本当にくせ者だ、 実写でどんなに苦労をして作ってもCGだろうと思われて損をする。CGで作ったのに実写でやったのかと感心されてしまっても困る。この状況が今だ。どちらに解釈されても「出来て当然」ということで緊張感が無くなる。 これが映画を面白くなくしている原因。今のところその影響は何処にも見えていないかもしれない。でもその影響は水面下で絶対に出ている。間違いなく出ているはずだ。だからこそ今の映画は 間抜けだし、ドンパチが多くてドラマが少ないか薄っぺらい。わかりやすすぎる。葛藤は自分自身に降りかかった場合を想定することが多いのでひねりすぎると逆効果になる。だからこそ設定がきちんと出来ていなければならない。 映画のお約束などは糞食らえだ、そんなことに頼っているから衰退してしまう。珍しい技術や設定に頼りすぎて間違った方向へ進んでしまう。当然面白くも何とも無い。そんな物あり得ないとかそんなこと出来ない。 どんな未来が来てもそんなことはあり得ないと思ってしまえばそこでその映画は終了だ。最近はそういう冷めた状況に陥れてくれる映画が多すぎる。全く面白くない映画が多くて困る。 丸ごと嘘はすぐにバレるし気付かれてしまう。そこで半分だけ嘘をつくのが良い。うっすら嘘をつけば気付かれずに先へ進むことが出来る。

半分嘘

 通販番組を見ていると半分嘘が蔓延している。ノンフライで唐揚げが出来るという調理器具、唐揚げを作った際の底に残った液体を撮しながらこれだけ油が落ちましたと一瞬だけ撮す。 これを鵜呑みにするとおかしな事になる。唐揚げ粉の特性で本来の粉やパン粉だけだときちんと揚がらない。油が殆ど無ければきちんとフライにならない。だから油を一切使わないと テレビでやるような綺麗にカラッと揚がることは余り無い。少し油を垂らしてくださいとかの注意書きがある筈だ。掃除機の宣伝はもっと酷い。どんな掃除機でも殆ど吸い上げることが出来る ボーリングの珠。こんなに吸引力が凄いと言いつつもこれまでの旧式掃除機で同じ実験は行わず見せない。そんな片手落ちな実験見たことが無い。比較対象でh無い事が伺える。 最高給掃除機がこのお値段で、とよく言うがこの最高機種は現在のラインナップよりも世代が古い物が多い。不良在庫を総ざらえするためとかなどがその理由だ。新機種を発売しても 旧機種を少しは製造していることがあるのでその期間だけ限定生産すればその通販番組仕様も出来るわけだ。 ダイエット食品やダイエット器具もそうだ、小さく端っこに一瞬だけ食事制限やカロリーコントロールしていますと書かれている。 化粧品の類はもっと酷い。使用前と使用後の撮影は最悪。明るさ、絞り、明かりの位置、明かりの色、その全てが異なる。撮影条件が違えばもちろん綺麗に写るし、シワも隠せる。 もっと酷い場合はファンデーションなど化粧の条件まで全く異なる場合が多い。酷い物だ。全部嘘はすぐに気付かれるが半分嘘は楽勝だ。 そんな嘘だらけの状態はTVドラマや映画でも多すぎて困る。もう、見たくないと思うほど嘘が多い。多すぎて本当に、馬鹿にしているのかと思うほどだ。そんなテレビなんか絶対見たくない。 でも、淋しいのでずっとテレビを付けたまま。しかもそのまま椅子で堕ちてしまう。2~3時間堕ちる。明かりもPCもテレビも付けたまま目が覚める。 半分嘘の通販番組がまだ続いている。

おかしな二人

 森さんと私は天邪鬼だ。妙な関係でもある。これだけツーカーのくせに感情を露わにしない。私が家に帰ってきたとする、以外と遅かった場合大抵「意外と遅かったね」と言われる。 この場合後ろに「何処かに行こうと想ったのに・・・」とか「食事に行こうと想ったのに・・・」「一緒にゆっくりしたかったのに」などと繋がっていることも多い。でもそんな会話でも 二人の間では楽しい会話でもある。私が車で森さんの死後と場所へ迎えに行く。森さんは私が到着するまで待っている時は楽しそうに待っている。しかし私の車に乗り込むときは「当然よ」と 言わんばかりに乗り込む。でも楽しそうだし、助かるぅと言う感じがする。そして私の目の前だけで見せる「疲れたぁと」言ったりするだけ。たまに「ほんとに助かるね」と言う程度だ。 本当は凄く嬉しいのに素っ気ない。でもお互いにそういうときに感謝していない訳が無いと言うのは100%理解しているし、それに伴う幸せをかみしめていることが確実だと言う事が 判っているからこそ、お互いに色々出来たのだ。体調の悪い森さんが何も言わずに食事や掃除、洗濯までやってくれたのは義務感とかやらなくちゃとか言う事では無い。 私にやってあげたいと思うからこそ手伝ってとも言わないし、私がやらない事で文句も言わないのだ。病気だからと言って気を遣われるのが嫌だと言う事、そして私が病気だからと言って 余計に気を遣われるのが嫌だと言う事は二人とも理解しており、普通通りが一番というのがお互いに楽だったのだ。もりさんにとっては送迎やその他の手伝いに対して 感謝していたし、病院へのお見舞い、食事を作って持って行ったりフルーツやドレッシング、毎日の体拭きとパウダー、色々な事を森さんは感謝してくれていた。 もちろんそんな感謝の言葉は無いにも関わらずだ。お互いに感謝の言葉が無くても感謝していないわけが無いのだから別にそんな言葉も不要なのだ。 今は家に帰っても何もない。それが辛い。居ないのだから当然だろうけど……。

誰かに言いたい

 「もう限界なんだ!」そう言える相手が居るなら言いたい。森さんがいなくなって3ヶ月以上が経っている。普通のひとに言わせれば 「今はまだね」というありきたりな答えが返ってきそう。それはつまり時が経てば忘れていくのだから、もう少しすれば楽になるよ、そういう意味がある。 それはとても失礼な事だと思っていない所にも怒りを覚える。忘れたくない、森さん以外に女性は居ない、伴侶は森さんだけ、森さんだけを愛し続けたい、 森さんと何時までも一緒に居たい……こんなに強い想いが時が経つにつれて薄れていくなんて自分自身が許せない。事実忘れないという事は無い。 森さんとの思い出は確実に薄れていくのは間違いなく事実だ。でも、私は森さんの死の直後をしっかりと思えている。亡くなったと思う瞬間に起こされたし, 死ぬ前に愛してると言われた。それを忘れる事は絶対にない。そして森さんの遺した小説。私への唯一ラブレターだ。勿論手帳にも少しずつ心の迷いについて 書かれているが、小説がそれをまとめて克明に書かれている。そんな森さんを忘れる事は決して無い。だからこそこの近所を歩くだけで倒れそうだ。 一緒に行った駅、酒屋さん、寿司屋さん、クリーニング屋さん…全てが和田神お負担になる。相続の手続きのために名古屋まで車で行く。その道のりでも 全てが思い出だ。名古屋に着いても思い出ばかりだ。有名なパン屋さんに何とか立ち寄ってたいりょうに購入。森さんに供えようとクロワッサンを買おうと 思ったがまだ出来ていない。仕方ないので私の食料として大量に購入。今は冷凍庫に詰め込んである。森さんに供えねば。名古屋から帰っても森さんの指示が飛ぶ。 側で寝て欲しいというのでソファーで寝る。まあ、不思議だ。森さんはもう霊なのだから私が名古屋に行くために遺骨を積んで行く事に意味があるのかわからない。 首にぶら下げているし、ポケットにも入っている。だけど何故か隣にどっかりおいていった方が良いと思える。まあ、感覚的な物だと思う。いずれにしろ 生きている森さんが隣に居ないことには間違いないのだから。まあ、馬鹿げたことをしているとも思える。自分のしている事が俗人的で嫌になる。 名古屋で戸籍をとるときに役所で2時間も待たされる。装置が壊れているとかで人間が番号を一生懸命叫んでいる。いくら待っても呼ばれない。 2時間またされようやく呼ばれると「何回かお呼びしたのですが」と言う。全く聞こえていない。というか本当に呼んだか?東京から来ているというのに 2時間も無駄に待たされたさすが役所仕事、それとそういうことにぶち当たる。まあ、そういう事だ。森さんはそういうところは笑っているだけか? さて、帰ろうかと思ったけど夜飯にはちょっと早すぎるので森さんの友人宅へ。大量に購入したパンをお裾分け。まあ、それだけ大量に購入したのなら 少しぐらい置いてこい、そんな声が聞こえたので置きに行く。本人が居ないのでとりあえず置いてくる。まだ晩飯には早い。そこで東京にも進出した 台湾ラーメンで有名なあの店に行く。到着すると5時半から営業とあるので暫く待つ。時間で入店。酢豚とチャーハンで試してみる。たいしたこと無い 普通の中華屋さん。台湾ラーメンは辛いのは知っているので他のメニューをたのんだがまあ、普通。チャーハンは大量に作り置きした物を暖めて出す、 しっとりタイプ、酢豚はスイートチリ味の至って普通味、付け合わせのキュウリは火なんて通していない冷たい生キュウリ、え~と思う。 まあ、二度と行かない。あとはいつも通りどうやって帰るのか悩む。帰る場所が無いからだ。森さんの元へ帰りたいが帰れないので 帰るというコマンドが入力されないままウエイト状態に入る。暫くしてなんとか帰る気を貯めて出発。体が如何しても帰りたくないというので 高速道路を使わずに帰ることにする。8時間から9時間かかってようやく到着。まあ、良くあることだ。

やる気が無いのか?

 ボケたことをやっている。名古屋でせっかく撮ってきた戸籍謄本。全部終わりだろうと家庭裁判所へ行って提出、だけどまだ足りないという。 森さんの最初の結婚していた部分が抜けていた。すっかり忘れていた。というか目が悪くなってしまったのと文字が旧字で書かれていて良く解らないので まともに読む気力が無い。で丸ごと抜けた。今度は渋谷区で取り寄せないとならない。しかし家庭裁判所の担当社が親切にも取り寄せる際に必要書類を 作ってくれた。これなら申請時に面倒な説明無しに書類だけで簡単に取得出来る。森さんが手伝ったかな?ありがとう。帰るときににわか雨、すぐに止んだからきっと森さんのうれし涙かな? などと勝手な解釈。でも、この面倒な方法だけが森さんの作品を守る唯一の方法なのだから森さんが感謝しないわけながない。まあ、本人が居たら「面倒なんだからやんなくっていいんだよ」 なんて言いながらすっごく喜んでくれる。まあ私達はそんな間柄。死んでもその方針は曲げないし曲がるわけが無い。二人の愛はそれだけ深くて強い。 でも……居ないのだから辛い。

アクセス

 毎日このサイトを30~40人が見に来ているようで、どんな人だろうかと苦笑している。まあ、どういう方々がどういう思いで見ているのだろうかと思うと 森さんと話した、作品は自分の切り売り、言いたいことが必要 と言う事を思い出す。私には出来ないことだと思う。毎回同じ様な事をだらだらと思いつきで書いている。 文体の統一も句読点もデタラメ、森さんのように漢字にするか開くかなんて微塵も気にしない。漢字変換にお任せのままに書いているだけ。 訃報だってどんだけ時間をかけて書いたのか判らないくらい時間を掛けた。2月6日から俳優座から帰って森さんに逢いに行ってそれから早朝までかかって書いていた。 それを千秋楽までやると今度は家に居る間ずっと書いていた。最初はA4で1枚にしようとネット上の訃報を参考に書いてさらっと終わらせるつもりだった。 でも、途中で森さんの仲間や知り合いから根掘り葉掘り聞かれることを想定して書き始めた。途中で方向転換もしながら書いた。凄い枚数になりそうだと気付いた所から 減らしたがどうにもならなくて余白を最高に少なくしてみた。森さんに怒られるような体裁になってしまったが三つ折りして封筒に入れて封緘して送料が…と考えると 減らす必要がある。仕方なくあり得ない訃報の枚数になってしまった。既に訃報じゃ無いという状態。そのうちUPしようと思うが森さんの小説がUPできたときに一緒にしようと 思っているのでまあ、まだ後になる。明後日くらいに家庭裁判所で受理されてOKが出ると相続人2人に郵便物がくられてくる。その後は官報、その後は2ヶ月待ち時間。 待った後に管財人が無事私になれば、私が負債との調整を行い、終了となる。まあ、無事進めば……。 これだけ書いているといい加減同じ事を言っているような気がする。
 森さんとのドライブは楽しいおしゃべりとか必要ない。特に馬鹿話とか日常の話も特にない。仕事関連の話や仕事からの派生話、森さんの仕事の内容や仕事の進め方など どちらかと言うと私からの質問が中心。あとはドライブしているときに見えた物や風景について、そして「寄る?」と聞く程度。あとは無言の突っ込みや笑い。 何回も言っているように森さんと私は簡単な会話は無言で事足りる。「そこ曲がれ」「追い越せ」「止まれ」「パトカーだ」「お茶したい」「休憩したい」「喉渇いた」「空気入れ換えよう」 「暑い、寒い」「外出たい」「あそこ寄ろう」「腹減った」など単純ではあるけれど多岐にわたる内容が無言で伝わる。その無言の指令を実行すると「よしよし」「判れば良い」「(笑)」など 結果も帰ってくる。おそらく二人きりのドライブに第三者が乗っていたら絶対「何?」というおかしな二人を見る事が出来るだろう。今はもう見れない……。 一人で運転していると一人でブツブツ言っている。答えが返ってこない。何も指令も希望も聞こえない。隣に森さんが載っているかも知れないが聞こえない。 やはり二人は超能力者だったのかと思うほど何も聞こえない。ひとりで森さんへ言葉が送信されていくだけ。帰ってこないので一人で声に出してブツブツ。 「森さん愛してるよ」と何時ものように独り言。森さんが嫌がっていた「治美ちゃん」とも。 と、書いてみるが……アクセス数が減らない。何故だ…… 飽きません?

アクセサリー

 森さんの為に集めたアクセサリーの材料。捨てるのももったいないので仕方なく作り続ける。売れない。もう、捨てるかあげちゃうかオークション出すか、決断できない。 まあ森さん追いかけるのだしそのままでもいいかと想いながら新作は森さんの廻りに飾ってる。40個とか50個並んでる。もちろん森さん好みのものから売るために作った物まで 色々な物が出来上がっている。それと淋しいと言われてしまったので花を飾ることにもしている。お線香と森さんの写真、地所とペンと紙、色々置いている。 せっかくもらった戒名も置いてあるが、もうお墓に入る事は諦めた。完全に止める事にした。母とは養子縁組解除の為に離縁届を役所からもらってきているのであとはそれを 母に送るだけ。母の日に送ろうとも思ったけどスケジュール的に早すぎるので森さんを追っかける寸前まで保留しておくことに。離縁が成立すると岩国にある土地と建物は 赤の他人との共有資産となる。別々に税金がかかるはずなので私が森さんを追っかけた後の処理が凄くめんどくさい話になる。もちろん母が相続できない物件になるので 私の知ったことでは無い、複雑そうで楽しそう。離縁する理由は当家の墓に入りたくない。これに尽きる。「赤の他人」と言われた森さんと当家の墓に入れる保証が無いのなら 私が居なくなったあとにどうなるか判らない事は避けたい。いっそのこと森さんと一緒に蒔いて欲しいくらいだ。それくらいの手配は出来そうなので今のうち色々調べておこうかと思う。 相続とか譲渡とかこねくり回して駆使して色々やっておこうと思う。売れないなぁ~アクセサリー。もう、殆ど売る気は無い。森さんを追いかけるときに沢山のブレスレットを森さんの前に 置いて私も手に何個か付けようと思う。持って行けるなら沢山持って行きたい。ほんとに出来るのか?全然判らない。気持ちの問題だ。

人見知り

 簡単に言うと人見知り、人間関係における障害。不適合者。わたしにピッタリの言葉だ。もりさんと一緒の時にそうだろうなぁと気付いた人は鋭い。 元々人付き合いは悪い。学生時代はとにかく目立つことが好きだったが特に々と言う事も無く人付き合いは悪い方。小学校の時の友人も長く付き合っていた 親友は白血病で亡くなり、他の友人もいつの間にか引っ越しという状況。中学、高校時代の友人、後輩とは数人と付き合いがあるが男性同士で何処かへ行く習慣も無いので 殆ど付き合いは無いに等しい。が、長く付き合いのアル数名はまあまあ私の事を理解してくれている。それだけ人付き合いが悪いぶんだけ一人と付き合うとその結びつきが異常に強い。 それが森さんとの付き合い。私の極端な部分を全て受け止めてくれた。森さんがライチゼリーが好きだと言えばあちこちで買い占めて持って行ったり、 花を飾るのが好きだと聞けば花を定期的に持って行った。何処かへ行こうと思えばすぐに電話していたり、森さんが疲れたと言えばマッサージをして、喉が渇いたと言えば飲物を持って行く状態。 自分でいつも言っているがゼロかイチしかない2進法と同じ。スイッチがONとOFFしか存在しない。そのスイッチを無制限にONにしておけるのが森さんとの付き合い。 だから今は二十数年ぶりのOFF。久し振りのOFFでどうしたらよいか判らない状態。人付き合いがOFFになったのでもう、誰とも逢いたくない。話したくない。目を合わせて話したくない。 飲食店でクレームも面倒。文句のひとつも言いたくない。出来る事なら森さんの側に行くまで誰とも逢いたくない。ちょっとだけONにするのはキツイ。人と話すときや仕事の時だけ ONにして家に帰る前にOFFにする(なる)。スイッチのONOFFは辛くてキツイ。OFFになった後も辛さが続く。ONになんてしたくない。 人と話なんてしたくない。飲食店で自分の見える範囲に人が居るのも嫌だ。良くあろうとする自分はもう居ない。だから向上心も人と旨くやろうと思うことももう嫌だ。 人と接することで自己破壊が進んでいるように思える。しかし一人で居ると何も反応が返ってこない、森さんが居ないという事実が重くのしかかる。 何をしても一切楽にならないという典型だ。どうにもならない。人付き合いが面倒だ。本来は他人の家に入るのも嫌だ。車に他人が乗るのも嫌だ。他人の家で食事なんて絶対したくない。 飲食店でも本当は嫌だ。テレビで写るまな板を見たことがあるだろうか。真っ黒なまな板、あんな物の上で食材を切っているのかと思うと絶対に食べたくない。 店によっては調理中に汗をぬぐうし頭を掻く。酷い所は靴や長靴を弄ってそのまま手を洗わない。酷い飲食店なら豚肉を弄った手でそのまま釣り銭を渡す。 人見知りと言うだけで無く潔癖症。仕方なくそれを押し殺している。面倒だとかそんなことをしている余裕も今は無い。ソファーだって森さんが安心して座れるのは 私が掃除するときに徹底的に掃除をしている所を笑いながら見ていた。綺麗になるし、座り心地も良くなるから笑っている。手触りも良くなるし、大好きだった。 そんなことひと言も言わないがチラチラ見ながら笑っているし、感謝している。森さんはそういう人だ。本当に言わなくても判っているから言わないし伝わっているのだから わざわざ言わない。だから私は年中、愛しているとだけ言っていた。人見知りの私は一人に集中する。でも、今は他に好きな人は居ないし、好きになれないと思う。 もう、誰かと付き合うのは面倒だ。話もしたくない。会うのも嫌だ。もう、親しく付き合うのは森さんだけで手一杯だ。

和食

 外食ばかりしていると和食が食べたくなる。といっても和食って何?という状態になっている。食堂チェーン店に行けばメニューの殆どはフライ物、ハンバーグ、中華ばかり。 ファミレスに行ってもそれは殆ど変わらない。和食として揃えられている物はお寿司に蕎麦、うどん。あっても刺身定食とか煮魚が1種類あれば良い方だ。 その他のお店を探そうとするとステーキ、ハンバーグ、ラーメン、フライ物屋さんなどなど……和食レストランに行っても同じような状態。きんぴらとかひじきとか、昔ながらの和食惣菜を出してくれる場所は 殆ど無いに等しい。一体和食はどうなるのかと思ってしまうくらいだ。ラーメンは和風豚骨とか魚介豚骨という為体、意味不明な和食もどき。刺身とか寿司とか高額な和食は日常的に食べることは出来ない。 そうすると自然にうどんチェーン店や牛丼チェーン店に偏ってしまう。そういう背景からうどんチェーン店はあたりだと思う。和食の端っこで安く作る事が出来る。儲けは天ぷらで稼ぐ。蕎麦だと伸びてしまうので うどんを採用。まあそういう商売を考えてうどんチェーン店が出来上がった。当然の成り行きだ。ラーメンもある意味和食かも知れない。が、麺類という括りで言えばパスタ、うどん、蕎麦、ラーメンと同じような物が続く。 飽きる。焼き肉も高いし旨くない肉を酷いタレに付けて食べるのは耐えられない。大抵タレは使わずに塩だけで食べる。でも、安い焼き肉屋は外国産で更に筋っぽい。もちろんベースの味はもう、凄い。 それならとフライ物のチェーン店に行くが前述の通り何を食べても味がわからない。おそらく取りとか牛肉とか何とか判るだけで旨味もへったくれもない。ご飯が丼の底にべったり付いていて手持ちで食べようとすると 悲惨な目に遭う。そうなると最終的には飲み屋、酒も飲まずにつまみだけ食べることになる。昼はランチで何か食べようとするがやはりフライ物が中心。どうにもならない。 どうしてこんなにフライ物が好きなのか、これではみんな太るばかりか成人病が増えるのも無理が無い。そうかと言って魚介類ばかりでは財布がもたない。飽きるわけだ。 森さんの手料理は焼きそばでも中華でも和食。鰹、出汁昆布、干し椎茸が入って居る和風。だから中華でもなんでも和食だった。しかも魚介類は築地で仕入れていたのだから旨いに決まって居る。 それに外食を加えるのだから食べられる範囲は広い。森さんが太ってしまったのは言うまでも無く私が原因だ。ラーメンはかづ屋とティーヌン、中華は陳、洋食はホテルオークラ、サイゼリヤ。 エスニックはティーヌン。野菜をたっぷり食べたい時はホテルオークラ。和食をたっぷり食べたい時は三色三寸箸。うどんが食べたいときは山本屋本店(中日ビルジング)、かのや。 色々と使い分けていた。それに加えて私は独自に食べられるラーメン二郎、天下一品、すき家、かつや、丸亀製麺。 それなら何とか食べるものがあったのだけど、森さんと行った場所には行けない。行っても食べることが出来ないと思う。もちろん聞かれて堪えたくも無いし聞かれたくも無い。 自宅近所の店に行くのだって辛い。森さんと健康のためにと歩いていない場所は殆ど無い。もちろんそんな散歩でも手を繋いで楽しく歩いていたのだから辛くないわけは無い。森さんが亡くなって3ヶ月以上、更に辛い。 森さんと食べるならそうめんだけでもあっさりしてて楽しく食べられたのだけど、今は簡単な物を食べると満足感が無い為か食べた気がしない。そうめんなんて作らないが、何をしても物足りない。食べた気がしない。 そんなことだから腹ぺこになっても何を食べるか決まらない。決めるのが面倒になるので何時もと同じ物を食べに行く。悪循環だ。仕方ないか……。和食が食べたい……。 近場でなにか探せばと思うだろうがそうも行かない。最寄り駅の周辺は森さんと歩いた。経堂や下北沢なんて歩きたくも無い。下北は特に芝居小屋が沢山あって本当に行きたくない。 そうなると遠くてもいいからなにか食べられるものを探す。そういうことになる。

最近のこと

 最近発売される商品は買う気力が減退する物ばかりだ。というか必需品では無い。冷蔵庫、掃除機、洗濯機。ラジオという主役がテレビに移り、レコードがカセット、CDなどに移ったが必需品とまでは行かない。 移動手段としては車、バイク、自転車。電動アシストだって特に必需品とまでは行かない。自転車というジャンルの中でちょっと改良が加えられただけだ。冷蔵庫だって氷が出来たりチルドやそのまま保存出来るとか 小手先の技術が加わっただけ。そう考えると最近発売されている物は大ジャンルが加わることは無く、大ジャンルの改良だったり効率が良くなったと言うだけ。そりゃ売れるわけが無い。 高圧洗浄機とかスチーム洗浄機だって別に無くても問題無い機器だ。業務用には必要と言うだけで本来は個人で持って居る必要は無い。そう考えると今の世の中面白いことは無い。 反重力とか磁力の力の延長で浮く技術が開発されるとか、ドラえもんの何処でもドアみたいな物が出てくれば話は違ってくるが、それ以外は全くの不要な技術。今の時代はある意味停滞している。 ITの世界でも同じだ。パソコンが普及したのにアップデートとか落ちるとか固まるとかが必要な状況、ちっとも簡単でも楽でも何でも無い。使うのに技術が必要だ。そんな面倒な物が便利とは片腹痛い。 コミュニケーション障害の私ですら判るSNSの気持ち悪さ、まさにコミュニケーション障害が大勢闊歩している現代。ルーレットとか抽選などと言う馬鹿げたシステムにダマされて特定の企業に 大もうけさせている人たち。そんなゲームにお金をつぎ込んで幸せなのだから簡単な世の中だ。車のメーカーやある企業が純利益増で凄い事になっていると言うがその利益はどこに消えているのか考えたことがあるのか、 社員に還元されているのか考えたことがアルのだろうか、毎年ベアとか渋い回答が出ているが売上げ、利益共に好調で増収増益だという一方で給与が上がらないというのはどういう理不尽なのか どうにも理解出来ない状況。会社を立ち上げたり会長とか役員、外部役員とか訳のわからない一握りの人たちが利益を丸ごと回収しているこの現代。何をしても馬鹿馬鹿しくなって当たり前。 なのにまだ利益が増えていくおかしな企業が多い上に、ブラック企業も減らない。残業だって表面上亡くなっても自主的に残業していたり、自宅で仕事していればおかしな残業は見えなくなるだけで 無くなることは絶対に無い。教育だってある程度の体罰や躾は必要なのに一律で否定する。家庭内での教育が出来ないので学校に押しつける。押しつけて躾けると文句を言う。まともな教育がお粉w玲手居るとは思えない。 自転車に子供を乗せている処を見れば一目瞭然だ。信号無視、逆走、無灯火など子供を乗せているのに危険行為を止めない親たち。車と接触すれば最初に大きなダメージを受けるのは子供。どんなに車が悪いと言っても 事故が起きれば後の祭り。車が悪いと言っても人間は怪我をする。もしかすると子供には致命的な怪我を負わせることになるかもしてないが、車側は車が損傷するだけで運転手に怪我をさせることはまれだ。 車も自転車も事故を起こさないことが義務であり目標でもある。しかし事故が起きてしまったときのダメージから考えれば自転車側は車よりも自分の命を守るという難しい基本概念が必要だ。 最近の自転車に乗る人たちはそこがすっぽり抜けている。親の自分だけならまだしも子供を後ろに乗せていてそんな危険行為が出来るという事は子供を大切だと思っている様には思えない。 ファミレスで廻りの迷惑を考えず子供が騒いでいるのを気にせず親同士で話しをしている人たちと同様だ。そんな人たちが躾だとか教育だとか子供を育てていると言うのだろうか? そんな親は子供を大切にしているとは全く思えない。馬鹿げた親が多い。子供の命を大切に思えない親が教育だというのか……馬鹿げている。 人混みの中を暴走する子供を乗せた自転車も同様だ。人間と接触しても吹っ飛ぶのは人間だけじゃ無い。自転車は何かにぶつかれば吹っ飛ぶ。人間よりも車よりも弱いのは自転車だ。 ハンドルに軽く当たるだけで吹っ飛ぶ自転車は危険きわまりない。そんなことも知らずに便利な自転車を交通規則も知らずに、違反している自転車は多い。免許の点数が減らないから便利だと思っているなら 自転車なんて信べきじゃ無い。自転車の無灯火、飛び出し。そんな親は子供が死んでも自分が原因とは微塵も思わないのだろう。馬鹿な親が多い。現代とはそういう物だ。森さんともよく話したなぁ。

そろそろ面倒

 こうしてPCに向かって何かをしていると何とかなるかと一応書いてきた。だけど答えが見つからなくてウロウロ。答えとか解決方法があるわけ無いのだから解消されることも 楽になることも無い。時が解決=忘れるという構図が普通の人の話だ。だが、無理な話で森さんとの思い出は膨大な量になる。従って何度も言っているとおり、全てが克明に思い出される。 例えば稽古場のエアコンを分解掃除しようとコンプレッサーまで購入して掃除する。その最中もケーブルの取り回しや片付け方などが思い出される。 ご存じの通り森さんは照明をやっていた事からケーブルの扱いには五月蠅い。私がこともなげにケーブルを扱う所をじっと見ていた。突き刺さるくらいじっと見つめていたのを今でも 思い出される。森さんは私とつきあい始めた頃は何か試していたり、確認していたように思える。その例がこの電源ケーブルなどの取り回しで、適当なことやんないか 折り曲げたりねじったり酷いことをしないか試されていた。食事をしたときもそういうことがあった。ペペロンチーノを食べたときに唐辛子を残した。そしたら「食べなさいよ」と、 その時心の中では「食べるかどうか、さあ、どうする?」と聞こえたので「何で試すの」と答えたがそれでも「食べなさいよ」というので食べた。どういう反応をするか試されたのだと思う。 そういう普通の人とは違うだろうと言う体験が色々あるのだ。ネットで相談している夫婦間の問題や文句などを見ていると殆どが実にくだらない。旦那が週一で家族を連れて行かずに 一人で寿司を食べに行くという。止めさせたい妻、もちろん掲示板上も話題になるのは「如何したいの?」「何が問題なの?」ということ。森さんと私の間ではそういう些細で どうでも良い事で諍いは皆無だった。論理が通用しないもめ事やスレ違いがほぼ、おそらく一切無かった。他人に相談することも必要性も無く、平和そのものだった。 儲かりもしないのに妻が芝居をやりたがって困っています・・・・・・まあ、笑い話程度に困っていたかも知れないが、そんな大事なことでは無い。お付き合いとか招待とかであちこち 出かけてちっとも二人の時間がとれません・・・そんなことありません。どんなに忙しくても二人が通じ合っていればどんなに忙しくても問題ありません。しかも仕事上必要であれば 仕方の無いことです。一人で遊びに行くことも必要ですし、そんなこと全く問題になりません。と、二人の間に溝とか問題とか諍いは皆無でした。だからこそ時間と共に解決なんて、おそらくあり得ません。 と、こんな事をずっとかいていても何時も同じ内容になりそうで、そろそろ面倒になって来たのでそのうち書かなくなりそうです。 何時だ? とワクワクして見ている人には申し訳ありませんが・・・。 毎日がキツイのです・・・・・アクセサリーを材料が続く限り作って居ますがやっと2個売れただけ。出来上がったのは15個。 全然売れません。作るのも面倒になって来た・・・。1個作ると設計図と販売用の写真撮影、価格設定してサイトに登録。結構面倒。設計図なんて作る必要があるのか疑問になって来た。 ・・・・・・。家庭裁判所に必要書類を送ったので来週中には受理されたら郵便物が届くはず。そしたら官報、財産整理。どうなるか?それを終わらせなければならない。

ひとつ進んだ

 家庭裁判所から確認書面が来た。ひとつ先に進んだ。後は返信するとまたひとつ進むことになる。次こそは官報出して具体的な花神なるだろう、頑張らなくては。 と言いたい所だが、毎日辛い日々が続いている。何度も言っているように森さんが居ないという事がどうにもならないので処理しきれない。なんとか布団の中で寝ても 数時間鹿眠れず、休めていない。体もだけれど精神的にはどんどん疲弊している。弾けそうというか爆発しちゃいたい感覚。まあ、人によっては女々しいとか 男らしく無いとか、森さんへの愛がそれだけ深かったとかいろいろあるだろうがそんなこととは関係無く辛い。辛いという文字を無限に書いていたいくらい辛い。 森さんっ とずっと呼びかけてしまいたいくらい辛い。と言うようにずっと何かブツブツ言い始めた。どうにもならない。 不謹慎かも知れないがやっぱり恋なんかしたくなかった、そう思う。森さんとの暮らしは最高に良かった。何にも代えがたい素敵な経験、愛があった。 が、やはり森さんが先に行ってしまった。さて、どうしよう。こんな事態は無い、という側に懸けたのに失敗だ、裏目に出た。最悪だ・・・・・・。 こういう事態に耐えきれない。耐えたくない。何もしたくない。何もされたくない。

またひとつ

 家庭裁判所から無事限定承認の受理について書類が届いた。次は10日以内の官報公告。そして相続人の先買権を行使するために鑑定人選任の申し立てをする必要がある。 どうなるかワクワクなのはその鑑定人。一体どんな人が選任されるのか?日脚連に聞いてもそんなこと聞いたことが無いと言う事例。例え選任されたとしても日脚連から頂いた、 時価総額の書面からすると「無価値」という評価をそのまま鵜呑みにすれば「ゼロ円」と言う事になる。まあそんなことは無いとしてもそんな著作権などどんな評価を出すのか 疑問だ。さて、どうなるか?そこが問題だ。鑑定人の費用が何処にも見あたらない。さて、どうなっているのか?官報はそれなりに費用がかかるが今のところ司法書士に1円も払っていないので 全く問題無い状態だ。その鑑定人が一体いくらの評価を出すかが問題だ。大体、一定額の収入があるわけでもない。というか一定額で無いものにどれだけの価値を見いだすのか全く不明だ。 不動産は時価でゼロになる事はなかなかあり得ない。また、変動するが一定の価値が確定するものである。しかし今回は著作権、となると再放送すれば少しお金が入る。放送が無ければほぼ入らない。 簡単にゼロ円近くになる物なのでどうかと思う。芝居の脚本は何処かで再演する事もあるかも知れない。これも全く可能性だけで通常はこれまたゼロ円。この著作権をもって何処かに営業でもすれば 使ってくれるかも知れないが、営業をしなくてはどこも使ってくれない。ましてや劇団依頼で書き上げた脚本を他の劇団で使うと言う事になる。そんな調整をする必要がある脚本の著作権なんて何処が買うのだろうか? しかしおもしろい。著作権は押す族の対象になるのに限定承認で聞いたことが無いと言う。やはり本人が亡くなると著作権、著作物は簡単に消えてしまうのであろうか?もったいないというか粗末な扱いというか 相続してもそのままとか放棄するのが通常だと思うともったいないと思う。積極的にこういう限定承認など有効活用が必要だと思う。もう、官報の雛形はダウンロードして大体書き上げてあるので 月曜日には官報、鑑定人の申し立て、受理証明書10通をとっておこうと思う。忙しい・・・・・・森さん、苦笑いしながら「またやってる・・・いい加減にしておきなさい・・・」といいながら喜んでいることでしょう。 その証拠にこの作業で今のところ森さんに邪魔されていない。雨は降ったけどすぐに止んで濡れなかったし、やって良いと言う事だろう。ダメならなにか引っかかるはずだ・・・。

特殊な不眠

 今日は外でお仕事をしていたことと、昨晩も3時間くらいしか寝れていないこともあり、本来は眠いはず。身体的に疲れている感覚があるので寝てみようと布団に潜る。しかし、目がぱっちりと開いている感じがする。 普段森さんが居れば森さんを優しくマッサージしていたり、抱きしめることによりすぐに眠ることが出来た。森さんが居るおかげで不眠とか寝付きが悪いことも無く、すぐに爆睡することが出来た。しかし居ない今となっては そのスイッチをOFFにしてくれる人が居ない。PCを前にして何となく瞼が重いような気がして横になるが、精神的に目がぱっちりとする。何となくすっきりしてしまう。眠れない。 そのまま横になっていても眠れないのでまたPCの前に座ってこのような更新を始めてしまう。その繰り返しを何度かしているうちにPCの前で落ちる。全く完璧な不眠とは呼べないかも知れないが 寝ようと思って寝れないのだからある種の不眠であることは確かだ。しかもそんなに疲れていても眠れる時間数が少ない。すぐに起きてしまう。だからまた昼間に落ちることもある。 森さんが居ないことは辛い。今日は森さんの携帯に留守電が残されていた。だから聞いてみると昔の生徒さんから森さんに聞きたいことがあり、電話してきたようだ。そういう事情なので一応折り返してみる。 訃報を伝えると電話の向こうではショックを隠せない息づかいが聞こえる。伝える側も辛い。森さんのそういう頼られる性格、人望。そしてそういう人をきちんとケアできずに無くしてしまった事。 森さんやそのまわりの人たち皆さんに申し訳無く思う。今日は特に眠れないのはそのためだろう。辛い。森さんと以前話した。不眠症って寝れないのだから落ち着いて横になっていれば少しは疲れが取れるよね。 だから慌てずそうすれば良いのにね、等と話していた。が、私の場合は落ち着きの無い子、なので眠れないとこうして動いてしまう。燃料が切れるまで、ぶっ倒れるまで動き続ける。だから布団の中で 目がぱっちりしている現状で横になり続けることは不可能だ。だから寝たり起きたりして何とかしのいでいる。ダカールあ寝る事までストレスを和らげることは無い。ストレスの一因になってしまっている。


森組芝居

主宰:森 治美

住所:東京都内

プロフィール