本文へスキップ

森組芝居はお芝居制作しています。

.

.

森治美の夫から・・・戯言

困った

 一人で居るのが辛い。そんなことで思い切ってゲームセンターで4時間連続でゲームをしていた。途中で何かがドンっと来た。疲れてたからか 何故だかわからないがこの現実世界から離れてしまう。それがどういうことなのか?以降の選択が何も出来ないことに恐怖感が表れた。何故か? さっぱり判らない。これが忘れるとか時間が解決すると言うことなのか?だとしたらそれも苦痛のひとつでしか無い。辛いというひと言で済まされる物では無い。 3Dプリンターを無理矢理買って無理矢理作ったアクセサリー作りの治具?を70個も作った。ブレスレットを作るために並べてみた。森さんの前に置いて 森さんに1人話しかける。何をしているのだろうと自己嫌悪。TVや映画などでよく言われている、ありきたりの台詞しか出てこない。 などと森さん風な考え方まで森さんと一緒に暮らしていた影響かそれとも元々持って居た性格が森さんと類似していたからか。 全ての思い出は森さんと繋がるし、森さん無くしてその思い出もあり得ない。森さんに触れながら思い出しては辛くなる。 森さんの元に行けるのか不安になる。しかし家で1人淋しい。誰かを求める。が、話したくない。私の心の内を話せるのは森さんとだけだから。 いや、話さなくてもわかり合える2人だから一緒に居た。森さんに触れたい。森さんに触るだけで落ち着ける。手を握ればそれだけで幸せに。 マッサージをすれば森さんの嬉しさが体中に伝わる。心の安らぎが無い。淋しい。耐えられない。今すぐにでも森さんの元に行きたい。 まだ6ヶ月しか経っていないから?もう6ヶ月。あと4ヶ月でこの家を出なければならない。おそらく耐えられない。 仕事もキツイ。何度も書いているが芸能関係。無理だ。稽古に来る劇団さん見ているだけで辛い。稽古場をモニターで見ることができるようにして、 現場に行って時間内に退室したかを確認しなくても良いので楽だがIT専門家としてはそんなこと楽勝だ。そのIT専門家の手腕を振るったことで 自宅で劇団さんの稽古風景を見る事になる。それも辛い。辛くないことがあるのか? 無いに等しい。私がこれまで生きて来れたのは森さんのおかげである。 森さんと一緒にいることで私の存在があったのだから、当然だ。森さんが私の一部なのでは無い。私の全部でも無い。私は森さんの一部だったのだ。 森さんが居ないと言うことは私も居ないと同じだ。無の私がここに居る。 映画シャッターアイランドの主人公の最期のようにロボトミー手術でもいい。どうにかならないのか? 

困った

 目標が無い。目的が無い。希望が無い。だから向上心が無い。だから情報が不要だ。ニュースもTV番組も必要ない。1人で淋しいのでTVの電源を付けてながらPCするが 本当に付けているだけで殆ど見ない。仕事で東急ハンズに行くが何を見ても面白くない。というか見る気すらおきない。芸能関係の仕事も辛いので何とかならない物か? 人と話しもしたくないのに社交辞令というか「こうしなくちゃ」というもう1人の私の力で何とか話をする。その2人の間で最近はバラバラになりそうになる。 もともと人が座った椅子、特に生暖かい椅子になんて座りたくない。人の家で掃除もしていないと思われるクッションの上に座りたくないし、洗わないスリッパも履きたくない。 それをかなりの力でぐっと抑えている。それだけでもう壊れそうになる。何度も言うようにそう言ったストレスも森さんと一緒で居ることにより乗り越えてこられた。 それくらい自分以外はダメなのだ。そう、愛した1人を除いてダメなのだ。私は両極端、両端しか持ち合わせていない。大丈夫かダメか。この2つしか選択肢が無い。 キスだってセックスだって本来は出来ない。日本人以外のハグだとかキスだとか言語道断。気持ち悪い。しかも男性同士でハグとか信じられない。お手洗いだって同じ。 公衆便所に座るなんてとても出来ない。アルコールが無いと無理に近い。車のシートはファブリーズ。家のスリッパは使い捨て。クッションやソファーは年中掃除している。 選択なんて年中しているし、汗かきの私はレノアの一番強い物を使っている。そんな軟弱な私は今、悲鳴をあげている。その私は安らぎが無いので悲鳴が止まらない。 とても消耗している。その悲鳴を押さえ込んでいる私はもう抑える限界に来ている。何もかも放り出しそうな状態だ。何に対しても投げ出しそうになって居る。 そこでもう一人の私は仕事人間。仕事を放り出すようなことが出来ない。しかしその私もかなり限界に来ている。その一例が、空腹で仕方ないが食べられない、食べるものが決まらない。 凄く眠たいのだが布団の中に入っても眠れない。外出先から家に帰ろうと思っても帰れない。などなど矛盾に満ちている。これらはほんの一部だ。出来ない事、躊躇すること、 行動が止まってしまうようなことが多すぎる。暴れたい。こうして夜中にPCを操作していても後ろのベッドには森さんの姿は無い。私に森さんが見えるのならそれだけでも 安心出来るのに。そう思うと見える人が羨ましい。死相が判る私にどうして森さんが見えないのか? 悔しい。

素人の戯れ言

 森さんといつも演劇の事を話していたわけでは無い。でも20年以上一緒に居ればそれなりの知識や色々な情報が入ってくる。 脚本家や役者、つまり演劇関連を目指しているのにシェークスピアも読んでいない。寺山修司の戯曲集も読まないし演劇も殆ど見に行かない。 どんな物かは聞いたことあるけど詳しく知らない。一体何の勉強をしているのか不明だ。IT系の仕事なら昔はC言語を知って居てアセンブラを知らなくても仕事は出来た。 でも、知って居たら初めて挑む仕事の言語が適正か、言語をまたいでの仕事など幅は拡がるし、売りにもなる。演劇関係で言えばそれ以上のことが返ってくる。 もちろんシェークスピアで言えば訳者が異なることで台詞はもっと変わってくる。そんなことも知らずに居る人も多いだろう。そんなことで演劇系の仕事がしたいとか 役者になりたいとか聞くと不思議でしょうが無い。プログラミングで食べていくのにその言語のバージョンや成り立ちを知らずに仕事しているような物だ。 最低限必要な知識も習得しないでなりたいと言っているのだから不思議でしょうが無い。私のような素人で演劇に元々興味の無い私があの演劇は好きじゃ無いとか あの役者が好きで無いとか言うのは当たり前だと思うが、目指すなら好みで無い者も全てきちんと観て何処がキライとかどうしてなのかという理由まで突き詰めてから 結論を出すべきだ。もちろんその後のリサーチも必要だ。自分自身の好みも変わるし、自分の脚本や芝居でその嫌いだった物が自分スタイルで創ることが出来るかも知れない。 キライとか出来ないと言うことは可能性を閉ざすことだ。なりたい道があるのなら突き詰める過程で幅広い見聞、知識が必要になる。特に演劇系は人間を勉強しなくてはならない。 もちろん動物やその他を必要とすることもあるだろうが・・・。脚本家は役者よりも日本語の文法、表現力、言葉や人間の感情を熟知しなくてはならない。森さんが本を2冊出したが 実はもう1冊書こうとしていた。もちろん内容は今までの本と少し変えようとしていたことは知って居る。3冊も出せば「ドラマ脚本の書き方」のレビューに書かれていたことだが どんな実用書もその本で全てが解決することはあり得ない。初心者向けの本だとか当たり前の事しか書いていないとか・・・。当たり前だ、いくら基本的なことを知って居ても 書きたいことが無ければ書けなくて当たり前だ。何作も書きためたものがあっても提案書が書けなくては何も出来ない。提案する場所も知り合いも居なければ役に立つことは無い。 主義主張があまりにも突飛すぎて何処も採用してくれないかもしれない。でも、そんなことは書籍で教えられることではない。自分自身の持って居る物や言いたいこと、テーマが 必要だ。同じような書籍が同じような内容で出版されているのは書き方について色々な角度からそれを説明しているに過ぎない。色々な角度から説明することによって 人それぞれの理解の方法に沿った本を見つけることが出来れば書きやすくなることは確かだ。それぞれに掛けている部分、詳細に説明している部分を重ねて行き、自分自身のモノにする。 書きながら何度も読む。読みながら書くこと。それが必要なのだ。役者だって脚本家の情報、知識を得る必要がある。脚本に記載されているキャラクター、そしてそれらの関係だけで無く 脚本のテーマ、脚本家の言いたいこと、それらを理解する必要がある。最も難しいのは伏線である。この台詞はどうしてこういう言い方なのか?こんな事を言う必要があるのか? ここで言った台詞は跡でどのように意味が出てくるのかを考える。そうやって考えると台本に記載されている「てにおは」ひとつ取っても間違えるわけには行かない。 「~なのに」 を 「~なのね」 と言ってしまえばおかしな事になる。細かくは説明しないがそういうことだ。そういう括りで言えば脚本家は無からドラマを創り設計図を作る、役者はその設計図を正確に構築し、 内装を仕上げて家具も入れる。そして照明、衣裳、その他のスタッフと一丸になって生活全てを作り上げる。だから1人としてお芝居関連の情報や人間について知識が必要なのだ。 だからシェークスピアや寺山修司を読んでいないとか聞くと「本気か?」と首を傾げてしまう。  森さんはある役者さんと仕事したときに「一文字も間違えずに台詞を言ってくれる」と喜んでいた。本当に台本通り正確だったことと脚本を大事にしていたと言うことが喜ばしかったのだろう、 私に説明してくれた。それほど台本は脚本家が大切に作ったモノだと言う事だ。だからこそ本を書くと言う事は大変なのだ。そういう覚悟、技量を身につけて欲しい。 台本の中には1文字も不要な文字は無いのである。不要に思えても着替えや出入り、音響や照明、様々な事を考慮の上、作られた言葉なのだ。時間稼ぎに書かれていたとしても 大切な言葉がそこに込められている。1文字が大切なのだから1行、台詞丸ごと切り捨てればおかしくなって当然だ。バランスが崩れるからこそ演出家は台詞を変更するときに脚本家に許可を得る。 演出家が許可も得ずに直すと脚本家はチラシやその他から名前を消してくれとか脚本の使用許可を引っ込める一大事になる事もある。それほど脚本家が考えた台詞は大切なものであると考えて欲しい。 もちろん照明、音響、舞台監督、美術、全員に言えることだ。全員早くから台本が必要になる。他の公演の仕事をしながらも家で読んだりする。読んで読み込んで何処で如何するか、 判らない所は打合せの時に十分理解する。1人でも理解出来なければ足並みが揃わず、脚本家が考えた芝居とは全く異なるモノが出来てしまう。それが製作側の意図であれば仕方ないが、 脚本家としては面白くない。そういうこともあると、脚本家志望は覚悟するべきだ。もちろん脚本家のテーマは変えてはいけない(はずだ)・・・ ・・・もちろんそんなことは考えていない人も居るだろうが・・・少なくとも森さんはそうやって書いていた。 森さんの蔵書を見ると凄い。様々な戯曲集、寺山修司、シェークスピア。学生時代はシェークスピア全部憶えていたという。凄い。その他演劇関連の書籍は凄い量だ。歌舞伎の本や その他多岐にわたる。脚本家に成り立ての頃は書くにしてもかなり苦労していた。しかし、最近は苦労しながらも私と遭った頃とはペースがまるで異なって居た。 悩む部分についても違ってきたと思う。知識も必要だが経験もひつようというところだろうか、役者さんの声質、芝居の雰囲気、顔立ち、役柄そして照明、着替え、出入り、 そして各役者さんの見せ場、考える部分は本当に多い。どんなにストーリーやテーマが良くても出入り不可能だったり衣裳が足りないとかそういう制約もある。 そういう条件もしっかり考えて書くのが脚本なのだから読んでいないとか見たこと無いというのは恥だと言うくらいに考えて欲しいと思う。  一般論では無いと思うがTVで見かけたり芝居の一部を見ると最近、怒鳴る芝居が多い。お笑い系の芝居やハヤリの芝居、そういう芝居をよく見かける。 好みの問題になりそうだが感情を大袈裟に身振り手振りで表現する。なんだか私でも出来そうな気がしてくる。大きな声で笑うと笑っている表現だと判る。泣いているときは「え~ん」と言えばいい。 そんなに見ている人はバカか?と思ってしまうほどわかりやすいお芝居。もちろんもっと渋い芝居はあるのだろうが、どうして微妙な芝居が少ないのか? TVを見ている人もそこまでバカでは無い筈なのに何故そんな芝居を目にすることが多くなったのか?もちろん森さんと見に行った芝居はもっと渋い芝居が多かった。 とても不思議だ。  素人の私が言う事だ。「バカにしている!」と怒る人も居るだう。でも、一瞬でもいい、「まだ勉強が足りないか?」と思ってもらえればそれで良い。

森さんと私

 もともと森さんと私は男女の関係ではなかった。最初森さんが自動車教習所で揉めてて困って居たところ、たまたま車で通っていた私が送った。それだけだ。 そしたら義理堅く森さんは食事をおごってくれた。そんな義理堅い人だったので私はいつでも言って下さいと、そしてお互いに色々話をしながら近づいた。それだけ。 近づく過程で森さんに何度も試された。それに難なく合格してしまってお互い気付いたら男女の仲になって居た。まさかお互いに結婚するような関係になるとは思っていなかった。 森さんは私が森さんに近づくのを不思議がっていたが、それは私に取って当たり前の事だった。何かに誘ってもうやむやなことは一度も無かった。社交辞令も置いておこうと言うことが 無かった。それは森さんの性格ということもあるがその他に私に惹かれていたこともあったと思う。私が惹かれていったように。 森さんが役者をどうしようと困っていたときに私が参加した演劇。そう、私は森さんの本で芝居をしたことがある。しかもあの、じゃんじゃんでだ。今は無きあの小屋でどうしてそんなことをしたのか? それも森さんだからだろう。私のそれまでの仕事からしたらそんなことは絶対にあり得ない状況だったのだから、あり得ない展開だった。森さんも糞忙しい私のスケジュールの合間を縫って 出演した、そのことももちろん森さんのテストに合格した一因だろう。そんなテストはずっと続いていた。或る時、映画をビデオで観た。終わったときにもう一度見ようといったあの映画。 予告編で私が森さんに「これ、観たいでしょう?」と映画館で観てみると2人ともばっちり好きだった「英国王のスピーチ」。森さんは自分の好みが判っていること、私までがそれを好きだと言ったことが 嬉しそうだった。もう、森さんの好みが判るだけで無く、私も森さんの好みに一部分入り込んでいた。森さんは私との会話、行動、全てが好きだった。してくれること、する事、話すこと。 もちろん私もだ。私は森さんが居てくれるだけでよかった。もし、森さんが誰か他の男性の所に行ったとしても、尽くすと言っていた。それくらい森さんの側に居たかった。 何故かは知らないが森さんの腕を掴むだけでも髪を触るだけでも。何故か気持ちよかった。だから森さんが最も喜ぶマッサージを続けた。かかとも綺麗にした。一時顔のお手入れもした。 スムージーもパスタももんじゃ焼きも作った。料理をやったことが無かった私は森さんの好みの料理を作り続けた。森さんが食べられなかった料理は殆ど無い。それどころかまた作って欲しいと言うくらいだ。 森さんと私は、お互いして欲しいことが一致した。お互い思いやりがあった。お互い誠実だった。だから気付いたら一緒に暮らして、結婚した。たまたま年齢が20歳違って居て、仕事も全く違って居た。 それだけだ。仲が良いから一緒に居ただけだ。お互い心安まるパートナーだった。森さん、私が先に死んでいたらどうなっていただろうか?森さんには沢山いい人が居るから誰か助けてくれただろうか・・・。 私が先に死ぬと森さんも想っていたのに・・・私が先に死んだら他の男に乗り換えるね、と言っていた森さん・・・。死ぬまでの時間が手首に表示される映画があった。そんなこと画出来たら・・・。 ゾンビでも良いのか? 生き返らせることは出来ない。クローンも記憶を持ち合わせていない。何も出来ない。死に対して人間は無力だ。何かの言葉かも知れない。 久し振りに森さんの夢を見た。ちょっと書けない内容だったが最期に淋しそうな顔をしていた。毎回そうだ。当然だろう。私の心が反映された映像なら当然だが、森さんの霊だとしても当然だろう。 今回は煙草を要求したりしていない。次はどんな夢だろうか?

中途半端な私に

 私は友人が少ない。そして女性の友達が居ない。人との交流が苦手だからだけで無く、誤解されやすいのである。森さんと一緒に暮らせるくらいだから悪いヤツでは無いと思って良いはずだ。 だが、言い方、発言、発送が突飛すぎて誰も付いて来れない。そう、森さんを除いて。だから森さんとの関係が全てだった。何度も言うように母親であり親友でありライバルでもある。人間関係の 全てが私達二人の間にあった。私はそれが全てだったのだから今はひとりぼっち。人を頼ることも出来ないし、その方法も知らない。元々人に頼ることがキライだし、借りを作るのもダメだ。 人間関係恐怖症でもある。社交辞令は言えないし愛想も無い。おべんちゃらとかおだてることも出来ない。ストレートに思ったことをたまに言うと誤解されるしストレートすぎて嫌われる。 ありがちなエラーだ。物事を論理的に考えて言うのに何故か直感で進んでいるように見える。森さんは何故そうなのか、本当は何が言いたいのかを察してくれた。私の本質を理解し、優しく包んでくれた。 森さんはそういう人だ。私はと言うと森さんが他の人を好きでも、誰かを好きだったとしても、私はそんな森さんを好きになったのだから、森さんは他の人を好きなままで良い、そう言っていた私が 好きだった様だ。この考え方は学生の頃読んだ漫画にも書いてあり、私はその台詞を読んだときに自分もそうだと思った記憶がある。誰かに片思いでも、思い人が居ても叶わぬ恋なら、いっそ 側に居てくれる人が良い。ましてやその側に居る人がとても良い人で・・・。いま、森さんの手帳を読み返すと二人とも同じような境遇で落ち込んでいたときに出会った。 どうしてこんなに同じような二人が出会ったのか?まさに奇跡的な出会いだったとしか言えない。森さんは私の馬鹿げた横恋慕を観ている。だから今の私の心境は痛いほどわかる筈。そしてそれを一番に 心配していたことだろう。だからこそか、お互い希望を持ちながら、病気と闘った。死んだ時のことなど一切話さずに。それもひとつの別れ方だ。それを選んだのは二人だ。何も話さず、何も示し合わせず、 離ればなれになった。「愛してる」という言葉だけを遺して・・・。しかし、残念な事に森さんは私に課題を残してしまった。寂しさの余り思わず遺した課題。

最近のお芝居について

 たまたま見かけた記事に書いてあった。辛口コメントのある方がいみじくもおっしゃっていた。「大声でセリフを叫ぶことが、気持ちのこもった演技だと勘違い」 「とにかく芝居が大げさで「わたし、いま演技してまぁす!」と顔に書いてある」素人の私でも感じているのだから本職の人たちが感じていないわけが無いと思う。 でも、そういう演技を要求するのは見ている人たちかも知れない。が、もっと最悪なのはプロデューサーやディレクター、監督達だと思う。そういう演技にOKを出す。または、要求すること。 誰が原因なのかがかなりの問題。跡は予算の問題だと思う。NGにして何回も取り直せば時間がかかりひようがかあかる。だから最初からタイトなスケジュールを組んでの撮影。ランスルーだって 短いだろう。それに役者さんだってNGにされにくそうな演技に偏るかも知れない。森さんのような大騒ぎのイベントと言うほどの事も無く、人も死なないドラマなんて面白くないと 思うこと自体が問題。全てのドラマに目新しいモノを求めすぎ。スタンダードなストーリーでもテーマがしっかりして人間のドラマ、葛藤がしっかり出来ていれば「良い」作品が出来る筈。 アニメだってガンダムや銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマトなどは数々のドラマ、テーマが盛り込まれている。人間についてしっかりと描かれているからこそ人気があるのだ。 そういうしっかりした柱があって初めて目新しいとか変化が利いてくる。柱が薄ってペラだと最初は食いつくが次第に落ち込んでいくと言う事になる。まあ、私のような素人が 言わなくてもプロの皆さんはよくご存じの筈だ。私と森さんの間ではこんな会話を善くしていたし、内情は聞いている。やっかいな素人だと思ってくれると助かる。 だからこそ、森さんとは20年以上一緒に過ごして来れたのだ。芝居に付いての好き嫌いはあるが、しっかりした物の見方が森さんには好まれた。

ダマされないようにする努力はもう嫌だ

 リクルート系の会社からこんなメールが来る。「あなたに福袋が福袋が届いていています」メール本文を見ると通常価格の半額で購入出来ると書いてある。 半額で購入しなくてはいけない福袋が届いている。自分の手元に何も届いていない、しかも買わなくてはならない物を「届いている」と言うのか? そんなおかしなメールがまかり通るから本当の迷惑メールが悪化の一途を辿る。正しくあるべきのメールが迷惑メールと同様なメールを配信している。 馬鹿馬鹿しい。通販番組も「これで最期です」と言いながらいつまで同じセールが続くのか?そして終わったのかと思うと型番が異なる製品で同じようなセールが始まる。 灰色の商売が巷に横行している。味に拘った商品が実は校了やアミノ酸などの添加物で製造されて売られている。同じ様な事があちこちで行われる。 とにかく安心して生きられない状態。誠意や真心で接しようとするとダマされるようなとても危ない世界。疲れた。IT系の考え方でインターネットを見ていると本当に危険だ。 とても面倒な世の中だと思う。森さんが早く死んじゃいたいと言っていた要因はそこにもある。

面倒な山場のひとつ

 家庭裁判所に書類を作って持って行った。裁判官も困る事案。法律には記載されているけどそんなことする人が殆ど居ないから事例も少ない。今回それで瞑想した。弁護士さんも 司法書士も経験が無いこと。だから自分で書くことになった、評価者選任の依頼。前にも書いたがそんな著作権の評価をする人が居ない。だから如何する?こうする?という書類を書いた。 もっと詳しい書類を書こうかとも思ったが見る方も面倒だろうから簡潔にして置いてみた。例が無いからこの程度で良いだろうとやってみた。さて、どうなるか?ほんとに誰かに選任されると 費用がかかる。かかると面倒。また、それが法外な値段だとどうなるやら・・・。まあ、殆ど無価値なのにそれを評価する人に支払う報酬額が高いと「どういうこと?」となるだろう。 じゃあ、これがヒット作だったらどうなるのか?面倒だ。森さんはこういう著作物も勝手にして良いらしいので本当はほったらかして良いのだろうけど・・・まあ、森さんは「良きに計らうだろう」 という期待もあるから、その期待に添わなくてはならない。ああ、面倒。仕方ない。森さんはそうやって何でもしてもらうのが好きなのだから。横で「よしよし」と思っていたり、言ったりしながら 心の中で思い切り喜んでいる。何故私に対してそんなに感情を隠すのか?まあ、隠すと言っても凄く喜んでいることは溢れているので別に気にすることも無いが。 来週くらい、長くても再来週には何らかの回答が出ると思う。まあ、どうなるかは担当の裁判官の判断になるので楽しみと言えば楽しみだ。まあ、森さんの著作物の行き場所は決まって居るので そちらは問題ない。私の保険の受取人も決まったし。さて、あとはもう一つ最大に面倒な物が残っている。さて、どうしようか?

ヒマだ

 誤解を生みそうだが「ヒマ」だ。仕事もあるがかなりペースが落ちている。水みたいに薄い。以前は原油くらい濃かった。もちろん森さんと一緒だからだ。サラリーマンの時でも仕事から返って車で 迎えに行ったり、車で会社近くや森さんの仕事場近くに車を駐めて会社へ行って帰りがけに森さんを拾う。送迎もかなりのペースで行っていた。もちろん迎えに行っても押してて1時間くらい待つことは いつもあった。自宅にいても食事や掃除、お茶やお茶請けを出したり。森さんの気分転換と称してドライブ。もちろん旅行や日常的なリサーチも。そして森さんの仕事の資料作り、アドバイス。森さんとのお芝居興行では サイト作りや製作、制作、その他雑用ももちろん行っていた。劇場周辺へのチラシ配りや折込の手配など様々な作業を行っていたのだから当然濃くて当たり前。これだだ毛では無いが、このあたりが「私は森さんの一部」という所以だ。 それだけ濃かったのだから今は限りなく「ヒマ」ということ。家に一人で森さんを探して彷徨うことになる。家で一人、空腹で食事を如何するか考える。混んでいるだろうから、アレは食べたくない、アレは昨日食べた、アレは高い。 原因は一人だ食べたくないとか美味しくないとかそんなことだが、もちろん森さんが居なければ面白くないことは言うまでもない。「森さが居ないぃ~(T-T)」と泣いていると、まるで子供が駄々をこねている用にしか聞こえないだろうが 「私の愛した彼女は居ない」見たいに書けば少しグレードが上がるのか?文字は悪魔だ、と思うなど更に自己嫌悪。森さんにかなり感化されているなと思う。あぁ~面倒だ。自分の中に森さん(の考え方)が居る。 まあ、お互いに考え方が交差するのは当たり前。というかそういう交差があったからこそ二人は夫婦円満だったのだ。それが無ければお互いに異星人ということで結婚どころか一緒に付き合うことも無かったはずだ。 結婚に至るにはいろいろな要素が必要だ。森さんは以前の結婚でスピード結婚をしている。だが、今回はかなりの期間を掛けて一緒になっている。お互いに珍しく慎重に結婚したのだ。「20歳の年の差」「仕事」など 考える要素が多かったから一応悩んだ。私の場合悩んだと言うより熟考した。結婚しろと誰かの細工か引っ越す必要が出来たのでその機会に結婚することにした。結婚届を森さんに渡したのは誕生日だが後押ししたのは 引っ越しだ。森さんとの全ては濃い。私の作る料理も濃い。小学生の時に、たまたま親しい友人が全員遊べないとき、自宅でうだうだしているとイライラしていた。両親も何処かへいくと言うことが出来ず、 遊べず困っていたことを憶えている。同じような物だろうか、今はそれより酷い状態だ。ゲームで気を紛らわせても車まで行くと帰れない。食事はどうしようかとそのまま時間が過ぎる。なんとか新規開拓するが そのドライブ中辛くなる。好きだったドライブがもう、面白くない。食事を済ませてまた帰れない。何とか帰る。外に出て家に帰ると午前1時頃。家に帰って仕事。3時とか4時とか5時に就寝。8時とか9時とかに起きて 仕事。仕事していても薄い。それらを総称してヒマだ。

趣味とか?

 趣味はPC弄り、写真撮影、ドライブ、機械弄り水泳、手品など様々なものがある。だけどそれらは表向きの趣味。実際は森さんの喜ぶことをする。森さんを驚かせ、笑わして喜ばす。それが本と運の趣味。 目標とか夢とかはと聞かれたら森さんのしたいことを補助して森さんを有名というか、森さんを盛り上げるのが目標。つまり夢は潰えたということだ。そんな現状で私の再スタートは不可能と言う事だ。 森さんが居なければ何も出来ない。趣味なんて何の意味ももたない。写真だって暑中見舞い、残暑見舞いなど森さんの絵はがきに使う為に撮っていたのだからもう、写真という趣味は意味を成さない。 心の隙間だけで無く、習慣や食事、趣味などあらゆる物が無用になったりしている。困った習慣まである。家の掃除。私が分担していた部分に加えて森さんの習慣分までヤル羽目になっている。 小まめな掃除をしながら片付ける。森さんと私はそれ故、人の家に入るとか寝泊まりするとか余り好きでは無かった。特に私は人の家に入りたくない。我が家ほど綺麗な家は殆ど無いと言えるからだ。 1999年から今まで我が家は床を大掃除していた。床をまず掃除機で掃除、水拭きしてからメラミンスポンジで掃除。再度水拭きしてから拭き。こびりついた汚れがあればヤスリやヘラでこそぎ取る。 サンドペーパーや大きな凹みも修復してようやくワックスがけ。ワックスも2回ほどかける。日常、シミなどを見つければ水拭きをする。森さんがクイックルワイパーで掃除、私が掃除機で掃除。 そうやって掃除している。お手洗いも大がかりな掃除は私、日常が森さん。気付いたときは私。その他森さんが掃除できないような掃除は私がやっていた。二人ともきれい好きだ。 誰もが20年以上経っている家とは思えないと言う。それくらい綺麗だ。私の方が本来はきれい好きというか潔癖症。でも精神力で抑えてやらないようにしているし、汚いと思うことでも仕方なく行っている。 だから日常で普通の事でもストレスが大きい。森さんが居ないと言うことは普通の人には理解出来ない範囲の影響が出ている。もう、生きる行為自体が辛い。生活出来ない。食事さえも辛い。 森さんを抱きしめることも出来ない。森さんの自毛ヘアウィッグがあって良かった。遺骨もまだ家にあって良かった。無かったら大変だった。今、仕事やPC弄りは現実逃避。ゲームやドライブも。 買い物へ行っても辛い。こんなに何もかもが辛いとどうにもならない。

理屈だけでは割り切れない・・こと・・・

 イジメられてそういう結果になった人、何らかの理由でそういうことになった人。精神的に弱いならそういう結果もやむなしと思う。しかし不幸なのは解決できる道もあるはずなのにそこへ導くことができなかった事。 両親や兄弟が気付かずにそんなことになったこと。そんな状況なら仕方なかったかも知れないと・・・。その立場に自分自身がたってしまった。しかも出口は無い。無理だ。 借金は自分たちの行いが悪いからそうなった。自業自得だ。誰かに救いの手を求めるなんて虫が良すぎるし、そんな大金を出すような人は居ない。もちろんそんな馬鹿げたことを頼んだりもしないし出来ない。 最大の問題点は死との受け入れ方、受け入れ方という言葉は便利だが、無責任でもある。森さんが居ないことで何も出来ない。仕事も手に付かない。精神に鞭打って仕事をしている。 一見すると何とも無いようだが重傷だ。もちろん治らない。これも死と同じ事だ。みんなそんな立場に立ってみなければ判らない事がある。だからそういうことをしたと言って批難などしてはいけない。 そんな窮地や寂しさに出会ったら判る事だ。そんな状況になったことが無い人は幸せだと思う。それは理屈っぽい私でも解る。森さんが末期癌だと解ったときからずっと辛かった。 森さんが死んだらどんな状態になるか・・・思ったよりもキツイし悪い状態だ。まあ、その状況は想定内。おかしな事を言っているか?まあ、頭がおかしくなった人の言うことだから気にしないで欲しい。 文章力が無いし言葉も知らない。表現出来るわけが無い。目眩がするし、倒れそうだし、食欲がおかしくて睡眠障害。で凄く落ち込んでさっさと森さんを追いかけたくなるけどなんとか精神力で踏みとどまっているけど その精神力も何時までもONが続いているのでいつまで持つか解らない。暴れたり叫んだりしそうだけどそれも何とか押さえ込んでいる。哀しいけどその他の感情が入り交じって爆発しそう。 もう、ダメ。いっそ壊れてしまいたい。こういうときに薬物に手出しをする人が居るのだと痛感する。芸能人などでもストレスフルな仕事をしているとそうやって逃げるのも当たり前だと思う。 これでお酒が飲めたら一発でアル中まっしぐらだろうとも思う。辛い。

森さんと話したい

 森さんと話せるならイタコにお願いしたいくらいだ。ただ、霊は信じるがイタコはなかなか信じられない。だから質問も考えてある。2~3個くらい質問すれば答えは出る。だから真偽の確認は簡単だ。 森さんと私しか知らないことが沢山ある。その質問をすれば偽物かどうか確実に判断出来る。だから話をしたい。

やる気が無い

 とことんやる気が無い。空腹でも食べに行く気が無い、何かやり残したことが無いか探そうと思ってもやる気が無い。ヤル気が無いと言うのはとことん無い。 でも、何となく仕事している。まあ、PCの前でキーボードを叩くのだから呼吸するのと同じように作業は出来る。だけどヤル気をあちこちから集めてなんとかギリギリやっている。 宿題を最期までやらない小学生みたいな状態。どうせなら放り出して怒られたいくらいだ。ぼーっとしてたりイライラしてたり勝手に暴発しそうになる。森さんの所に行く前にやりたいことも見つからないし、 探す気にもならない。3Dプリンタももう、電源を入れていない。さて、どうしようか?何する?早く森さんの著作権、けりが付くと良いなぁ・・・。

解らなくなってきた

 最近眠いとかそういう類の感覚がわからなくなってきた。アドレナリンが出っぱなしなのか、他のホルモンのおかげなのかは解らないが、これが眠気か? と考えないと解らなくなってきた。何となく何時も瞼が重いというか動きが鈍い。目の奥が重たい。あくびもでるが、たいしたこともない。がっちり目が覚めた感覚なのに体が眠いと言っているようだ。 文化的活動にも限界が来ている。テレビのお芝居もお笑いも映画も面白くない、と言うよりもっと悪い状態。現状でも実感というかおかしな感覚になって居るのに全てに関心が無いので何も面白くない。 本当にやりたいことがないっ!

最近食べられないもの

 森さんと一緒の時は添加物が入って居ても食べられた。もちろん添加物が入って居る食品は大抵変な味がする。美味しくない。そういうことで出来るだけ食べないようにしていた。 でも、一人でちょっと食べるときとかたまに食べたりしていた。でも、今は殆ど食べられない。と言うのも森さんの手料理が無いからだ。森さんの作る手料理は添加剤なんて殆ど無いから 旨い。もちろん出汁や素材にも入って居ないので当然旨いし素朴な味だ。だからその合間に変な物をちょっと食べるのは出来た。だが今は殆どどんな物になってしまうので不味くて食べられない。 生味噌タイプのインスタント味噌汁を買ってみたが酷い。アミノ酸や甘味料など何故そんな物が必要なのか解らない程添加されている。一人で食べるのにいちいち出汁から作るわけには行かない。 外食になるけどチェーン店は添加物を大量に使っている材料で出来ている。もう、食べるものがない・・・、だから更に食欲はあるのに食べるものが決まらないのだ。 もう、いい。まぁ~面倒だ。早く著作権の話、進まないだろうか?月曜には裁判官の手に渡ったと思うが今日も郵便物は届かなかった。さて、何時届くのだろうか? 早く進めて早く終わらせたい・・・。一瞬森さんの所へ行くのが怖くなったが今は完全復活。森さんの存在が大きすぎたのだろうか?変な例えだが、20年間泥棒一本でやって来た人が 泥棒出来なくなったらこんな感じだろうと言う事。つまり泥棒すれば何でも手に入ると想う事が常識になって居る人が泥棒を止められるかと言うこと。20年もやってきた考え方、仕草、行動が 変えられるかどうか?変わるわけは無い。そういうこと。今の私は森さんの事しか考えられなくなっている。森さんの為に働き、森さんの笑顔のために全てを行ってきた。森さんの喜ぶことだけが 私の最大の喜び。そんな人間がどうなるか?想像の通りだ。それだけ一生懸命森さんと暮らしてきた20数年間。役20年間森さん問いっしょだった。森さんしか「絶対に」私の事を理解出来る人は居ない。 お互いに理解出来て、お互いに許し合えて、お互いに信頼し合って。こんな関係は二度と築けない。他の人と築くつもりも無い。著作権の話が終われば全てを終わらせることが出来る。あと少しだ。頑張ろう。 就活もそろそろ面倒になって来たのだから早く終わらせたい。

そういうことか・・・

 以前から森さんが仕事や何かで出かけているとき、二人とも別々に食事と言う事があった。その時にもなかなか何処で如何するか決まらない傾向があった。 なるほど、何時もは森さん主導で決めていたので自分で考える能力が無くなって居た。もちろん森さんが食べるものを考えることはあった。そろそろあそこで食べる?と聞いたり、 ××作る?と森さんの為にあれこれ考えていた。しかし自分だけの事になると全く考えられなかった。今、一人になると全く考えられないことに気付かされた。無理。一人で食事も決められない。 森さん、知ってた?それほど情けない状態です。まあ、森さん、きっと私の後ろで見ていることでしょう。まったく・・・と言いながら半笑いしながら泣いていることでしょう。 森さん、見守らなくて良いから早く連れて行って下さい。お願いします。

森さんは武士

 森さんが誰かに言われたことがあるらしい。武士みたいって言われた。そう言っていた。確かにそうだ。私に遺言を遺さず、葬式も不要だという。遺骨は海に蒔いてくれと言う。 死ぬ間際まで泣き言を言わず、私に文句もイヤミも言わず、あたることも無く逝ってしまった。そんな人聞いたこと無い。あなたがいてなんで解らなかったの?とか治療法を探してきなさい!と言われても おかしくないのにそんなことも言わない。まあ、私がそんなこと調べていないことは無い、と思っているのだろう。それに二人とも末期癌に対して有効な手立てが無い事を痛感してしまっていると言う暗黙の了解があったことも確かだ。 そういうことを総合すると今更私も森さんの事を武士だと思う。昔なら私も即座に切腹していただろう。しかし、森さんの遺した芝居を完遂しなくてはならなかった。そして森さんの遺した作品を守ること。 最低限それだけは何とかしようと思う。私は何も残せないが出来る事はひとつ。森さんの作品だけは後世に残したい。何時までも。だから頑張って踏みとどまっている。今、私が踏みとどまる理由はそれだけだ。 森さんのお母様はなんとか暮らせる状態になった。だから森さんの遺産だけだ。それが終われば何も無い。森さんは私にどうして欲しいとか如何しろとも言わなかった。だから、私は森さんの元へ逝く予定だ。 森さんという武士に使える身としてはすぐにでも森さんの元へ参じなくてはならないが、今はまだその時では無い。頑張らなくては・・・。

ひとつ進んだ

 こういうことは出来れば近親者に頼もうと思っていたが、ある意味超常識的な反応か私の最終目標が解ってか、受け入れてもらえない事態に。仕方ないので近親者以外で頼めるのは森さんの古くからの友人。 私とは縁もゆかりも無いのだが、森さんの最も近しい親友で私とも多少交流があり、私を誤解せず見守っていて下さるありがたい存在。私に何かあったときは森さんの遺骨共々海に散骨して下さるということに。 私と母の事についても森さんから聞いているので理解して下さって居る。森さんがあんな言い方するのはあんまり無いよね、と言う具合。すんなり理解して頂けた。森さんと私の関係もかなり深い所まで理解して下さって居る。 良かった。やはり古くからの友人というのは持つべきだ。その他大勢みたいな友人を沢山抱えるよりも1人大親友が居ればそれで良い。私も数人だけ居るが家族も居るし、なかなか頼みにくい。 おかげでまた一歩進むことが出来た。頼むと何を言われるかとドキドキしたが、案ずるより産むが易し。  その場のお話では森さん、親友には色々話していたようだ。私の事を感謝していたという。私の前ではそんなこと、ひと言も言わない。言わない代わりに森さんは行動で示していたし、 言葉が無くてもニコニコしている。しかも喜びがオーラとなって出てくるのだから後ろを向いていても解る。私がする事に森さんは喜ばないと言う事は無い。私の愛をその大きな器で全て受け止めてくれた人だ。 そんな器を持って居る女性なんてその辺に居るわけが無い。だからこそ更にフル稼働で愛した。私の愛をフル稼働で表現していた。だから今は空っぽ。私の中は森さんへの愛で満たされていたのだから、今は何も無い。 森さんも私も武士だ。

森さんと私

 もちろん私達だって順風満帆だったわけでは無い。と言っても初期の頃だけ。当然お友達?と言う関係から男女の関係に、そして結婚するまではお互いの気持ちや自分自身の理解が足りずに何?どういうこと?という 状態があった。当然のこと。どうしてお互いに惹かれ合っているのか?どうして一緒に居ると安らぐのか?森さんにしても私にしても理解出来ないこと。森さんはだから試した。臨時収入があったときに私がプレゼントするね、 と言ったとき、「買ってこれるもんなら買ってこい」と言わんばかりに私を試した。私はこともなげに買ってきてプレゼント。すると本当に買ってくるのか疑いながら待っていた森さんは「本当に買ってきたぞ?」となり、 関係が進んだ。だから森さんに私がずばり「ミイラ取りがミイラになったね」というと「五月蠅い」とちょっと怒る。怒るというかまあ、何というか・・・。こんな感じに森さんは沢山私に対して課題を課した。 その結果が全て森さんにとって良い方向、若干予想していたが本当にそうなると思ってなかった事態に戸惑いながら喜んでいた。だからその分だけ二人の関係が深まっていった。まあ、森さんの自爆と言うことか・・・。 森さんが私を試すほどに深まる関係。そしてその課題をいとも簡単にクリアーしていく私。そして森さんと私は離れられない関係になった。信頼関係は誰よりも強い。お互い言わなくても判る事が多いが、言えば すぐに何でも実行した。だから二人で何かをすればすぐに動かせた。お互いに啓発し合い様々な事が出来た。私は森さんの仕事をIT系から支え、料理をはじめ家事も支えた。森さんは料理や家事、本当に私を支えてくれた。 一般的な言い方をすれば旦那さんは自分の時間を惜しまずに森さんの為に何でもやっていた。となる所だが、(森さんの為に)する事は全て私の時間でもある。特に自分の時間という括りさえも無用だった。 森さんを愛すると言う事は自分を犠牲にする事でもないし、自分の時間を削ってでもする事もない。自分の愛した人の為にする事がそんな馬鹿げた事なら愛せない。自分の時間を削ってまでする事では無い。 愛している人が欲すること、喜ぶことをするのが何かを犠牲にしてやることでは無い。私の愛はそういう愛だ。愛とはそういう物だと思う。森さんはなかなかその域に到達できなかったが、死の直前理解したのだろう。 私に愛していると言ってくれた。愛しているのだからその人の芝居公演を無事に終わらせることは当然だ。だからといって料理やデザート、漬け物や様々な物を作ったり、そういうことをおろそかにして良いわけではない。 それら全てをこなしてこそ、愛していると言える。そう思ったからこそ頑張れたのだ。そんな私だからこそ、森さんは愛していると言ってくれた。私の唯一、胸を張れるのは森さんを独り占めに出来た事だ。 でも、それだけに死なせてしまったことに悔しさというか何とも言えない感覚が私を襲う。私は芸能関係でも何でも無いのに最愛の人を冷たい安置所に置きっ放しで公演を行う。それがどれだけきつかったか 誰も想像出来ないだろう。見に来た森さんの関係者全員に嘘をつき続けた代償が今の私に降りかかっている。稽古中のこと、公演の事、森さんの死。そして後処理のこと。全てが私を傷つける。 それほどデリケートなのだ。チキンなのだ。森さんが居なければ何も出来ないオタクだ。森さんのあとを追うしか出来ない。

置いて行かれる

 仕事である劇場で物販をする。電車に乗れないので車で行くと駐車場が無い。全部満車。何故?上限金額が無い駐車場や貞観金額が4000円、3500円。あり得ないくらい高いのに 満車ばかり。何処を探しても満車。仕方なく川向こうの遠い所を探すと上限1500円。しかしその劇場まで20分歩く羽目に。仕事が一段落してから周辺を散策。すると理由がわかってきた。 ちょっと広い土地を持って居た人が売ったか自分でビル化。すると巨大施設でも無く、高層ビルでも無いので駐車場の無いビルを建てる。1Fはテナントを入れる為に駐車場は作らない。 あちこちでそういう小開発が進む。当然駐車場は無くなる。ビルが建てられない小さな面積で小さな駐車場が出来上がる。何処にも駐車場が無いので相場としては高くなる。小さな駐車場ばかりで 立体駐車場も無い。一昔前の六本木のような状況になる。再開発も足並みを揃えず適当にビル化したツケがそんな所にやってくる。なんと馬鹿馬鹿しい話か・・・かえって車が必要な会社からは敬遠されてしまう。 そんな些細な理由でテナントが抜けていくかも知れない。周辺に飲食店も少ないし、飲食店が閉店していたりする。店のキャパは少ない超小型店舗ばかりになってしまう。 住みにくい世の中だ。  物販をしなくても判ることだが、スーパー同様に添加物が多すぎる。何を見てもステビアだとかアミノ酸が入って居る。そんなくだらない食品をお土産として売る方も買う側も何をしているのかと 頭を抱えてしまいそう。どうしてそんな世の中なのか?まあそういう添加物を避けたからと行って長生きするわけでも無いと言うことが良く解ったが、それでも変な味がすると思わないのか?不思議だ。 例えば漬け物に酸味料、ステビア、アミノ酸が入って居る。確か漬け物にする事で乳酸発酵するから酸味が出るはずだ、なのに酸味料やお酢が入って居たりする。漬け込むj必要あるか? 漬け物なのに野菜の水分抜いて調味液につけこんでパック詰めするだけで出てきたのでは?と思う。そしてそれなりの変な味がする。もう、漬け物じゃ無い。梅干しも漬け物も ジャムにも添加剤。フルーツのジャムには酸味料と甘味料が入っている物も。何かが壊れているとしか言えない。それが今の常識になってしまっているのだろうか・・・ついて行けない。 森さんと二人で現在の世の中について行けないとガッカリして居た。まあ、私ほどでは無いが・・・。 森さんは森さんで年を取り、老いるということについて行けないようだった。まあ、私も解る。だが、私は森さんに「ボケてもしっかりケアします」と言っていた。最近のCMの様な「ずっと優しい人はいない」とかなんとか 言うCMがあってムカついている。私は100%森さんに優しくしていたと思うからだ。まあ、私以外にもそういう人が居ると思うが、このCMはそういう反対意見を持つ人に印象づけるために作ったCMなのかと思うほどムカつく。 女性、特に愛する人に優しくないと言うことはあり得ないと思うからだ。時に厳しくすることもあるだろうが、昔の日本人のように男が先を歩き、女性が後ろから付いていく。そんなことは私には許されない。 きちんと女性をエスコートして支えて歩き、危険なときはきちんと守るのが男だと思うからだ。優しくすると言う事はそんなダイレクトな物だけでは無いが、優しくするのは当然のことなのに、こんなCM・・・。ついて行けない。

まずまず

 森さんの遺産関係のお話。評価者の選任で思惑通り進んだ。これでとんちんかんな評価者が選任されずに済む。まだまだ手続きは続くが先ずは揃える必要がある書類が色々。それを取得申請したので来週には選任が完了するだろう。 選任から正式発注、詳細説明。私のところに評価価格が確定したら私が買い取ったことにする。そしてそれぞれの借金に応じた金額ごとに分配。で、結果を過程裁判所に報告。で完了。その他の行程を少し実行して完了。 おおおっ、良い感じだ。森さんの資産評価についての説明資料を作らなくては・・・。

キツイ本当に

 今日NHKで遺された遺族の心のケアなどについて色々話が出ていた。しかし、何の役にも立たない。私にはケアとか相談とか全く意味がわからないからだ。そんなことしても何も解決しない。 本人だけで解決することなのだから、私みたいに解決できない人間には一つの結論しか見いだせない。一番簡単なことだ。森さんが亡くなった時に芝居だとか著作権とか無ければいっそ森さんと同じベッドでとも思っていた。 病院にとって迷惑千万なことだろうがそこまで考えていたくらいだ。森さんの為に森さんの元へ行きたいが、それよりも先に森さんの為にする事があるのでそれを片付ける必要があった。森さんのお母様のこともある。 だから何とかした。そして今ここで仕事が出来るのは森さんの元へいくと言うことを考えているからこそ出来るからで、平気で出来ているわけでは無い。かなりのストレスを抱えている。 肩こりが凄い事になっているので目眩が出ている。これは昔凄い残業時間をこなして居たときにも起きたことだ。それよりは少しマシかも知れないが精神的にはキツイ。 その際に心療内科に行ったが何の役にも立たなかった。だから今回も何の役にも立たないとわかりきっている。友人やその他の人たちに相談することも無い。友人が少ない?もちろんそれもあるが、大勢居ても同じだ。 私は相談はしない。もし相談したとしても森さん以外に相談する人は居ない。そして自滅するのは目に見えている。昔、私が失恋したときに経験したことだ。まだその時の方がマシだ。今は以前と違って もう、二度と会えないと言うことが異なる。失恋なら頑張って見返してやろうとかその人がこちらを見てくれるような人になるという目的を持つことも出来る。だが、今はその目標だけで無く、生きていく糧が無いのだから 最悪である。伴侶を亡くして自殺する人は少なくない。心が弱いとか軟弱とか愛が深いと言う事だけでは解決できない複雑な理由が絡まっているからそういう結論に至るのだ。何よりも伴侶が居ないと言うことは 何にも代えがたい深い傷である。特に癌と闘った伴侶が無くなった場合は傷が深いはずである。人によっては治療期間が長かったり短かったり。いずれにしてもいずれ死んでしまうという崖っぷちで伴侶を 看病するのだからその負担はその経験をしない限りは理解出来ないだろう。しかも私の場合は死相を広った。しかし二人とも弱音を吐かず、頑張った。仕事や家事、お互いを敬い、尊敬し、気遣い、愛し合った。 そんな状態でいきなり無くなり、私は森さんの為に公演を終了させた。これは半端ない深い傷だ。そんな経験を理解出来る人は殆ど居ないだろう。そんな特殊な経験はなかなかあり得ない。 そんな状況で通常私のまわりの人は「大丈夫だろう」などと思っている人も少なくないだろう。真に私の事を理解出来ていないからである。まあ、知って居たとしても 何も出来ないので同じ結果になると思うが、実はそれより深刻だ。本当に倒れそうだ。

休みたい

 自宅でチケットの電話受付。けっこうみんな人の話を聞かない。チケット発送は10月になると最初に説明しても最期にチケット先に送ってくれるんでしょ?とか振込用紙を待てば良いんですね?とか言う。 長々と説明しているが結局最初から説明してもダメ。広告には受付時間が書いていないとはいえ、朝7時から夜10時頃まで電話がかかってくる。何処のプレイガイドでそんな時間やっているのか不思議に思う。 いくら問合せとは言え7時からというのは普通無いだろう。私のようにダメで元々と言う考えなのだろうか?7時台、8時台、9時台・・・夜までかかってくる。お客様は神様なのでどんな時間でも一応対応はしている。 とそんな仕事もこなしながら休憩したいと思うが休憩できない。気分転換がてら森さんケアをしたくなるが無理。森さんとドライブも出来ない。夕食など行くのも無理。森さんが疲れて昼寝に付き合ってマッサージしながら寝る事も出来ない。 お茶を出すついでに抱きしめたり足や肩を揉むことも出来ない。スムージーを作ったり、ホットケーキを作ることも無い。息抜き、気分転換の方法も解らず、休むことが出来ない。出来るのは家の中をウロウロするだけ。 森さんとの結婚記念日と引っ越し記念を森さんの遺骨とお花を並べて前に座る。これで気分転換出来るような心を持ち合わせていない。森さんが待っていると思うと更に辛くなる。気分転換って何だ?判らない事が沢山出てきた。 カウンセラーや病院に行って何が解決するのだろうか?誰かの前に座って何を話すのだ?見ず知らずの第三者、赤の他人に何を話して気が楽になるのか・・・そんな人に居ないことで何がお困りですか?とか色々聞かれても話すことは無い。 きっと話すことは何も無い。なら返れと言われそうだ。もちろん行く気が無いのだからそれも問題無い。無用な心配だ。何言っているのか良く解らないが今の心境はそんな感じ。病気だと言われれば荘なのかも知れないが、 愛という言葉と同じように、意味が広すぎてつかみ所が無い言葉だ。森さんの元に行きたい、そうしてまた森さんに逢いたいと言うことは森さんの居る世界で再開することを含めて私の生き方と言える。 まあ、森さんと私、二人ともそういう生き方を選んだ二人です。

森さんと私

 私が頑張れたように森さんも凄く変わった。以前は森さんの目の前で肉を食べることは御法度だった。見るのもいやだった森さん。しかし、最近は目の前で生肉を見ても大丈夫だった。というかダメだけど何とか我慢してくれていた。 ガマン出来るレベルだった。八丁味噌、昔はキライでごくごくたまにしか使わなかったというが殆ど毎日八丁味噌の味噌汁。合わせ味噌だったり、柚味噌を造ったりと本当によく出てきた。飲物は冷蔵庫から出てきたままを飲んでいたが氷を入れて 飲むようになった。こんな話はごくごく一部だが、森さんにとっては凄い事。指輪だってお気に入りがあるのに最近は和田芯作ったイヤリングとブレスレットばかり付けていた。理由は簡単だ。気に入っているだけで無く私が作ったからだ。 森さんはとにかく私の森さんに対する全てを気に入ってくれていた。してくれることを喜び、私の愛を全て受け入れ、理解してくれていた。悪のり作って居ると言うこと、愛があるから作って居る事、病気に負けないようにと頑張っている事。 だから、イヤリングとブレスレットばかり付けていた。森さんと私はお互い何も言わないけどとても好きで、愛し合っていました。結びつきが強すぎました。私が肉を食べるときでも森さんとの料理を作ったあと、自分の肉だけ焼いてキッチンで食べたり、 臭い肉は買わず、調理も和風出汁や旨い醤油などを使い出来るだけ嫌な匂いを抑えて作る、そういう気遣いが少しずつ森さんの前で食べられるようになっていきました。八丁味噌だって変な味の調味赤だしでは無く、カクキューの八丁味噌、 赤だしもカクキューの本物に我が家の特性出汁を使い、最期に京七味を振る。そのおかげで八丁味噌汁を毎日のように飲めることに。お互いの気遣いでお互いがお互いを想いやり。お互いに懐柔され、お互いの事をして揚げたくなる。 しかもお互いにそれらを苦にせず行う。もう、二人の間で気遣いは空気のような物でした。優しさ。愛。今は空回り・・・。早く森さんの元へ行きたい。ただそれだけ。

境界性パーソナリティ障害

 まあ、私にそんな診断は出ないと思う。別人格とまでは言わないが別の回路で抑えているからだ。森さんはその辺りまで深く理解していた。森さんが居るからこそ虚勢を張り、芯が強くする事が出来た。 森さんの為に、森さんと一緒に居る私が情けなくてはダメだと感じているからこそ出来た事だ。もちろん目標や森さんと一緒に居るために、森さんに三行半を突きつけられないようにと頑張っていた。 今、森さんが居ないと言うことでそのバランスが崩れそうになりつつある。かといって鬱や自傷行為までは行かない。何とか抑えているからだ。まるで殺人の衝動を抱えながら道徳心で押さえ込んでいるような物だ。 何もかも考えずに身の周りの者を破壊したい。暴れたいがもったいないとか壊した後、困るからという自制心で押さえ込んでいる。押さえ込む力が何処かで壊れる筈だ。本当は押さえ込む必要も無い。 早く相続を済ませなくては・・・。

信頼関係

 森さんと私の間には強固な絆と言うか信頼関係など深い関係にある。それが顕著に出ているのが森さんは遺言を遺していないと言う事。ただ私に任せたと言う事。お芝居もきちんと最期までやり遂げる。 お母様のこともきちんとする。その他みんなしっかりやってくれるだろうと言う期待の元に森さんの言う「死んじゃったら私居ないから好きにやっていい」と言う言葉に責任がのしかかる。 私が本当にちゃらんぽらんな男ならきっと逐一指示を書いて遺すだろうし、そんな男とは一緒にならないと思う。だがあえて言うならわたしだったからこそ、何も言わず残さなかったのだ。 森さんは私に全てを任せて、ほったらかしてくれた。森さんは私に細かい事を言わず、任せれば良い仕事をしてくれるという厚く深い信頼で任せてくれた。これまでの芝居やその他の色々な仕事で私をほっぽった。 逐一指示を出さず、放置してくれた。今回はその最大の放置。本当に私に任せてくれたのだ。もちろんもっと長く生きるつもりだったから遺さなかったのでは?と思う人も居るだろうが、それは違う。 本当に信頼してくれているのだ。森さんと私は本当に一心同体なのだ。愛し合っていると言うだけの関係では無い。森さんほど私を信頼し、理解出来る人は居ない。私は一人想う。 私を愛せるのは森さん以外居ない、いや違う。愛し合えるのは森さんだ。森さんに指で触れるだけで森さんが喜んでいるのが解る。森さんに手のひらを充てるだけで嬉しそうにしている。抱きしめると休まるのが解る。 マッサージをすると「そうそう」と喜んでいるのが解る。もちろん口には一切出さない。しかしその全身から喜んでいるのが解る。いや喜んでいるという単一の感情では無い。安らいでいて楽しそうでもある。 そしてその森さんの喜びに包まれながら私は寝ることが出来た。今はそんな楽しいやりとりも無く就寝する事になる。眠れるわけが無い。無理だ。

適応力?臨機応変?機動力?

 森さんの遺産を守るために限定承認を行う。弁護士も司法書士もやったことが無いと断られる案件を色々な助力を受けながら切り開いている。もちろん森さんの人徳に寄る所が大きい。 ご協力願うと承諾して頂ける。ありがたいお話だ。私1人で奮闘しているが、森さんが助けてくれているとも言える。その一方で私がそんな未知の世界にどんどん踏み込む力は森さんが高く評価してくれていた部分だ。 人嫌いでコミュニケーションが旨く出来ない私なのに何とか出来る不思議な領域。もちろんそれも森さんの為だから出来る事で、私1人では何も出来ないことに変わりは無い。今私が管理している稽古場でも 何かの部品やパーツが壊れたときや床に穴が空いたり、湿度が異常でもなんとか切り抜ける事が出来る機動力や臨機応変な対応は自分でも不思議だ。簡単に対応できる。あっさり切り抜けるので 会社では不真面目と思われる。不具合や緊急事態でも慌てず普通に対応してしまうので不真面目とか緊急性が解っていないなど偉い言われようだ。 その点も森さんは深く理解してくれていた。そんな事態の対応も理解して暮れるのは森さんだけだ。他に理解出来る人など居るわけが無い。どうしてそんなに理解出来る人と出会えたのか・・・ 本当に森さんと出会えてよかったと思う。森さんも私と会えて喜んでいた。私の居ない所では幸せが溢れていたようだ。私の機動力など全てを愛してくれた。今はその適応力も消えつつある。

森さんは面白い

 何処へ行っても誰の前でもはつらつとして感情を露わにしている森さん。しかし私の前では奥ゆかしい。と言うのも嬉しいときでも表だって嬉しそうではない。でもまわりの空気は 凄く喜んでいる。病室でラーメンを食べるときも、パスタを食べるときでも高らかに笑っているのが解る。まわりに人が居なくて森さんの知り合いや友人だけなら大笑いしているだろう。 空気だけで解る。森さんは喜びながら押し殺している。何が面白いのか、バカだねとだけ言う。ヘタに喜んだり驚いてみせると更にパワーアップしてもっと凄い事をしてくると判っているからだ。 だからそこそこに喜んでみせる。感謝もしているがそれも押し殺している。喜びすぎると泣いてしまうからだ。森さんは喜びすぎて泣いてしまう人だ。私の前で何度泣いたことか。 それだけ喜んでくれているのだから森さんの私への愛も深いと理解出来る。森さんも間違いなく私の事を愛している。そして私が居なければ暮らしていけないほど大切に想ってくれていた。 森さんは私を愛することが出来る人、森さんにとっても私が最愛の人。唯一森さんが愛していると行ったのが私、そして森さんを誰よりも愛することが出来た私。森さんと私は深く愛することが出来た。

森さんのお気に入り

 私はお人好しだ。森さんよりもお人好しで、私がしようとすることに「そんなことしなくていい」「やり過ぎだから」とよく言われた。だけどそのお人好し度が過ぎるくらいだからこそ、 森さんは私の事が好きになった。森さんは尽くされるのが好きで、何でもしてもらうのが好きだ。だから私ほどのお人好しで無ければ一緒に居られなかったと思う。優しさとお人好しは異なる物だが、 密接な関係にある。だから森さんは私と一緒だった。私はお人好しだがその反対側も森さん以上だった。「やり過ぎじゃない」「それくらいでいいんじゃない」と言われても追及の手を緩めない。 凶悪というか極悪非道というか残酷というか・・・。その両面があるからこそ、信頼してくれた。森さんは尽くしてくれることが好きだ。何でもしてもらうのが好きだ。だけどそんなことを期待しなくても 何でもしてくれる相手が居た。私がその役を担うことが出来たのは誇らしい。森さんの最愛の人になることが出来た。でも、もう居ない。 最近は幻聴が出てきた。朝、なにか音がして飛び起きる。電話のような内線の音のような何かが呼ぶような気がして飛び起きる。凄く眠いのに起きるので精神的にも体力的にもキツイ。 電話などを確認するが着信は無い。幻聴だ。まずい。森さんが呼んでいるのかそれとも他の何かが悪戯しているのか?まあ、良いだろう。これからもっとそういうのが増えてくるだろう。 何処まで冷静に対応できるのだろうか?

寂しさとは?

 一人暮らしが淋しい訳では無い。自分で掃除して洗濯してアイロンがけとか色々するのは苦ではない。しかしその全てに森さんが居ないと言うことが問題なのだ. 自分が未熟なのか何なのかは人によるだろうが、私は耐えられない。誰かと暮らしたらどうかとも考えるが前に言ったとおり他の人と触るのもいやなので多分無理だ。 人が入った風呂には入りたくないし、お手洗いだって嫌だ。タオルが共用なんて信じられないし、人が洗った食器だってダメだ。包丁の柄の部分が真っ黒だったら食べたくないし、 料理を作る人の手の洗い方だって気になる。だから人と暮らすなんてマズできない。愛情ありきで無ければ一緒に暮らすなんて出来ない。その逆も然りで色々な事が共有出来なければ 愛も生じないと思う。それほど面倒なのだ。私と相性が合うだけで無く、生活習慣やその他様々な事が一緒で無ければ無理だ。しかも誤解されやすい私は理解してもらうのは困難を極める。 だからひとりぼっち。森さんさえ居れば良いとずっと思っていた。最愛の理解者。今は居ない。だから淋しい。

寂しさとは?

 家庭裁判所に依頼している鑑定人選任依頼がおそらく来週中には片づくと思う。そうすれば鑑定してもらって精算となる。来月10月中には精算が完了しそうだ。そうすれば著作物の 移転というか委譲も10月中に終わらせたい。さて、10月一杯でこの独り言は終わるかな?やっと終わることが出来るかも。ほっと一息付けるかな? 来月更新が無くなったら暫くしてサイトも無くなります。サーバーの支払が出来なくなるから。年間払いだったかな?まあいいや。

脚本家が何も作らずに・・・

 最近映画で自分が死ぬと解ったのでその妻と結婚する人を探すとか、まあドラマを創ろうとしてそんな感じに作ったな、と思う映画を見た。 そんな体験をしなければ荒唐無稽に感じるだけ。本人で無ければその感情の複雑な部分は解らないだろう。その葛藤や喜びなんてそんな目に遭わなければ誰も理解出来ない。 現に私のようにある意味劇的、しかし何も遺さないと言う潔さ。そんなんじゃもりさん、誰も感動してくれないよ。きちんとシナリオを書いてくれないと。肝心な所を書かずにほったらかされた。 私に書けというのか?無理に決まってる。潔いのは解るが脚本家だろう、なにか何処かに遺してドラマを創って欲しかった。私1人では書けません。

運が良かったはずなのに・・・

 最初の旦那と別れてすぐに素敵な出会い。そして結婚。事情があり離婚。そして私と出会う。病気もしたし、火傷もした。色々なイベントを乗り越えて 運の良い森さんは何とか切り抜けてきた。役者にはなれなかったがその悔しさをバネに脚本家になる事が出来た。NHKやその他あちこちで仕事をこなし、シナリオセンターや日大、アイムなど 引っ張りだこでこれからの若者達に教えてきた森さん。どん底と思えた時に今度は私と出会い、本当に愛し合うことが出来た。なのに癌という病気。運が尽きたのか何なのか・・・。 占いでは好きなだけ生きられると言われていたのに。やはり占いは確率論だけと言う事か、それともやはり全くの嘘なのか。まあ、朝の番組で生まれ月で運勢が決まるなら努力は無用と言うことになる。 占いも宗教も同じと言える。最適な言葉がある「信ずる物は救われる」。

興味本位でいろいろ

 同じような願望がある方々の掲示板を見てみる。なるほど、そういう所に書き込む人は多い。まあ、本当にそういう願望の人なのか、興味本位でなりすまして書いているのかは解らない。 まあ、信用して見てみると結構意味が無い。真面目に相談に乗るサイトもあるが、自由書き込み方式だと助長してしまいそうな書き込みもある。それに悩み方によっては私のようにそんなことしても無駄だと 思って書き込まない。そもそもそういうことをしようと決心している人には無意味だ。しかし、何でも出来る世の中でそれだけはどうして自由に出来ないのか?安楽死も出来ない世の中で唯一自由に出来ないことだ。 そもそも不治の病など如何してもやむを得ない理由で如何してもと言う人にはその道を遺すべきだ。本人には苦痛でしか無いのだからそういう道を作るべきだ。同じように精神面で如何しても苦痛なら 仕方ないと思う。本人の自由という意味ではその道へ楽に行けるよう道を作って欲しい。事故物件が増えて面倒になるくらいならそういう道も欲しい。 今みたいな精神状態になる前~考えていたことなので滅入っているから考えたことでは無い。そもそもそういう自由が無いのは宗教が絡んでいることは言うまでもない。それを外せばかなり楽になりそうな物だが 一般常識とは本当に面倒だ。自由さえ奪ってしまう。どれだけ辛いかはその立場に立ってみなければ判らない事。人それぞれに色々な事象を感じる力も異なる。1人で生きていくのが辛い人、 最愛の人を亡くして辛い人、病気で辛い人、失敗して辛い人、借金で辛い人。まあ、人それぞれだ。他人が救えるなんて思い上がりは止めた方が良い。もちろん救える人も居るだろうが全体で考えるとごく一部。 そのごく一部を救うのも自由だ。救えるなら救って良いと思うが、根本的に救えない人も居る。私のように無理な人も居るので注意して欲しい。

眠れないのか眠りたくないのか

 最近涼しい日が続いている。汗っかき、暑がりの私には良いことだ。しかしその一方で寒さが身にしみる。肌の温もりが無いと言うことがかなり辛い季節と言う事。 森さんから発せられる赤外線は心地よい。人体から発せられる赤外線にもきっと個体差というものがある筈だ。そんな学説があるかどうかは知らないがきっとあると思う。 その赤外線が無いと眠れない。それだけで無くベッドに横たわると寂しさが募るので意味も無くPCをごそごそ弄る。自分の作ったログを見たり動画サイトやアマゾン、楽天などぐるぐると同じようなサイトを 何度も見る。意味の無いことをしながら時間が過ぎる。眠くない。そしていつの間にか限界がやってきて落ちる。寝にくいし耐性もキツイので睡眠は浅い。眠る時間も短い。だから睡眠時間が短い。 森さんは賢い。そしておしとやかで控えめで可愛い。活発だが家の中でじっと本を読むのが好きだ。しかし私と一緒の時はドライブしたり何処かへ行ったりと忙しい。そんなはっきりと何でも言う森さんが 自分の死後についてひと言も無く亡くなった。逝ってしまった。それをどう受け取るかは森さんの事をよく知る人たちならわかる筈だ。何故何も言わないのか、遺していないのか。 私にして欲しいことや残す想い、全てが無い。それをどう考えるかは森さんがどういう人か思う人それぞれになる。私の森さんが思うことは理解している。 科学的に見ても霊界やあの世とか天国とか地獄なんて一切証明されていない。唯一あり得る方向としては量子力学、反物質。ここに居ると思うと次の瞬間には別の場所へ。非科学的で良ければ 居るはずの無い所にその人が居たという話し。その他は写真に映っていたり、動画に映り込んだり。これをどう証明するか。そんな世界に行くのかと想うと、まあ不安が無いとは言えない。 脳挫傷で死にかけたときも三途の川は憶えていないし、一時意識が戻ったときも何も無かった。残念な事にそれ以降見えない物が見えたことも無い。森さんが見えたら良いのに見えない。 私は森さんと出会っていなければこれまでの職歴も無かっただろう。どうやって生きてきたかも解らない。もっと早くどうにかなっていたかも知れない。これまでの20年以上は森さんとの 生活全てと言える。森さんの為に生きて森さんの為に仕事して、暮らしてきた。そして50歳。もう、十分生きた。今までのことは最高に幸せだったが総じて見れば不幸せとも言える。 贅沢しすぎて借金まみれ、母は中途半端にボケて迷惑なお荷物。森さんに苦労もかけて最期は病気で1人死なせてしまった。そして最期は森さんを追いかける私。 私にとって森さんは全てだったが最高に例えるなら森さんは神様だ。救世主、天使。それくらい感謝している。森さんも私に対して感謝しかなかった。甲斐性無しという部分を除けば お人好しな何でもしてくれる頼りがいのある男。森さんのような人望ある人が惚れてくれた。それだけで誇らしい。それだけで十分だ。一人の女性を愛せたし、愛された。深く広く愛し合えたことが 誇らしい。まわりから見ている人から仲むつまじいと言われるほど愛し合えて良かった。 さあ、早く鑑定人選任が終わらないだろうか・・・。早くして欲しい。また森さんが「淋しい」と訴えかけてくるだろうから・・・。

ついて行けない

 とある場所の管理人をやっている。そこでは日曜大工みたいなことが良く行われる。湿度が高いので業務用除湿器と扇風機を組み合わせて常時稼働させていると、その扇風機の前で 木材を派手にカット。もちろん電動のこぎりでいっぱつで切る。当然切りくずが空気中に舞う。当たり前というかバカ?というレベル。その場所に置いてある荷物全部が木くずまみれになる。 それだけじゃない。ペンキを木材に塗る。もちろん養生シートをひいて行うが、その上を歩き回る。当然養生シートにべったり付いたペンキは床面に転写される。それだけじゃない、物がなくなる。 借りている団体にその旨を伝えるとこちらにも無いという。無くなって居るのにとぼけているのだから困った物だ。時間貸しなので時間厳守なのだが何故か何時までもだらだらと残る。 馬鹿馬鹿しくて起こる気も失せそう。というか殴りたい。ぐっと我慢して請求書を送ろう。嗚呼面倒だ・・・。どうしてそんな馬鹿なこと出来るのか・・・。もう疲れた。

何も無い

 改めて森さんが何か遺していないか探してみる。鏡台の後ろ、引き出しの裏、手帳のあちこち、鞄の内側など探してみる。手帳にも私に遺す言葉はひとつも無い。 死んだときに私が手帳を見ることがわかっているからか。私への感謝は散りばめられているが私に遺すための内容では無い。「助かる」「良かった」などとてもライトな表現だが その表現は最高の賛辞だ。通常、書いてありそうな「××を遺して」「一人になったら・・・」など一切書かれていない。もう、森さんっ。とある意味腹立たしい。 森さんは計算高くない。しかし、私の森さんへの愛、愛し方は良く理解している。私の事を私以上に理解している。そういう私も森さんを森さん以上に理解している。 だから解る。そんなつまらないこと書かなくても解るだろうし、当然そうするだろうと言う事だ。本当に何も書かれていないのか?色々探してみる。森さんが私に対して 挑戦することはあり得る。私ならではの調査力を駆使して探してみる。見つけて森さんに触れたい。

電話

 森さんの電話番号を解約してきた。と言っても私の携帯電話を親回線として森さんの番号は子番号。だからついでに私の携帯も解約してきた。母に養子縁組解除申請の署名、押印してもらうために 郵便物を出したからだ。その郵便物に関して電話してくるはずだろうから、それを排除するために解約した。もちろん今まで殆ど使って居なかったのでついでと言う事で解約。1年縛りと2年縛りにしていたので 違約金が15,000も取られるが仕方ない。もう、そんな違約金とか面倒だ。さて、残すは森さんの固定電話回線。買い取ってくれるらしいが森さんの番号、どうするか。放っておくのも良いだろう。 森さんの回線だけど限定承認だし資産でも無いので知らん顔も出来る。さて、如何するか・・・。

現代について行けない

 ある場所の管理人をしている。しかし先日、恐ろしい団体が借りて偉い目に遭った。台車、脚立を勝手に使っている。しかも扇風機の真ん前で伝の子を使って木材を切っている。当然こちらの荷物に木くずが 飛び散る。そしてペンキ塗り。養生しているがその上を土足でその辺りを歩き回るのだからあちこちに足跡が。そしてその乾いた創作物をあちこちで引きずって歩く。当然床面は色んな色に染まっている。 その上、ひとつ無くなぅているものがあった。しかしそれでも「外から誰でも入れますよね」と言い逃れを言う。近くには高圧洗浄機やキーボード、コンプレッサーあるのにそれを持って行かずにこれを持って行ったというのか? 呆れて物も言えない。しかも扇風機を壊してしまっている。請求書という言葉に敏感に反応したのか公演が終わってから相似に来てくれるという。当日来てみれば時間に遅れるし、待っている間勝手に座って煙草を吸う、勝手に トイレは使う。くつろいで居る。しかも木くずの掃除は手前だけ。全部の資材を移動させて掃除する必要があるのにそんなことお構い無し。どういうことだろうか?そんな無責任な人たちが居るのかと思うと 真面目に仕事しているこっちは馬鹿馬鹿しくなってくる。二度と貸さない。問い合わせてきても暫くお待ち下さいとか調整しますとか言ってほったらかしにしようと思う。絶対に貸さない。というか二度とこちらに 連絡はしてこないと思う。その辺りの自覚だけはあるのだと思う。まあ、そんな世の中、ついて行けない。

一歩前進

 鑑定人選任が完了した。思惑通りうまくいった。これで次の段階、評価してもらう段階。最速で1週間もあれば出来上がるだろう。ただ、評価を行う際に必要十分条件を満たす必要があると思うので、 金融機関にその正式なフォームというか条件を先にもらう予定だ。その辺りにしようが無ければ1週間で完了するだろう。それが終わると買取、精算、それで終了。次の段階は森さんの著作権を譲渡または 販売して私が居なくなっても問題無い状態にする事。そうすれば森さんの名前は少しは引き継がれるだろう。森さんは賞ももらっているのだから何処かに名前は残る。良い事だ。残された者の自己満足でしか無いが それも良いだろう。そうして森さんを残してあげることだけが私の今のところの生きがい。後は何も無い。これらが終わればもう、未練も何も無い。私は眠ることにする。

半歩前進

 森治美の著作物評価を各社にお願いした。なんと今週中には全部揃う予定。しかも全て報酬は取らないという事だ。森さんの人徳だと思う。皆様には感謝しかない。 森さんのありがたみが更に伝わってくる。次の段階に進むために森さんがデビューのために交流の深い会社に著作物全ての権利を預けようと思う。私が死んでしまうと母に著作権が映ると面倒なので そういうことにした。打合せが来週に決定。ラストスパートは駆け足で進めることにする。さて、その記念というわけではないが森さんの私に対する出会いからある時期までの気持ちがしょうせつになっている。 それをここに公表することにします。既に何らかの冊子で公開されたものなので問題無いはず。また、この公開によって利益が得られるわけでは無いのでそういう側面も問題無いだろう。

森組芝居

主宰:森 治美

住所:東京都内

プロフィール